仇敵と思い人

知らない人

真の自由

 白い光を受けて光った金属を、使い物にならないほど刃の欠けた長剣で振り払う。小さな火花が目の前で散り、かろうじて直撃は免れる軌跡を描かせたが、頬に鋭い痛みが走った。音速を越えていたのだろう。体中が疲労できしみ、強化魔法をかける余裕もない今、反応できたのは単なる偶然に他ならなかった。

 頬をねばついた液体が落ちていく。だが拭う暇などない。

 四方を木々に囲われている。枝葉に隠れて、夜空も満足にみえない。重なり合った葉の隙間から月光が弱々しく差し込むのみ。視界の悪い鬱蒼とした森の中で完全な奇襲を受けた。闇は奴らの母なる大地だ。私もかつては戦王女などと呼ばれていたが、国家としての組織的抵抗力が失われた今となっては、ただの敗残兵でしかない。満足な食料も得られず、武器の修理も行えず、防具も度重なる戦闘で使い物にならなくなっている今、夜間の実力は連中の雑兵にすら劣る。

 正面から戦えば命はない。ましてや奇襲を受けたとなれば、言わずもがなだ。

 それでも私は夜闇を睨みつけるしかなかった。足の長さ程もある長剣を両腕で構える。こちらに相手の位置を特定する方法はない。人数さえ分からない。索敵魔法を行使するだけの魔力が枯渇してしまっているのだ。だからこそ無防備に移動し隙を晒すなど言語道断。目を見開き感覚を研ぎ澄ませて、あらゆる方位からの攻撃に対応できるよう防御に徹するしかない。

 風に吹かれて木々がざわめく。

「さぁかかってこい。臆病者! 姿を現せ!」

 叫び声が闇に溶け込むのと同時に、夜を引き裂く銀光が閃いた。日が間近にあらわれたのかと錯覚するほどの光量だった。点ではなく面。暴力的なまでの光の洪水が私の視覚を奪い、白い残像を虹彩に焼き付ける。

 しまった。そう思ったときにはもう遅かった。

 なにかが冷たく喉元に突きつけられていた。焼き付いた閃光が視界を塗りつぶしていた。長剣が音を立てて地面に落ちる。手足を動かそうにも鎖のようなものに拘束されて微動だにできない。だが体の自由を奪われてもなお死への恐れはなく、むしろ心は自由に解き放たれていく感覚さえあった。

「おひさしぶりですね」

 しかしその声を聞いた途端に全身が不快感情で満たされた。これまでの人生で延々と感じ続けてきた、狭い檻に閉じ込められたような閉塞感が、熱された鉄のように私の心へ執拗に押し付けられたのだ。夏の熱さよりも遥かに不快なそれが、汗の粒を浮き上がらせる。

「貴様、まさか闇の矛か」

 要塞化された我が祖国の首都、パンデモニアの魔力防壁は過去二百年、一度たりとも破られたことはなかった。しかし闇の矛は、あの莫大な魔力の塊をたったの一撃、太陽のように巨大な火球で粉砕した。敵陣深くまで切り込んだにもかかわらず、すんでのところで防げなかった詠唱の声が今も耳に張り付いて離れてくれない。

 大気中に散らばった魔力防壁の断片が首都陥落の狼煙として国内全土に知れ渡った。市民や兵士たちの士気は著しく低下。治安は乱れ指揮系統は混乱を極め、祖国はそこから一か月で崩壊した。我が一族は即座に処刑され、辛うじて逃亡した私を残し、みな命を落とした。

「そんな名前で呼ばないでください。私の顔が分からないのですか?私の声が分からないのですか?」

 全身を暴れさせるも鎖が外れる気配はなく、金属の擦れ合う音ばかりが聞こえた。無力感に打ちひしがれて、うなだれる。首元に寄せられた刃物が諦めに拍車をかけた。白んだままの視界で、仇に一太刀浴びせることさえできない無力な自分に、憎しみが募る。

「早く殺せ。怪物が」

「覚えていらっしゃらないのですか。十年ほど前、私があなたの城に人質として暮らしていた日々のことを。……もしかして、まだ目がみえないのですか?」

 なにか細いものが空を切る音がした。それを境に、閃光に乱された神経が徐々に元のリズムを取り戻す。光の牢獄から解放された私が間近で目にしたものは、私よりも一回り背の小さな、黒い外套で体を覆った女だった。肌は雪のように白く髪は純粋な闇のように澄んだ漆黒。瞳はルビーのように鮮やかな紅をしている。確かに見覚えがあった。

「……ノエル。いや、まさか」

「覚えていてくださったんですね」

 ノエルは歓喜に震えるように恍惚とした笑みを浮かべ、私の喉元に押し付けた短剣を遠くへ投げ捨てた。この十年、一度も忘れたことのなかった人が祖国を滅ぼしたのだという失望と絶望。言葉にもできず、私はただ呆然とこぶしを握り締め、狂ったように表情を緩めるノエルをみつめるだけだった。

 だが戦王女としての心は死んでいなかった。闇の矛になり果て殺戮の限りを尽くしたというのに、ノエルは未だ私に情を残しているらしい。急所に当てていた短剣を投げ捨てたのが、何よりの証拠だ。本当に最悪の状況だが、あがく価値はあるかもしれない。せめて一太刀、散って行った同胞たちの怒りをぶつけなければ、満足に死ぬこともできない。意識は熱にうなされているかのようだ。しかし愛した人を殺す算段は着々と組み上げられてゆく。

「むかし共に過ごしたよしみだ。この拘束も解いてくれないか」

 高温で熱されたように赤く光る鎖が、私の四肢に巻き付いている。見下ろすと長剣は足元に転がっていた。先ほどまでの紙片一枚挟む隙もないノエルならばともかく、今の惚けた顔をしているノエルならば、十分に勝算はある。しゃがんで握って一振り。コンマ一秒で反応されるとしても、私なら間に合う。間に合わせる。死んでいった者たちの為に。

「頼む。ノエル。私を助けてくれ」

 同情を引くような情けない声と表情を捻りだし、いつでも飛び出せるように感覚を研ぎ澄ます。しかしノエルは困ったように形の整った眉をひそめ、本心から謝罪するかのように大きく頭を下げるばかりだった。

「ごめんなさい。あなたになら命を奪われるのもやぶさかではないのですが、そのあと父上にあなたを殺されてしまうというのは、どうしても耐えられないのです。王族相手なら、臆病な父上はそのお命が散るまで地の果てまで追い回すはずですから」

 人に殺されるくらいなら、自分の手で殺したい、ということなのだろうか。ノエルの透明感あふれる柔肌が私の薄汚れた首筋に触れる。高価な絵画の埃を掃うみたいな慎重さで、そっと撫でられた。私は逆襲を諦め、静かにうなだれた。ノエルの莫大な魔力を内側へと注ぎ込まれれば、魔力の枯渇したこの体なぞ木っ端みじんに砕け散ってしまうだろう。人としての形が残ることさえなく。

「ノエル」

 だが恐怖はなかった。今度こそ自由になれるのだ。祖国を滅ぼされ一族を根絶やしにされ、命や尊厳まで奪われようとしている今ですら、いや、だからこそだ。全てを失うからこそ、自分の地位や性別や立場に相応しい考えで本心を誤魔化すこともなく、断言してしまえる。この二十五年の人生での一番の幸運は、王族に生まれたことではなく、気の良い同胞に巡り合えたことでもなく、十五歳のあの日ノエルに巡り合えたことなのだ。

 私はノエルを愛している。例え惨たらしく殺されたとしても、気持ちは変わらない。

「愛してる。ノエル」

 ノエルは頬を真っ赤にして、私の瞳をまっすぐにみつめ返した。同胞を数えきれないほど殺したのに、国を滅ぼしたのに、それでも愛してくれるのかとたじろいでいるようにみえる。あるいは、脈略のない発言にただ驚いているだけなのかもしれない。だが何であれ、死に際にノエルのその表情をみられて、良かった。

「私も愛しております。マリアお姉さま」

 ノエルは目を潤ませて、笑っていた。

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仇敵と思い人 知らない人 @shiranaihito

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