エピローグ

「ご希望のアレックス王子について調べてきたよ」


 三日と開けずに顔を出すアウグストが、今日は手に書類をもってやって来た。

 以前アウグストが来た時にそれとなくアレックス王子について探ってみたのだが、ドロテアと歳が近いせいか、私が王子を探りたい理由を勝手に察してくれたようだ。

 ドロテアの婚約者として狙っている、とアウグストは考えたようだが、私としては真逆の理由だ。

 ドロテアを近づけたくないがために、相手をよく知りたいと思っていた。

 

 ……まあ、そんな本音は聞かせられないけどね。

 

 少女漫画の設定上でドロテアと婚約し、その異母妹のリージヤと恋に落ち、ドロテアとの婚約を破棄し、その穴埋めと称して老齢の辺境伯とドロテアを婚姻させた男だ。

 警戒せずにはいられない。

 

「お母さま、お父さまがいらっしゃっているの?」


「『お父さま』ではありませんよ」


 アウグストの持ち込んだ書類へと目を通していると、ドロテアが居間へとやって来た。

 相変わらず、油断をするとすぐにアウグストを『お父さま』と呼んでいる。

 そのたびに訂正しているのだが、もう最近ではほとんどわざと呼んでいるとしか思えない。

 アウグストは間違いを訂正するどころか助長するし、乳母や家令もこれを注意しなかった。

 一度は祖父の前でも『呼び間違え』、いつ真実になっても良い、と太鼓判を押されてしまっている。

 もしかしなくとも、これはアウグストの仕込みによる地盤固めだろう。

 アウグストのことは嫌いではないが、こうもグイグイ来られてしまうと、逃げたくなるのが心情というものだ。

 案外ベルナデッタがアウグストを苦手に思っていたのも、これが原因かもしれない。

 

「アウグスト兄様も、ドロテアに間違ったことを教えないでください」


「いいじゃないか。いずれ間違いではなくなるのだから」


「アウグスト兄様が九年後も同じ気持ちであれば、ですけどね」


「僕の気持ちは九年ぐらいでは変わらないけど、八年後じゃないかな。ドロテアは八歳になった」


 先日ドロテアが八歳の誕生日を迎えたので、仮に十六歳で嫁ぐとしてあと八年だ。

 確かに、カウントとしては一年短くなっている。

 

「……そういえば、アレはどうした?」


「アレ? ……ああ、アレですか」

 

 アレと言われて、しばらくぶりに思いだす。

 アウグストの言う『アレ』とは、イグナーツのことだ。

 ベルナデッタの無念を果たして以来、妙に私の関心も薄れ、記憶からも消えかけていた。

 

「すっかり忘れていました。七年近く放置されていましたからね。こちらからも七年は放置しようかと……」


「……まさか、『餌もあげてない』ってことはないよね?」


「いやですわ、アウグスト兄様ったら」


 うふふ、と笑って書類から顔をあげる。

 夫からは何も与えられなかったベルナデッタだ。

 今さら妻の方から夫に与えるものなど『何もない』。

 

 

 

 

 

 

 結局、イグナーツのが発表されたのは二年後だ。

 私としてはきっちり七年ほど牢に入れておきたかったのだが、ドロテアに負けた。

 可愛いドロテアに、お父さまが欲しい、弟妹が欲しいとおねだりされては、意地を通すことができなかったのだ。

 

 葬儀では棺へと最後の別れをするだけにしようと思っていたのだが、ふとイグナーツの顔を見たくなった。

 牢の中に放置され、食事も与えられずに餓死したイグナーツの顔を、だ。


 骨となったイグナーツの眼窩を見下ろしていると、無意識にその頬骨へと手を伸ばす。

 愛しそうに夫の頬を撫でる妻が、その夫に死を招いたとは、葬儀の列席者からは想像もつかないだろう。

 唇は自然に喜びの形を結んだ。

 

 ――これでやっと、わたくしだけのあなたに。

 

 不意に心の中でだけ響いた嬉しそうな自分ベルナデッタの声に、一瞬で背筋に冷たいものが走る。

 慌ててイグナーツの遺体に添えた手をひっこめると、その手を気遣うようにアウグストが包み込んだ。

 穏やかな光を湛えるアウグストの瞳の中に自分の顔を見つけ、急に夢から覚めたかのような錯覚を覚える。

 今日まで何度も見てきたベルナデッタの顔が、今は森野優美わたしの表情に見えた。


 もしかしたら、森野優美わたしは、今初めてベルナデッタに『なった』のかもしれない。


 ベルナデッタの恋は、ある意味でようやく叶ったのだ。

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ざまぁ系悪役令嬢の元凶母に転生したようなので、可愛い娘のために早めのお掃除頑張ります ありの みえ@療養中 @arinomie

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