第10話 これで『おあいこ』です
……リアルに『呆れて物が言えない』だなんて思う日が来るとは思わなかった。
確かに、イグナーツへはリージヤへと貴族の娘として致命傷を与えろ、とは言った。
指示したのは私だ。
私だったが、なぜ私が父親であるイグナーツにその役目を任せたと思っているのか。
腐ってもイグナーツはリージヤの父親だ。
私が人を雇って傷を負わせるよりも、父親として手心を加えた方法を選ぶと思っていた。
仮に疑念があったとしても、六歳まで慈しみ育てた娘だ。
それなりの親心も愛情もあるだろう、と『期待』していた。
貴族の娘としての致命傷とは、しゃれにならないものから、実に瑣末なものまで、幅は広い。
リージヤの身に傷一つ付けない致命傷の負わせ方として、母親が平民の愛人である、というものがある。
それを年頃になったリージヤ周辺で吹聴するだけでも、事実なだけ致命傷になっただろう。
他にも、転んで擦り剥いた傷が少し深く、ほんの少し傷跡が残っただけでも、貴族の娘としては致命傷だ。
普段ドレスに隠されて見えない場所ならいいだろう、ということにはならない。
判りやすい致命傷としては、顔や服から露出する肌に傷跡を付けるというものもある。
なんだったら腕や小指の骨を折り、少しおかしな形に繋げても、それは貴族の娘として致命傷だ。
イグナーツには貴族として育てられた経験と知識があったし、リージヤの父親であるしと、当然娘に対して手心を加えてくると思ったのだが――
……誰が六歳の実の娘を父親が襲うと思うよ?
これは確かに致命傷だ。
貴族の娘としてではなく、平民の娘としてだって、イグナーツの娘としてだって、致命傷だ。
……
それがどれだけの傷か想像できるだけあって、私にはもうこれ以上リージヤへ何かする気にはなれない。
それを見越してやったというのなら見事と言えるかもしれないが、あの楽な方へ、楽な方へと流れていくイグナーツにそこまでの考えがあったとは思えなかった。
一番単純で解りやすい方法として選んだだけだろう。
……顔がいいにしたって、限度があるよ、ベルナデッタ!
どうしてベルナデッタはイグナーツのような男に恋をしたのか。
アウグストではないが、見る目がないにも程がありすぎた。
一命を取り留めたリージヤは、カシーク家へと送り届けられた。
イグナーツのやらかしたことについては知らせなかったのだが、リージヤの反応を見ればいずれ察するだろう。
すっかり男性不信になったリージヤは、近くに男性がいるとパニックを起こすようになっていた。
いっそ我が家で引き取って、別邸あたりで静かに暮らさせた方が良かったかもしれない。
一応そう提案もしてみたが、カシーク家当主はリージヤを引き取った。
平民の愛人に産ませた娘とはいえ、自分の孫である、と。
その義理堅さを、なぜイグナーツが駆け落ちした時に発揮しなかったのか。
それが悔やまれた。
「愛しいベルナデッタ。すべてきみが望むようにしたのに、まだ私を牢から出してくれないのかい?」
もしかして、自分を独り占めしたいがために牢に閉じ込めているんだろう、などと寝言を言い始めるイグナーツに、そろそろ私の愛想笑いも品切れだ。
冷たい視線すら向ける気にならない。
「御自分の娘を襲うような父親を、野放しになんてできませんわ」
「リージヤのことかい? あれは私の娘ではなかった! きみがそう教えてくれたんじゃないか」
「
遠まわしな表現で、誤解と疑念が生まれるよう誘導はしたが、断言はしていない。
少し考えれば判ることだ。
カルラが娼婦の真似事をするようになったのは駆け落ちをしてからであり、イグナーツが失踪したのはドロテアが生まれてからだ。
ドロテアがベルナデッタの腹にいる時にリージヤは仕込まれていた。
当時のカルラには、イグナーツしか相手がいなかったはずだ。
「確かに、あなたもカルラも金髪ではありませんでしたが。あなたのお
イグナーツの子どもとして、金髪の子どもが生まれる可能性はゼロではない。
そう教えてやると、イグナーツの顔から表情が抜け落ちていく。
ようやく、自分がしでかしてしまったことに思い至ったのだろう。
「……いかがですか? 真実の愛とやらで出来た家庭を、御自分の手で壊した気分は」
答えられるはずのない問いをする。
誘導したのは私だが、実行したのはイグナーツだ。
「そろそろ私もあなたを許そうと思います。ですから……」
最後に、私たち母子を忘れていた年月だけ牢で過ごしてくれ、と言って牢の中のイグナーツへと背を向ける。
それだけの年月を過ごしたら、牢から出してやろう、と。
「これで『おあいこ』です」
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