15:エピローグ - 月
ダンジョン。そう呼ばれていたラボの裏門はガスト隊長の指揮下、掃討作戦が行われ、ほどなく「獣」と呼称されていた実験生物たちは完全に排除された。今では誰もそこを「ダンジョン」と呼んでいない。
充電して復活したアボ1とアボ2、そしてラボ内で新たに発見したアボ3により、村人は施設の使い方や読み書きを勉強した。
-そうして、瞬く間に三年が経過した。
村の人口はこの間に百人ほども増えたが、ラボ内のフードディスペンサーを使うようになり、食堂を整備したので畑の面積は増やしていない。目の前の危機が去り、村は平和な時期を迎えていた。
「今のところエネルギー収支は安定していますが、人口ベースであと五百人も増えるとエアフィルターが厳しいですね」
「再生系統の破砕機は刃が大分負けてるので交換を提案します」
「金属の出力はエネルギー密度が高いし、破砕機は刃の径が1.2mあるので大量にエネルギーを消費する。もう少し現状のままで使えるだろ」
ラボ内の大会議室では今日も活発な議論が続いていた。九十五年の長きにわたりメンテナンスなしに動いていたのは文字通り奇跡的で、アボ達の指導のもと設備を調べれば、あちこちで不具合や故障が見つかった。勉強をしつつそのメンテナンスをしているが、その数の多さに三年を経てもまだすべてに手を付けることすらできていない。
アボによると月面基地のエネルギー源は主に太陽光で、広域の基地とも連携したグリッドで多重化した上、長い夜を乗り切るためフライホイールによる蓄電を組み合わせているらしい。このエネルギーグリッドは今も有効で、こちらは当面問題はなさそうだった。問題はこの百年近く人の移動がないことで、それはつまり、物の移動が一切無いということでもあった。
月面基地では水や空気、有機物から金属まで完全リサイクルが実現されていて、だからこそ人の出入りが全くなくてもやっていくことができた。しかしそれを実現する設備には高精度な部品も当然多数使われている。加工設備や3Dプリンタで交換部品が作れるものは良いが、例えば高精度な電子部品や特殊な表面加工、超高精度なレンズ、そういった装置の中核となる精密部品はここの設備では作れない。既にそうして動きを止めている装置もあり、そしてその数は目に見えて増えていた。
議論の場はハーカーが取り仕切るようになっていた。最後のダンジョン攻略時点ではまだ若手だったが、基地のシステム維持管理が話の中心になり、まず文字が読めて数字の計算が必要になった結果、若返りが急速に進んでいる。ガストは早々にそうした勉強を諦めて引退したし、子供たちの知識の吸収速度はハーカーたちに比べればさらに段違いに早いので、あと十年もすれば村、いや基地内の知識や技術のレベルは桁違いに上がるだろう。
そんな時代を迎えるために、次に彼らがやらないといけないことは明確だった。
「明日、いよいよ『外』に出る」
ハーカーは切り出した。ラボの地下に保管されていた月面ローバーで隣の基地に向かい、必要な情報と設備を取り出してくる。この先の百年を考えると、周辺基地の調査が必要なのは間違いなかった。放置されていたローバーの整備と我々の身長に合わせた調整、そして機械操作と真空に対しての知識の勉強と訓練などなどで三年かかったが、そろそろ外に出られるタイミングだとハーカーは判断した。
翌日。
ローバーに宇宙服を着こんだハーカーとアルガン、ハイムが乗り込んだ。アボ2も乗り込み、三人と一機の乗る巨大な八輪車は基地の出入り口となる二重の気密ハッチを抜け、クレーターを貫くように作られたトンネルを緩やかに登りきると、真空の、灰色の大地にゆっくりと乗り出した。
月では昼と夜の間隔が長い。地球から見れば月の裏側にあたるこの基地では、夜になると真っ暗になる。移動中はライトをつけるし、過去に使われていた道路を使うので昼も夜も関係ないが、空気が無く単調な月の風景は遠近感を失いやすい。今日から始まる昼に合わせて出発すれば、多少の遅れがあっても、往復の期間ずっと昼になる。地殻変動も植物も風化もない月では、隕石でも落ちない限り以前と景色が変わることは無いはずだが、用心に越したことは無く、このタイミングでの出発となった。
念のため移動速度は時速20kmで固定し、運転はオートパイロットとアボ2の監視システムに任せる。三人は何をするでもなく、ゆっくりとした車の振動に身を委ね、代り映えのしない車外の風景を見るでもなく眺めていた。
村だと思い込んでいた基地と、ダンジョンと思い込んでいたラボの建物。正体見たり枯れ尾花。知識があれば今までの恐怖の対象は調べる対象になり、その先に新しい道が、未知が広がる。
ローバーが踏みしだく、道とも言えない舗装もされていない道には、百年前に多数の人が行き来したことを示す
分からないことは怖い。ダンジョンに入る時にあれだけ訓練したのは、そうした恐怖の表れだ。しかし「分からないから触らないようにする」という態度がこの百年近くの停滞の原因になった。今回のローバーにしたって、基地の外に出るのに志願したのは五人しかいなかった。アルガンがこうしてローバーに乗れているのも、競争率が低かったことは大きかった。
アルガンだって分からないことは怖い。でも、分からないことを知ろうとしないことの方がもっと怖かった。隣の基地の状態が確認できないのは通信が途絶えているからで、その原因は中継塔が機能を停止しているからだった。見通しのきかない距離の通信には中継の通信塔が必要だが、それが停止しているのは確認されている。百年近くも経てば故障が起きてもおかしくないが、それが修理されていないということは、その隣の基地も無人になっている可能性が高い。では何故?
基地の外に出る未知への扉が開いて、結局アルガンたちにとっては分からないことが広がった。この基地は人間が作った。ではなぜ今は人間がいない?百年近くもなぜ放置されている?そうやって、知ることが増えれば知らないことが増える。既知一つに、未知が十個。どれだけ「知らないこと」を増やせるか。おそらく、アルガンのやりたいことを一言でまとめればそういう事になるんだろう。
レゴリスを踏みしだいて五時間。ローバーは隣の基地に到着した。
基地の外周にあるはずの表示灯の明かりが見えず、外観からは他のクレーターと区別がつかないが、その外周に丸くくり抜かれた下り斜面が、この中に人工物があることを示している。
「ここですが、表示灯が付いていませんね。通信による呼びかけにも応答しません」
アボ2がトンネルの下り斜面の前でローバーを停止し、報告する。中は真っ暗で、ローバー来ても照明もつかない。
「こりゃ、ここも放棄されてるっぽいなぁ」
ハーカーががっかりしたように呟いた。基地の入り口には緊急用の手動装置はあるが、平均身長が130㎝のアルガンたちは体のサイズに比例して力も弱く、手動装置で入るのは大変だということは訓練で確認していた。できれば使いたくないし、放棄された基地では調査にも時間がかかる。
「この次はどこだっけ?アボ2」
「そんなに遠くありません。40km先に宇宙港があります。このクレーターの周囲が高台になっているので、裏に回れば見えるはずです」
「よし、まずはそっちを先に確認しよう。クレーターの裏に回り込んでくれ」
「了解」
ローバーは旋回して向きを変えると、クレーターに添って左に動き出した。基地があったころには通るルートでは無かったんだろう。クレーターの陰に入り真っ暗な轍のない月面を、ライトを照らしながらローバーはゆっくりと進んだ。
ほどなくクレーターの影を抜けて、ライトの向こうから星の光が見え始めた。赤、白、黄色と光が強く瞬いている。
「点滅してる?」
ハイムがぼそりと呟いた。
大気のない月面では、星の光は瞬かない。点滅するとすれば、それは変光星のように星自体が瞬いている場合、あるいは…人工物だ。
「星…じゃない!」
ハーカーは思わず身を乗り出して前方に目をやった。開けた平野の上に塔がいくつも立ち、その先端で光が一定の周期で瞬いているのが、今では視野に入ってきた。
宇宙港だ!
人がいるかは分からないが、きちんと電源が来ていて、稼働できているのは間違いなかった。確かに宇宙港を放棄する場合、管制のために最後までシステムは稼働させたまま出ていくだろう。アルガンたちの基地のようにメンテナンスは自動で行われるから、そのまま稼働し続けている可能性は十分にある。
宇宙港に近づくにつれ、もっと大事なことが分かってきた。
目に見える範囲で動いているものは一切なく、やはり放棄された宇宙港である可能性は高い。しかし、全員が出て行っても余ったのであろう、シャトルが目に入るだけでも二機あった。ローバーに至っては、数え切れないほどの数がある。
「凄いぞ!シャトルだ!」
ハーカーの叫びと時を同じくして、ローバーはクレーターの反対側に辿り着き、クレーター基地から宇宙港に向けて伸びる白い轍の上に乗った。同時にアボ2が報告する。
「宇宙港との通信が確立できました。宇宙港内に人間はいません。九十五年前から使われておらず、最後に出ていった際に全ての権限が放棄されています」
「やっぱり人はいないか。権限の放棄ってのは、どういうこと?」
「基地内のすべての物は、誰でも自由に使って良いということです。これには持ち出しや破壊、ロボットに対する指示なども含まれます。権限が設定されていると動かせないので、後々の事を考え、設備を放棄する際はそうした設定を行います。基地ではメンテナンスロボットが稼働中で、施設は稼働状態で維持されています」
「それって、あのシャトルを俺たちが使って良いってこと!?」
興奮してハーカーが叫ぶ。
「動く限りは」
対してアボ2の返事は、いつものように平坦だ。アルガンは宇宙港の先、灰色と黒の交わる地平線に目をやった。自分たちがシャトルを飛ばせる!ここまで一日かけて移動して来たことを考えると夢のような話だ。宇宙港ならシャトルのメンテナンスのために工具や設備もしっかりしているし、交換部品の備蓄もある。基地の将来も安心だろう。そうして自分たちは次の「足」を手に入れた。ローバーと宇宙服で狭い基地から外に出ることはできた。次はシャトルで飛ぶことができる。そうして活動圏を広げて、新しいことを知って、新しく知らないことを増やしていく。
見上げた漆黒の空には、針で穴を開けたように明るい星が点々と輝いている。それがアルガンには、未知という暗闇の中の知識や可能性の輝きに見えた。
ダンジョンのある村、ラボ ろい @Roy1999
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます