水道タンク裏
桐谷はる
水道タンク裏
大学で文芸同好会に所属していたIさんは、同じく元同好会員のNさんとMさんと3人で、ホラー系の同人誌を出すことになった。
「3人とも、ミステリーとかホラーとか、ちょっと暗めな話が好きで、そういうのばっかり書いていました。社会人になると人に見せる機会ってなかなかないじゃないですか。せっかくだから本にまとめてイベントとかに出たいねって話になったんです。サークル活動の延長みたいに」
同人誌を作る過程やイベントに参加する要領はNさんが詳しかった。新人はまず売れないから赤字覚悟でちょっとだけ刷ろうというNさんの意見に従って、ごく少部数を携えて参加したのだが、予想に反して本は全て売れた。
「Mちゃんが、書いた小説につける写真を撮るのがすごくうまくて。内容に合わせて、お寺の境内とか学校の風景とか――。小説本って見かけだけじゃ内容がわかりにくいから、新人はほとんど買ってもらえないらしいんですけど、Mちゃんの写真のおかげで手に取ってくれる人が結構いました」
若い女性3人組、というのもホラーのジャンルでは珍しかったようだ。他のイベント参加者からも頻繁に声をかけられ、思っていた以上に楽しい体験になった。
せっかくなら次はもっと工夫しよう、今回はばらばらに好きな小説を書いたが、テーマを決めてまとまりのある一冊を作ろうと3人の意見は一致した。
やっぱり、Mちゃんの写真が良かったんだよ。
ほんと? よかったあ。でも私、もう写真のストックないんだよね。今回使ったのはさ、今まで趣味で撮ってたのから、それっぽいやつを持ってきたんだけど。次の本を出すならどこかで新しく撮らなくちゃ。
写真を先に撮っておいて、そこに小説をつけるのも面白いかもね。
そこまではすぐに決まったものの、肝心のテーマはなかなか決まらなかった。
怖い写真を撮るのは難しい。凝りすぎるとわざとらしいが、ありきたりなものだと雰囲気が出ない。お互いに案を出し合うも、なかなか決まらず時間が過ぎた。
そんなときIさんは、『水道タンク裏』という停留所名を走るバスに偶然見つけた。
そして、「きっとこの場所はいける」と感じたのだそうだ。名前がいい、趣がありそうだ、と。
「ちょっと廃墟っぽい、いい写真が撮れそうだなあって思ったんです。今思うと、映画の『仄暗い水の底から』の影響だったかもしれません。水場とホラーって定番じゃないですか。
でも、なんか――今思うと、ちょっと変だったかも。普段そんなに直感なんて信じるほうじゃないのに、ここしかないってすごく強く思ったんです。そのときは不思議にも思わなかったんですけど…」
IさんはさっそくNさんとMさんに提案した。「走ってるバスから偶然見つけたっていう経緯込みで面白い」と好評だった。
週末にさっそく行ってみようということになったが、当日、Iさんは急に体調を崩してしまった。Iさんは不参加を謝罪し、2人でゆっくり見てきてほしいと伝えた。
風邪だったが、ひどく悪化させてしまい、一時期は入院するかどうかの騒ぎになったそうだ。同人誌のことなど頭から吹き飛んでしまっていたが、起き上がれるようになってから、2人からメールが来ているのを見つけた。
開いた途端「――。何これ、」と声が出たそうだ。
「『水道タンク裏』って、地図で見ると、ほんとに普通の住宅街だったんです。
でも写真は、もうなんかちゃんと思い出せないんですけど――、ぼろぼろのお堂とか、はだかのマネキンが道路に並んでたりとか、アパートの全部の部屋から知らない人がみんなカメラのほうを見てたりとか……」
とにかく異様で不気味な写真が、十数枚もあったという。
添えられていたメールの本文が、「もうほんとにすごかった。さすが、Iちゃんが選んだ場所だったよ。教えてくれてありがとう。今度は3人で行こうね!」という感じで、ごく普通なのもかえって恐ろしかった。ホラー映画か何かから抜き出してきた写真を送ってふざけている、という感じでもない。2人とも真面目過ぎるほど真面目で、全くそういうタイプではないのだ。
「でも、悪ふざけじゃなかったら何? って感じですし…。とりあえず、風邪は治ったよって返信だけ出して、他のことには触れずにいたんです。そうしたら、『次のイベントまでもう時間もないし、今度こそ3人で行こうよ。いつなら行ける?』って連絡が来ちゃって…」
どうしたらいいかわからなくなったIさんは、思い切って『水道タンク裏』に足を運んでみることにした。
繁華街から出ているバスに乗り、10分程度で到着したその場所は、ごく平凡な住宅街だった。名前の通り水道タンクらしき大きな建物はあるし、うまく工夫すれば雰囲気のいい写真は撮れるかもしれない。しかし人通りはあるし、近くの学校から部活動をしているらしい子供たちの声が聞こえてくる。異様なところ、不気味なところは取り立てて見当たらなかった。写真に写っていたのはここと全く別の場所としか思えなかった。
立ちすくんでいたIさんは、スマートフォンの着信音を聞いた。
『もしもし? Iちゃん?』
Mさんだった。
『先週は大変だったね。具合どう? 身体はもう大丈夫?』
「う、うん。ありがとう。あのね、送ってくれた写真のことなんだけど、」
『ああ、うまく撮れてたでしょ。実物はもっともっといいんだよ。Iちゃんにも早く見せたいな』
「あのね、実はね、私いま、」
電話口から聞こえるのがNさんの声に変わった。Mさんのすぐとなりにいて、身体を寄せて会話に割り込んできた様子だ。楽しそうな弾んだ声で、
『――今ねえ、私たちまたあのバス停に来てるの! 撮り切れなかったところ、たくさんあってさ。急で悪いんだけどさ、Iちゃんも今から来ない?』
Iさんは周囲を見渡すが、2人の姿はなかった。
通りかかった中年女性がきょろきょろしているIさんを不審そうにちらっと見ていく。
「私もいま、『水道タンク裏』に来てるんだけど――。2人ともどこにいるの?」
『ほんと? じゃあ迎えに行こうかな! すぐ近くだよ、すぐ!』
Iさんは寒気がしてきた。風邪がぶりかえしたのか、気味が悪いからか、自分でもよくわからなかった。すぐ近くにいるというのなら、こうして話しているうちに来てくれたって良さそうなものだ。それに普段の2人なら、まずIさんの体調を気遣ってくれそうなものだ。
「なんだか具合が悪くなってきちゃった。ごめんね、今日は帰ろうかな」
『そうなの? せっかくだし、少しだけでもさあ、』
「えっと……ごめん……」
『Iちゃんが来ないとつまらないよ。すぐ近くにいるから、ね?』
『――もう、いいよ。来ないよ、この人』
そこで電話が切れた。
「MちゃんでもNちゃんでもない、知らない女の人の声でした。2人のすぐ後ろに立っていて、無理やり割り込んできた、みたいな…」
Iさんは電話をかけなおしたが、もうどちらにも繋がらなかった。逃げるようにタクシーを捕まえて実家に帰り、そのまましばらく実家から会社に通った。荷物を取りに戻るときも家族についてきてもらい、一人にならないよう過ごしたという。結局一度実家に帰り、一年後に結婚して他県に引っ越した。もう3年も前のことだ、とIさんは言う。
「――でも、今でもたまに、MちゃんとNちゃんから電話があるんです。電話番号も変えたのに」
2人は今もホラー小説と写真の同人誌を出していて、大変な人気だと風の噂に聞いた。
Iさんは決して電話には出ないし、2人が出す本も見ない、という。
水道タンク裏 桐谷はる @kiriyaharu
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