第6話


 ――あの一件以来、私たちは妙に気まずい。


 廊下とかで偶然顔をばったり合わせても、海堂さんは私の顔を見るなり、いつもどこかへ逃げちゃうし、私の方も軽く会釈をするだけで、あまりそこに長居はしなくなった。


(せっかく、やっと目が合うようになってきたって思ってたのになぁー……)


 以前のようなご近所さん同士の会話がないことをどこか寂しく思いつつも、私は仕事と推し活にのめり込むことで、その寂しさを紛らわせていた。


 そして、そんな時に、その話は突然やってきた。


         * * *


「えっ⁉ 私を、新プロジェクトのメンバーにですか⁉」


 出社するや否や、部長に「鈴本くん。ちょっと、ちょっと」と一人だけ呼ばれた私は、ひょっとして、何かやらかしてしまっただろうか…? という一抹の不安に苛まれつつ、言われるがまま、大人しくその後をついていく。すると、小さな会議室のようなところに通された。


 そして、お互い椅子に腰を落ち着けたところで、部長の方からおもむろに「これから、社内で始まる一大プロジェクトにキミを抜擢したい」と切り出されたのだ。


 てっきり、怒られるのかと思って身構えていた私は、急転直下の展開に、何がなにやら分からず「え…。でも、なんで私なんかが…」と、一人でこんがらがっていると――。


「――俺が推薦したんだ」


 ふいに会議室の扉がガチャっと開く音がして、背後を振り返ると、ポッケに手を突っ込んだ波島さんが、壁によりかかるようにして立っていた。


「は、波島さん……」


「お前もうちに来て、もう一年が経つだろ?」


「え、えぇ。まあ……」


「そろそろ、ステップアップするにはちょうどいいタイミングだし、なにより――」


 波島さんはそう言いながら、コツ…コツ…とゆっくりこちらへ歩み寄ると、私のすぐ隣でぴたっと足を止め、澄んだ力強い瞳で真正面からこちらを捉えて言う。


「お前が入社してから毎晩、夜遅くまで残って誰よりも努力してたのを、俺は知ってるからな」


「波島さん……」


 その一言に、私の胸をカァーっと熱いものがこみ上げていく。


 ――だって、今まで私にとって、どれほどその言葉が得難いものだったか。


 前に勤めてた会社では、どれだけ頑張って実力で仕事を取ってきても、「ねぇ、聞いた? また鈴本さんの企画だけ通ったらしいよ」「どうせ、あのカラダで勝ち取ったんでしょ」「うっそぉ~、それって枕ってこと?」「でも、鈴本さんならあり得る (笑) 」と、ありもしないことを吹聴されていたからだ。


 悔しかった。自分が生まれ持ってきたもので、自分が後から努力して築き上げたことを、なかったことのようにされてしまうのが。


 私だって、この体つきに生まれたくて生まれてきたわけじゃない。身体や顔立ち、性別。そういう、どうしたって変えられない部分もたくさんある。


「……っ私なんかには、もったいないお言葉です。でも……」


 過去のことを思い出して、なんだかセンチメンタルな気持ちになった私は、零れ落ちそうなものを悟られないように、ぱっと顔を伏せて小さくうつむく。


 すると、それを見た部長が


「ん、どうした?なにか、不満でもあるのかい? 鈴本くん」


 と、話に割って入る。


「い、いえ……! ただ、私なんかでお役に立てるでしょうか……。その、まだ経験とかも全然浅いですし……」


「それなら心配いらないよ」


「え…?」


「うちからはもう一人、波島くんもそのプロジェクトに参加することが既に決まってるからね」


「えっ、そうなんですか⁉」


 私は、慌てて横を振り向く。すると、「まっ、そういうことだ」と言わんばかりに、ニカッという笑顔で親指をグッと立てて、軽くウィンクする波島さんの顔があった。


「キミも、一年目の時からずっとお世話になってる教育担当の波島くんと一緒なら、何かとやりやすいし、心強いだろう?」


「は、はいっ!」


 私は、コクコクと首を縦に振って頷く。そして、改めて


「……引き受けてくれるね? 鈴本くん」


「――はい。私でよければ、是非やらせてください!」


 という運びとなった。


         * * *


(新プロジェクトか~! どんな人たちとお仕事させてもらえるんだろ♪)


 その後。気が早い私は、これからのことについてあれこれと想像しては、社内で一人、浮足立っていた。


 だが、ふと「あっ…」と何かに気づくと、ぴたりと足を止め、道の往来で突然、この世の終わりかのように頭を抱えだす。


(ちょっと、待って…… でも、それって、もしかしなくても、しばらくワタリの配信にリアタイできないってことなのでは……⁉)


 新プロジェクトのメンバーに正式に選ばれれば、当然、今よりも業務は増える。それに、初めのうちは、顔合わせと称した飲み会も入ってくるだろう。


「………」


 全てを悟った私は、逆に360°回って、いっそのこと菩薩のような清々しい微笑みを口元に浮かべる。――その実、歯を食いしばり、心の中では滝のような涙を流しながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

バーチャルの海を渉って、キスしにきて。 雨下 @unknown_user

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ