~ side story 海堂の場合 ~

 ――はある日突然、ベランダに降ってきた。



「えーっと……今日は、23:00からお悩み相談配信の予定だから、今のうちにサムネや配信画像を作っておくか……」


 本日のスケジュールをざっと確認すると、独り言をぶつぶつ呟きながらコーヒー片手に、窓際に配置したゲーミングチェアにギシ…っと腰かける。


 そうして、マウスパッド脇に置かれた、ブルーライトもカットしてくれる眼鏡をスチャっと装着し、パソコンに向き直ってカタカタと配信準備を進めていた、その時だった。


 ――パサっ。


「ん?」


 自分のちょうど真横――ベランダの方から何かがぽとりと落ちる音がして、作業の手をいったん止め、カーテンの隙間からそーっと辺りを覗く。だが、その瞬間。


「な、な、なッ……⁉」


 椅子に座ったまま、思わず後ろへズザザーっとのけぞる。

 なぜなら、そこには明らかに自分のサイズではない女物のブラジャーが落ちていたからだ。


(だ、誰の……⁉ い、いや、なんであんな物がここに……⁉)


 疑問のタネは尽きなかったが、ひとまずアレをずっとベランダに放置するわけにもいかない。

 意を決すると、恐る恐る立ち上がって窓ガラスへ近づき、ガラガラーっと扉を横に引く。


(やっぱり、どう見てもブラだ……)


 改めて、落ちているそれを凝視する。


 ワインレッドの深い色合いに、さりげないレース。ただそれだけのシンプルなデザインで、特に柄とかもないが、それが余計に大人っぽいというか、やけに生々しい感じがする。


「………」


 触れるのすらなんだか躊躇われたが、そう言っていてもしょうがない。

 ベランダに置きっぱなしのつっかけに片足を突っ込むと、そっとそれを拾い上げた。


(デ、デカっ……! コレ、軽くHカップ以上はあるんじゃ……⁉)


 持ち上げた時の重量感、ふにっと手のひらに伝わる柔らかい感触に、思わずおののく。


 だが、すぐにそんな煩悩を打ち消すように首を左右へブンブン振って、本題へ戻ると、


(さて。問題は、これが誰の物なのかってことなんだけど――)


 と、思考を巡らせていたその時。


 急に風がぴゅーっと吹き抜け、真新しい柔軟剤の香りとともに、ベランダの衝立ついたての向こうから洗濯物がパタパタとはためく。


「あ……」


 そう、それは方角的に正しくお隣の二○二号室、夕実さんの部屋の方だった。

 どうやら、お休みの日を活用して一気に洗濯物を回したらしい。似たようなブラウスや仕事着っぽい服が洗濯竿にズラーっと並んでいるのが、こちら側からでも見て取れた。


(ど、どうしよう……⁉ 何も見なかったことにして、しれっと相手のベランダに投げ入れておくか⁉ で、でも、それだと、せっかく洗った下着が地面に落ちて汚れちゃうかもしれないし……)


 自分が今、手にしているのが顔見知りの人の下着だと分かった途端、変に意識して、露骨に挙動不審な動きを取ってしまう。

 一刻も早くコレを手放したいが、かと言って、雑な扱いをするわけにもいかない。そんな気持ちに板挟みにされていた。


 そうして、なるべく端っこの方を指でつまみながら、どうするべきかと一人で右往左往していたが、ふと、手にした下着を見て、素朴な感想を抱く。


(っていうか、夕実さんってこういうの付けるんだ……。ふわふわした雰囲気の人だし、もっとこう、小花柄とかリボンとか淡いカラーのイメージがあったけど、ちょっと意外……)


 なんてことを考えながら自然と、無意識のうちに下着姿の夕実さんを頭の中で想像してしまっている自分に気がついた瞬間、サーっと血の気が覚めていく。


「ハッ…!」


(なに考えてんだ、自分! ゆ、夕実さんでそんな想像をするなんて……! 相手に失礼でしょうが……!)


 そして、頭の中に広がったその妄想をかき消すように部屋の中へ勢い良く飛び込むと、なるべく頑丈そうな紙袋を奥から引っ張り出し、ビニール袋に入れたうえで、二重に包んだ。

 ……なんとなく、夕実さんに対する申し訳なさというか罪悪感から、袋の口をこれでもかってくらいキツく閉めて。


         * * *


 その後、挙動不審ながらも、なんとか下着を本人に返すことに成功すると、相手の反応を見ずにそのまま慌てて逃げ帰ってきた。


「はあ~~……」


 玄関にしゃがみ込みながら、盛大なため息を漏らす。緊張したせいで、変な汗をかいた。頬がぶわっと熱くなっているのが自分でも分かる。


(ど、どうしよ……。あんな想像をしちゃったせいか、妙に意識しちゃって気まずい……)


 考えるな…考えるな…と、自分に言い聞かせればするほど、その情景が鮮明に頭に浮かんでしまい、夕実さんの顔なんてほとんど見られなかった。


「はあ……。もう、次からどんな顔して会えばいいんだろ……」


 抱えた膝の間に顔をうずめながら、ため息とともに漏れたその呟きだけが、狭い玄関でこだましている気がした。

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