第5話

 お隣の海堂さんと、顔を合わせれば一言二言、言葉を交わすようになって、いくつか徐々に分かってきたことがある。


 年齢は、今年20歳になったばかりだということ。(奇遇にも、うちの妹とまったくの同い年だった!)


 学生と言っても、e – sportsやゲームを専攻とする学科に通う専門学生で、比較的、家にいる時間も長いということ。

 思わず「え~! 実は、私も某ゲーム会社に勤務しているんですよ」って伝えたら、「……そういうの、あんまり興味なさそうに見えたから少し意外」と驚きつつも、どこか嬉しそうにはにかんでいた。


 他にも、料理はあんまり得意じゃないらしく、しょっちゅうウーバー○ーツを頼んでいること。


 ……それと、見かけによらず煙草を吸っていて、時折、さらさらとなびくショートヘアーから、微かにほろ苦い残り香がふわっと漂ってくること。



 そんな付かず離れずの距離感で、海堂さんとご近所付き合いを続け、やっと少しずつ目が合うようになってきたかなぁ~? なんて思っていた、矢先のことだった。私たちの関係性が、わずかにその名前を変えたのは。


         * * *


 ――ピンポーン


「……誰だろ」


 その日は土曜日。

 平日は仕事に追われ、なかなか家事にまで手が回らない私も、さすがに前日の夜、タンスの引き出しの中に洗濯済みのブラとショーツが一枚もないことに危機感を覚え、ついに重い腰を上げることにした。


 午前中のうちに、溜まりに溜まっていた洗濯物を一気に回し、それらをベランダにズラーっと干し終え、「ふぅ~」と額の汗を拭いながら小さな達成感に浸りつつ、まったり一息ついていると、唐突に、玄関先でチャイムが鳴ったのだ。


(えー…? 最近、通販なんて頼んだ覚えないんだけどなぁ……)


 小首を傾げつつ、ひとまず玄関の方へ足を向ける。

 そして、無造作につっかけサンダルに片足を突っ込みながら、扉ののぞき穴をそーっと覗きこむと、見覚えのある顔があった。


「か、海堂さん⁉」


 だけど、なんだかいつもと様子がおかしい。

 耳まで真っ赤にし、心なしか瞳もうるうると潤ませ、挙動不審げに辺りをキョロキョロ気にしている。


(こ、これは…! なにか緊急事態なんじゃ…⁉)


 とっさにそう思った私は、慌ててガチャガチャ!と玄関の鍵を開けると、開口一番にこう尋ねた。


「ど、どうしたの、海堂さん⁉」


「あ……」


 しかし、海堂さんは出てきた私を見るや否や、余計にプシュー…っと顔を赤らめ、手を後ろで交差させて、なにやらもじもじしている。


「……?」


 どれくらい、その時間が続いたか分からない。だが、やがて絞り出すように、海堂さんがうつむいたまま、こう言った。


「あ、あの……コ、コレ……!」


 そう言って、海堂さんがおずおずと差し出してきたのは、なんてことはないスーパーとかコンビニのレジ袋だった。だが、なぜかムダに袋を二、三枚重ねにしてある。


「え? なんですか、これ……」


 そのあまりの厳重さに、全く心当たりがなかった私は、その場で何の気なしに袋をぱっと覗き込む。


 しかし、肝心の中身を目にした途端、思わず袋の口をバッ!と両手できつく閉じた。


「~~~っ!?!?」


 なぜなら、それはどこからどう見ても、私がさっきベランダに干したはずの、自分のブラだったからだ。


 しかも、こういう時に限って、おニューの可愛いやつじゃなくて、いい塩梅に使い古したやつ。


(いやいや、違う…! 問題はそこじゃないっつーの…! 完全に、み、み、見られたよね⁉)


 自分の思考にツッコミを入れつつ、首を左右にブンブン振る私。

 その様子を見て、フォローのつもりなのか、海堂さんが慌ててこう補足する。


「あ、あの…! 風でうちの方に飛ばされてきちゃったみたいで、それで、え、え、えっと…!」


 なぜか、海堂さんまで噛み噛みになりながら、説明する。


「本当はちゃんと中身が見えない丈夫な袋にでも入れて、ドアノブに掛けとこうかと思ったんですが、たまたま今、うちにそれしか無くて…! 万が一、誰かに見られたらヤバいし…。な、な、なんか、逆にすみません…っ!」


「い、い、い、いえ…! むしろ、お気遣いありがとうございます! (?) 」


 本当は一刻も早く、部屋の中へ引っ込んでしまいたかったが、なんとかその衝動を抑えて、私はヘラヘラと愛想笑いでその場を乗り切る。


 向こうも、さすがに耐えきれなくなったのだろう。それだけ言うと「じゃ、じゃあ…!」と、もげる勢いで頭をペコペコさせながら、帰っていった。


 私はなんとなく、海堂さんの姿が見えなくなるまでそれを見届けると、バタンッ!と慌ただしく扉を閉め、ビニール袋を胸に抱えたまま、ズルズル…と玄関にへたり込む。


「は あ゛あ゛あ゛、やっちゃったあああ! …あれ、待てよ? そういえば、あの時、なんで海堂さん赤くなってたんだ…?」


 ――思い返すのは、玄関を開けたあの瞬間。海堂さんが出てきた私を見るなり、ひどく狼狽していた時のこと。


 しばし、自分の胸に手を当てて「うーん、うーん」と考え込んでいた私だが、やがて、手に当たる、ふにゃんという柔らかな感触に気づき、


(……あ。そういえば、私、今ノーブラノーパンだったんだ)


 という事実に今更、一人で羞恥に悶え苦しんだのはここだけの秘密である。


         * * *


 その晩。

 いつものワタリの定期配信に備え、ノイズキャンセリング付きの高性能イヤホンと、キンキンに冷えた缶ビールを冷蔵庫から取り出してきた私は、そわそわと待機していた。


 そして、23時ぴったり――。


『こんばんわーたりっ! みんな、土曜日の夜、いかがお過ごしかな~? 今日はね、ツイ○ターの方で募集した、みんなのお悩み相談にボクが答えていっちゃうよ~!』


 それを聞いた私は一人、パチパチと両手を叩く。


「待ってましたー! えへへ。私が送ったやつ、読まれたりしないかなぁ?」


 というのも、当然、私もお便りを事前に送ってある。

 自分が書いたやつをワタリに読まれる妄想をしては、一人でニヤついていると、早速、一つ目の悩み相談がワタリによって読み上げられる。


『それじゃあ、まずはコレ! えーっと、なになに……「こんばんわたり、いつも配信楽しみにしております。」 こんばんわーたり! ありがとうー! 「相談なのですが、最近、年頃の姉貴がその辺にブラや下着を脱ぎっぱにしていきます。」 ほ、ほうほう……』


 一つ、また一つと、文章を読み進めていくうちに、なんだかワタリの様子や声のトーンがおかしくなっていく。しかし、お便りの内容はまだまだ続く。


『「自分も一応、思春期の男子なので、なんだか変な気持ちになってきてしまうため、やめてほしいです。ですが、面と向かって直接注意をするのも、それはそれで言いづらいです。どうすれば、やめてくれると思いますか? 何かアドバイスあれば、お願いします。」』


 ――その時だった。


 配信内にドンガラガッシャーン!という物音が響き渡り、それとほぼ同時に、アパートの壁の向こう側からドゴォン!と、凄まじい衝撃が伝わってきた私はぴゃっと飛び上がる。方向からして、お隣の海堂さんの方だ。


(か、海堂さん、大丈夫かしら……?)


 だが、今はそれどころではない。配信内こっちも緊急事態なのだ。


 急いで画面に目を戻すと、案の定、コメント欄も【今、スゴイ音してたけど大丈夫⁉】【な、何事⁉】と、騒然としていた。


 すると、しばらくして戻ってきたワタリがこう釈明する。


『ご、ごめんね~。ちょっと動揺しちゃって、椅子ごとひっくり返っちゃっただけだよ、大丈夫。え、えーっと、お姉さんに脱ぎ散らかした下着をやんわりと指摘する方法だったよね⁉ う、う~~ん。そ、そうだなぁ……』


 明らかに最初よりも歯切れが悪くなり、眉を八の字にさせて困惑するワタリ。


 最初は【ワタリ、どうかしたのかな】【大丈夫?】と心配していたリスナーだったが、有識者による【これはもしかして、単に恥ずかしがってるのでは?】という分析コメントが流れると、反応は180°変わった。


 そして、それは私も同じである。


(ブラの話題で照れちゃうワタリとか、解釈一致……!)


 私は密かに、何度も大きく頷くと、心のなかで一人ガッツポーズをしていたのであった。

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る