第4話

『じゃあ、まだダンボールの片付けとかあるから、今日はこの辺で早めに終わるね~。みんな、今日も聞きに来てくれてありがと! また明日ー!』


「はあ……もう終わっちゃった……」


 配信が終了し、真っ暗になったスマホ画面を呆然と眺めながら、私は一人ガタン、ゴトンと物寂しくなった電車に揺られる。


 いつもだったら、ちょうどワタリの配信を聞き終わるくらいの頃に、私も最寄り駅に到着するのだが、今日はいつもよりも配信が早く終わってしまったことで、絶妙な時間と暇を持て余していた。


(久しぶりだし、もう少し声聞きたかったなー…。でも、)


 まだ若干、物足りないような気持ちを抱えて、座席脇の壁に頭をこつんと預けつつ、


(…でも、ワタリ、最後に『また明日』って言ってた。これからはまた、毎日ワタリに会えるんだ…!)


 と、ほのかな希望に、胸がくすぐったくなるような感覚を覚える。


 というのも、ワタリの定期配信がなかったこの約一週間、なにを励みに明日を乗り切ったらいいのか、ほとほと困っていたからだ。


 ――『また明日』。

 失って初めて、その当たり前の挨拶がいかに当たり前じゃないか、また、バーチャルと現実の間には、越えられない広い海があることを思い知らされた気がした。


(…うん。また明日、ワタリ)


 私は冷めた携帯を愛おしそうに握りしめたまま、そっとその言葉を噛みしめるように心の中で語りかけると、だんだん重たくなってきた瞼をゆっくりと閉じた。


         * * *


「もう~~っ! 明日も普通に仕事なのに、寝過ごしちゃった……!」


 あれから、ほんの少しウトウトするつもりが、いつの間にか爆睡をかましていたらしい。

 ハッと気づいて、慌てて立ち上がった時には、ちょうど目の前で扉が閉まり、電車が最寄り駅のホームをスゥ―っと滑り出したところだった。


 結局、泣く泣くひと駅耐え忍び、次の駅で降りて引き返してきたというわけである。


(最近、なんだか寝つきが悪かったからなぁ……)


 なんてことをぼんやり考えながら、アパートの鉄筋の階段をカン、カンと急ぎ足で駆け上がると、階段の上ら辺に人影があった。ちょうど、位置からして自分の部屋の隣――。


「「 あ…… 」」


 相手も、こちらの足音に気がついてバッチリ目が合った。それはやはり、先日、隣に越してきたばかりの海堂さんだった。


 まさに今、コンビニへ行って帰ってきたところなのだろうか。

 その小さなお口の端には、アメの棒らしき部分を咥えており、片手には大きなロゴ入りのビニール袋、もう片方には鍵が握られ、ちょうど鍵穴に挿し込んだところだった。


「こんばんは~」


 そのまま後ろを素通りして、自分の部屋に引っ込むのも変だと思って、会釈をしながら軽く挨拶すると、少し間が空いた末に、相手もこう返す。


「……どうも。今、帰りですか?」


「あ、はい。いつもこのくらいの時間なんです。海堂さんこそ、こんな夜遅くにコンビニですか?」


「自分、夜行性なもので。この時間になると、小腹が空くんです」


「ふふっ、分かります。最近のコンビニって美味しいですもんね。特に、コンビニスイーツとか!」


(や、やばい……。頭の中で食べ物を連想したら、私も急にお腹が……っ)


 時刻はもうすぐ24:30。

 寝過ごして、いつもよりも帰宅が少し遅くなってしまったせいか、お昼から何も食べていない私の胃袋の空腹は限界に達していた。


 このまま、ここで立ち話していてはマズい。このお腹の虫が鳴りだす前に、速やかに撤退せねば…!


 そう思って、私は家の鍵をカバンの中からゴソゴソと手でかき分けて探すけれど、こういう時に限ってなかなかスッと出てこない。

 「…あれ? あれ?」と、一人で扉の前であたふたしているうちに、


 ――ぐぅぅぅぅ~~~っ。


 誤魔化しきれない私の腹の音が、閑静なアパートの廊下に響き渡った。


「「 ……… 」」


(や、やっちまったぁぁぁぁ!)


 内心、激しく頭を抱えつつ、いたたまれずに顔を真っ赤にしてうつむく私。

 すると、しばらくそれを無言でじぃーっと見ていた海堂さんが


「……好きなんですか。甘いもの」


 と、出し抜けに尋ねる。


「え? ま、まあ……」


(も、もしかして、スルーしてくれてる……?)


 訊かれるがまま、ひとまずそう頷くと、海堂さんは手にしていた袋をおもむろにガサゴソと漁り出す。そして、中からプリンを一つ取り出すと、スタスタこちらへ歩み寄り、それを私にひょいと手渡した。


「どうぞ」


「えっ、でも、それは海堂さんの分の……。そ、そんなのもらえませんよ!」


「……別に、そこまで甘いものが好きってわけじゃないので。長時間パソコン作業していると、たまに無性に食べたくなるだけで。それに、もうコレがありますから」


 そう言って海堂さんは、んべっと軽く舌先を出す。

 その、大人びた顔に似合わず、ちろっとした小さなべろと、着色料がうつって真っ赤に染まっている光景に、なぜだか妙にドキッとしつつ、私は食い下がる。


「で、でも……」


 年上なりに、メンツというものがある。ここはやはり、大人として、そうやすやすと甘えるわけにはいかない…!

 そう思って、丁重に断ろうとした矢先――。


 ――きゅるるるる。


 まるで、先ほどの大合唱の残響のように、高めの余韻を残して消えていく腹の虫。


「……っ!」


 もはや腹パンする勢いで、私はおへそをバッと押さえる。しかし、もう遅い。


 最初は、ポカンと口を開けてあっけに取られていた海堂さんも、「……ぷっ」と吹き出すと、顔をそむけて肩を震わせる。


「う゛ぅ~。わ、笑わないでください……」


 もう穴があったら入りたい。

 そんな思いで、両手で顔を覆い隠してひとり悶えていると、ひとしきり笑って落ち着いた海堂さんが、目の端を指で拭いながら言う。


「……ふっ、すみません。でも、夕実さんって美人だし、勝手に年上のデキるお姉さんって感じがして、なんか緊張しちゃってたんで」


(あ……。初めて会った時、やけに目が合わない気がしたのは緊張していたからなんだ……)


 そう考えると、少し素っ気ない感じも、ぶっきらぼうなあの態度も、合点がいく気がした。

 なんて、一人で振り返っていると、海堂さんがずいっと顔を近づけてきて言う。


「…でも、」


「?」


「意外とかわいいんですね」


「~~っ!」


 声にならない叫びが口から漏れる。

 だが、相手は最後にさらっと爆弾発言を投下していくと、「じゃ、おやすみなさい」と言って、自分の部屋へさっさと戻っていった。


 …若いってコワイ。

 廊下に一人残された私は、ずるずると脱力するように、その場にしばらくしゃがみ込んでいた。



 その後――。

 お風呂から上がってから、久しぶりに食べたそのプリンは、今まで食べたどのプリンよりも極上に甘く、口の中でとろけるようだった。

 そして、その晩。私は、自分でもびっくりするくらい、久しぶりに熟睡した。


 それからというもの、私たちは顔を合わせれば、軽く挨拶したり他愛もない世間話をするようになった。

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