AR事件簿
Knene[ネネ]
AR事件簿
小鳥のさえずりで目を覚ますと、日はまだ昇りきっていなかった。
私は、布団から起き上がると、ARレンズで今日の天気を確認してから洗濯機のスイッチを押し、ARレンズの透明度を10%まで落として、レシピ動画を再生しつつ朝食の準備を始める。今日はVRフレンドにおすすめされた新しい料理に挑戦している。
ARレンズは改良に改良を重ねられ、ここ一年で爆発的に普及率の上がった現代の最新発明品だ。いまや猫も杓子もARレンズを身につけている。
そうして作っていると、訪問者がやって来た。wifiを経由してドアフォンと接続してあるARレンズに顔が写しだされた。
スープの入った鍋をかき混ぜつつ、指で丸を作りARレンズのカメラに認識させた。マイクがオンになる。
「あら。おはよう」
「おはよう、お母さん。茄子とトマトがたくさんなったから持ってきたの。」
「ありがとう。鍵を開けるから入って」
ARレンズで操作して鍵を開ける。玄関内のカメラで娘が家に入ったのを確認して、また鍵をかける。茄子とトマトがどっさり入った袋を持った娘が現れた。
「ごはんは食べたの? まだなら食べて行きなさい」
「ありがとう」
*
朝食を食べ終えて、娘の家庭内の愚痴や近所の噂話を聞く。その中に変な話があり、私は眉をひそめた。
「@@さん家の旦那さんが子供を誘拐した?」
「そうなの。それで奥さんは離婚するって言ってるらしいの。子供は一週間で無事見つかったらしいんだけど、旦那さんは自分じゃないって言い張るし、奥さんは自分の目で旦那さんが連れ去るところを見たっていうの」
「奥さんが連れ去られるところを見たの」
「そうらしいわ。それにお子さんもお父さんだったって言ってるらしいの」
「でも@@さん家の旦那さんってとっても温厚でいい人じゃない?すこし気弱だけど。あの人がそんなことするかしら」
「そうだけど、旦那さんは出張中って奥さんに言ってたらしいんだけど、会社では有給を出してて、子供が誘拐された一週間どこにいたのかわからないの」
話しながらARグラスに登録してある電話帳から@@さん家の旦那さんの顔を見た。頼りなさそうな細身の男性がおどおどとこちらを見ていた。
*
娘が帰った後、洗濯物干しと昼食を終えて窓の見える部屋で麦茶を飲んでいると、ドアフォンが鳴った。
「ねねさん!」
「あら、##さん。こんにちは。桃でも食べて行って頂戴」
「聞いてよ。私情けなくて……」
##さんは私の顔を見るなり泣き出した。わたしは##さんのARレンズを外して涙を拭いてやる。
「息子が自動車事故でお金に困ったって電話してきたからお金を用意したのに、この前家に行って、わざわざ嫁さんに見つからないように気をつかいながら『いつ返してくれるの』って言ったら『そんなの知らない』っていうのよ!」
「まあ」
「私びっくりして、それから怒りが湧いてきて、『なにとぼけてるの』って叱ってもしらを切るばかりで、最後にはボケを疑うフリまでしてくるの! そんなふうに育てた覚えないのに、私情けなくなってきちゃって……」
「大変ね。でも本当に息子さんだったの?」
「ええ!この目で見て手渡したの。わざわざ私の家まで来て受け取っていったのにとぼけるばかりで……。それにね、受け取ったときだってありがとうもなにも言わずに引ったくるようにお金を持っていったの。そんな風に育てた覚えはないのに……ほんとにあの子は」
私は##さんの話を聞きつつ食べている桃の甘さに感動して、思わずARグラスで購入履歴を確認した。いまの桃ってこんなに甘いのね。
*
日もすっかり落ちてわたしは今日はVRにログインする気分ではなかったから、ARグラスの拡張機能を見ていた。電話もネットもARレンズでできるようになっているが、一年で爆発的に普及したARレンズは開発元が多様化したニーズに応えきれず、基本機能以外は拡張機能の開発を専門とするベンチャーや、プログラミングのできる個人にまかされている。その分、不具合の多い拡張機能や悪意のあるプログラムの入ったものもある。もちろん、ARレンズ開発元は規制をしようとはしているが、追い付いていないのが現状だ。各個人が信頼できる会社や個人を見つけるしかないようになっている。
私は日本語で説明書きがされているものだけではなく、英語版、フランス語版と海外で開発された拡張機能も読んでいく。海外のものは危ないと一般的に言われるが、日本でもクリーンな人と怪しい人がいるように海外でも同じだ。拡張機能開発者がSNSと連携して身元を明かしていたりする人なら危険度は低い。
その中で気になる拡張機能を見つけて私は手を止めた。「Switch face」とタイトルがある。機能説明動画を見る。それは何枚かの写真があれば、ARレンズで特定の人の顔を別の人の顔に変えられる機能だった。つまりAさんの写真を何枚か手に入れればARレンズ越しにBさんをAさんとして見ることができるという拡張機能だった。おもしろ、ギャグ機能としてタグがついている。私は今日聞いたふたつの話を思い出して咄嗟にふたりに電話した。一人は@@家の奥さん、もう一人は##さん。
次の日、二人が不安そうな顔で訪ねてきた。私は二人にお茶をだして言った。
「さて、」
私は私の考えを二人に話した。
*
数日後、縁側でぼんやりとしていると、@@家の奥さんと##さんが揃って訪ねてきた。
二人とも問題が解決してすっかり落ち着いた表情だ。お菓子をつまみお茶をすすりながら談笑していたが、思い出したように二人は言った。
「それにしても、よく分かったわね、ねねさん」
「なあに」
「相談した話よ」
「お金を取りに来たのが息子じゃないってよくわかったわね。」と##さん
続いて@@さんの家の奥さんも「わたしの旦那の話も、人づてに聞いただけなのに」といった。
「あなたたち二人に起こったことはほぼ一緒のことだったから」
そう、きっと私じゃなくても気づいただろう。あの「Switch face」拡張機能さえ知れば。
二人に起こったことは犯人やその動機は違えど同じことだ。
まず、犯人がターゲット(この場合、@@さん家の奥さんや、##さん)のARレンズにハッキングしてswitch faceをインストールする。
その後、犯行のタイミングで、switch faceを起動し、顔を別の人の顔に見せる。
そうすれば、自分ではない誰かに罪をなすりつけることができるのだ。
私は、自分の予想を話した後、私たち三人でARグラス開発社のサポートセンターを訪ねた。
詳しく調べてもらったところ、二人のARグラスからハッキングされた痕跡が見つかったという。
開発社と私たちから警察に情報提供したところ、捜査方針が見直され、真相解明へと至った。
@@さん家の旦那さんは不倫中だったようで、一週間不在だったのも不倫相手といたらしかった。今回の誘拐事件は不倫相手とその知人の仕業らしかった。なんでも、旦那さんが子供を理由に離婚しないのにしびれを切らした不倫相手が子供を殺害目的で知人に誘拐させたものの、知人の方が怖気つき、大事にはいたらなかった。
##さんは、昔ながらのオレオレ詐欺の発展形に引っかかったらしく、近くの防犯カメラから、犯人の姿が確認され、無事逮捕と至った。お金は戻ってこなかったものの、息子さんの仕業ではなかったことにほっとしているようだった。
二人の感謝を受け、恐縮しつつこれからはお互い気を付けましょうねと締めくくった。私だって他人事じゃなかった。家のほぼすべての機能をARレンズと連携している。もし、インターホンの機能をハッキングをされ、訪ねてきた人の顔を変えられたら、と思うと背筋が寒くなった。
レトロなオフラインのインターホンをもっと活用した方がいいのかもしれない。
*
夕ご飯とお風呂を済ませて、私はいそいそと家に設けてあるVRスペースに入った。ここ数日は@@さんの奥さんと##さんの話を聞いたり、警察の質問に答えたりと色々忙しかったのだ。
二つの磁気カメラが対角線上に設置されている。全身トラッキングのために指輪、腕輪、足輪、それからベルトを着ける。最後にARグラスをVRモードに変更して、仮想世界にログインした。真正面にある鏡の中でアバターの姿を確認した。金髪に改変した犬耳っ子がにっこりと笑って私を出迎えた。
END
AR事件簿 Knene[ネネ] @Knene
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