パンスペルミア

大橋 知誉

パンスペルミア

「着陸ポイントを目視しました。」


 操縦士のクオンが、母船であるディスカバリー号の船長デイヴィッドに報告している声を聞きながら、アリスは 小惑星 l/2522 Q1 通称 《デーヴィー》 の岩だらけの地面に魅入っていた。

 クオンとアリスが小型の調査船に乗り込み、母船ディスカバリー号から離れてから約40分が経過したところだ。


 《デーヴィー》 は、直径110メートル、全長800メートル、表面が岩石で覆われた葉巻型の天体だ。

 ごくありきたりに見える 《デーヴィー》 は、遥か彼方から気が遠くなる年月を旅して太陽系内に突入してきた恒星間天体なのだった。


 小惑星調査のエキスパートであるアリスは、これまで何度か恒星間天体を含む小惑星や、ガスを噴き出している彗星にも着陸した経験はあったが、《デーヴィー》 は特別だった。


 実のところ、恒星間天体は毎年のように飛来してきているし、それだけではさほど珍しくはないのだが、《デーヴィー》 はその軌道に少々不自然なところがあるのだ。

 内部から何らかのエネルギーを噴射し、進行方向を調整しているとしか思えないような動きをしている。それが 《デーヴィー》 だった。


 今のところ、《デーヴィー》 は太陽系内の主要な惑星を巡っているようだった。


 まるで観光をしているように。


 人類は、この天体が系外文明由来のものという可能性も含め、どのような意図で太陽系にやってきたのか、早急に見極める必要があると判断した。


 そんな経緯でアリスたち調査隊は派遣された。


 ディスカバリー号の乗組員は、船長のデイヴィッド・ナラ、調査責任者のアリス・デンバー、操縦士のレ・ヴァン・クオンの3名である。


 数週間の旅を終え、木星付近を浮遊している 《デーヴィー》 とのランデヴーに成功したのが昨日の午後だった。


 そして、今、アリスとクオンは小型船で 《デーヴィー》 への着陸を試みているところなのだ。


「近くで見ても、天然起源の天体にしか見えないわね。」


 アリスは 《デーヴィー》 から目を放さずにクオンに話しかけた。

 あれが人工物なのかどうかは、着陸してみないと解らないだろう。


 アリスとクオンはこれまで何度も一緒に各種小惑星に着陸し地質調査を行って来た。


 前回着陸した暴れん坊の彗星に比べると、《デーヴィー》 は今のところ派手にガスを噴射している様子もないし、回転も緩やかな大人しい天体なので、着陸は比較的容易であろうと予測された。


 ただし、これが系外文明由来のものであった場合、予想外の事が起こる可能性もある。

 アリスとクオンは最も高い警戒レベルで着陸に試みる予定となっていた。


「あと4分で着陸が完了する。準備はいい?」


 クオンが言った。アリスは彼の方を向いて頷いた。


 調査船は音もなく静かに 《デーヴィー》 に着陸した。


 規定に基づき、二人は15分間、このまま船内で待機をする。

 この間に何事も起こらなければ、まずは小型ローバーを先に出し、必要な調査をさせる。

 それから、安全の確認ができた後にアリスひとりが船外へ出て調査を行う段取りとなっている。


 待機中の15分間は会話も禁止されているので、アリスは目を閉じて耳からの情報だけに集中した。

 隣でクオンが静かに呼吸をしている音がした。


 クオンは何かあったらすぐに飛び立てるように噴射スイッチに指を乗せているだろう。見なくてもアリスにはその姿勢がわかるのだった。


 クオンの呼吸音と自分の鼓動と呼吸の音。それ以外の音はしない。外から来る振動も何も感じられなかった。


 何となく、向こうも息をひそめてこちらの様子を覗っているように思えた。


(何をしに来たの? 悪さをするつもりなら、ゆるさないよ。)


 アリスは心の中で、居るのか居ないのかわからない相手に話しかけた。


 15分待ったが何も起こらなかったので、ローバーを下ろした。

 ウサギ型のローバー、ラビットがでこぼこの 《デーヴィー》 の上を走って行った。


 ラビットが採取したサンプルは、この地面がありきたりな斜長石やクロム鉄鉱の岩石であることを示していた。

 大気はない。


 また、表面の重力もこの天体の大きさに対して通常の値だった。

 つまり、体感的には重力はほぼないに等しい。


 ただ、表面の打検による結果が少々異常だった。

 この天体を叩くと、まるで金属を叩いた時のような反響があったのだ。

 さらに、超音波による検査を行ったところ、この天体の内部に大きな空洞があることがわかった。


「このデータを見ると、この天体が天然由来のものではない可能性も考えられるね。どうする? 降りてみるか?」


 クエンがラビットのデータを眺めながら言った。


「私は降りてみたいと思っている。船長、どうします?」


 しばらく沈黙の後、ディスカバリー号からデイヴィッド船長の声が届いた。


「5分間だけ、調査船の真下のみを調査してみてくれ。ハーネスは外さないように。」


「了解。」


 そう言うと、アリスはシートベルトを外してグイっと身体を持ち上げた。

 彼女の体はふわりと浮いて、そのまま機内に漂い出た。


 慣れた手つきで天井にある手すりに摑まると、アリスは船の後ろのスペースへとスッーっと移動した。

 そこには船外に出るために必要な設備がコンパクトに収まっている。


 アリスはハーネスを装着し、小型の酸素ボンベを背負うと、ヘルメットを小脇に抱えて足元のハッチを開けた。

 そこには人ひとりがようやく入れるほどの小さな小部屋があった。


「じゃあ、行ってくるね。」


 アリスがクオンに手を振ると、クオンも手を振り返し「気を付けて」と言った。


 下の小部屋に入り、ハッチを閉める。

 宇宙船の出入口は、中の空気を漏らさないように、このように二重構造になっているのだ。


 ヘルメットをかぶり、酸素をオンにする。

 壁から伸びているワイヤーをハーネスに取り付け、最後にヘルメットから出したグローブをはめた。


「よし。」


 アリスは自分自身に気合を入れると、勢いよくこの部屋に唯一あるボタンをグ―で押した。


 シューっという音と共にアリスの体の周りにそよ風が流れ、部屋の空気が抜けて行った。

 やがてこの部屋の空気圧が外と同じになると、ゆっくりと足元の床が階段状になりながら開いて言った。


 《デーヴィー》 の地面が見えた。地球の岩場と言っても差し支えないくらい、ありきたりな感じだ。


 階段が伸び切ると、アリスはゆっくりと地上へと降りて行った。

 地球に比べると、重力が極端に少ないので、アリスの体はふわりふわりと、まるで風船が落ちていくように階段を降りて行った。


 地面に到着し、アリスは調査船の陰から空を確認してみた。


 《デーヴィー》 の空は真っ黒だったが、振り返るとそこには巨大な木星が鎮座していた。


(やっぱり、観光するなら木星には寄らないとね。)


 アリスはその光景を眺めながら思った。

 視線を動かすと、向こうの方にラビットが走り回っているのが見えた。

 ラビットは特殊な構造になっていて、重力がほとんどなくても地面を走れる。


≪アリス、どうだ? 変わったことはあるか?≫


 クオンの声が耳元のスピーカーから聞こえて来た。


「何も。ちょっとだけ船の影から出てみていい?」


≪許可しよう。≫


 今度は母船からデイヴィッド船長の声が言った。


 アリスは自分を繋いでる命綱を少し引っ張って接続を確認してから、一歩足を踏み出した。


 その瞬間だった。


 グラリと地面が傾き、アリスの体は横倒しに倒れてしまった。


 急に重力を感じ、アリスが体を起こすと、彼女は見知らぬ部屋の中にいた。


(これは…? どういうこと?)


 彼女は大きなフカフカのベッドに横たわっていたのだ。

 正面には大きな窓があり、心地よい風がカーテンを揺らしている。

 その向こうは美しいビーチに続いているようだった。


「クオン? デイヴィッド?」


 仲間を読んでみたが返事はなかった。

 耳に手を当てて、はたと気が付いた。


 ヘルメットをしていない!


 それどころか、ボディースーツも着用しておらず、タンクトップにパンツの下着姿になっていたのだ。


(気を失って夢でも見ているのだろうか?)


 アリスはベッドから降りると、窓際に歩いて行った。

 この部屋には地球とほぼ同じ重力があるようだ。


 窓のすぐ外には背の低い植物が生えていた。

 地球でよく見る植物のように見えた。


 その向こうは砂浜になっていて、穏やかな波打ち際がキラキラと光っている。


 半分開いた窓から心地よい外の空気が感じられた。


(これは私が見ている夢ではなさそうね…。)


 アリスはだいたいグロテスクな夢ばかり見るのだ。

 これが夢だとしても、こんな爽やかな世界は彼女由来のものではないだろう。


「気に入ってくれましたか?」


 急に後ろで声がしたので驚いて振り返ると、一人の少年が立っていた。


 少年? いや違う? 少女?


 その人物は、ぱっと見、男女の区別がわからなかった。


「あなたは?」


「私はあなたの担当になった者です。あなた方が使っているような名前はないんですけど、ルカとでも呼んでください。」


「じゃあ、ルカ…。ここは何?」


「ここは、あなたたちが 《デーヴィー》 と呼んでいるものの中です。“船” と言ったところでしょうか。意味が通じますか?」


(やはり… 《デーヴィー》 は宇宙船だったのか?)


 アリスは頷いた。


「少しの間、あなたにはここに留まって、普段通りに生活してもらいます。その間に、あなたの生体について調べさせてもらってもいいでしょうか? あ、不快なことはしません。あなたはだた、ここで生活してもらうだけでいいのです。」


「拒否することもできるの?」


「できません。」


 ルカは満面の笑みで答えた。


(なるほど…。私はこの得体の知れない奴に捕獲されたのだ。)


「ほんの数日ですよ。その間、あなたが退屈しないように、私が何でも話してあげます。あなたたちは知る権利を取得済みです。」


「じゃあ、ひとつお願いを聞いてくれないかしら?」


「何でしょう?」


「ここには、私以外にもあと二人の人間が来ている。」


「知っています。」


「彼らには一切手を出さないでほしい。」


「もちろんです。あなたも調査後にちゃんとお戻しします。」


 そう言ってルカはクスクス笑った。

 全く信用ならないと思った。


 しかし、ここからどうやって脱出できるのか皆目見当もつかなかったし、これが現実なのかもいまいち解らなかったが、万が一これが本当に起きていることだとしたら…。

 アリスの態度次第では全人類を危険にさらすことにもなりかねない状況だった。


(これは、友好的な態度を取っていた方が無難だわね。)


 アリスは腹をくくることにした。


「いいわ。あなたの言う通りにする。」


「この部屋にはあなたが生活に必要なものを全て揃えています。もしも足りないものがあったら言ってくださいね。すぐ用意しますから。」


 アリスは一通り部屋の中を見てまわった。

 クローゼットにはいくつかの服がかかっていた。どれも白い服だった。

 その中からアリスはTシャツと短パンを手に取り着た。


 部屋の反対側には簡易的なキッチンがついており、冷蔵庫もあったので開けてみるとアリスの好きな飲み物やフルーツが入っていた。


「食事はこちらで用意します。ここにある食べ物や飲み物はお好きな時に利用してください。」


 この部屋にはトイレと風呂もついていた。

 風呂は外のビーチが見える美しい作りだった。


 まるでリゾート地のホテルのようだ。きっとそのような情報を参考にしたのだろう。


「昼食、まだでしょう? 食べてみてください。」


 ルカが手招きするので行ってみると、窓際のテーブルにおいしそうなパスタが用意されていた。

 どうやって作ったのか想像もできなくて、食べるのには少々勇気がいりそうだった。


「これ、どうやって作ったの?」


「安心してください。あなたたちの食べ物の成分を調べて完璧に再現しています。製造工程は異なるかもしれませんが、完成したものは、あなたが知るものと全く同一のものです。」


 安心してください、と言われると余計に不安になるが、ここで数日間生活しないといけないとなると食べないわけにはいかない。

 アリスは勇気を振り絞って出されたパスタを口に入れた。


 食べた感じは、普通のパスタだった。


 いや、普通ではない。今まで食べた中で一番おいしいパスタだった。


 アリスはペロリとパスタを平らげた。


「気に入っていただけましたか?」


 ルカがニコニコしながら言った。


 アリスはしぶしぶ頷いて見せた。


 お腹がいっぱいになると、今度は眠くなってきた。

 地球を出発してから、ほぼ休みなしだったのだ。


 これをつかの間の休日と捉えてもいいのかもしれない。


 アリスは部屋の真ん中にドーンと置いてある大きなベッドに倒れ込むと、すぐに寝息を立て始めた。

 それを、さも興味深い…といった感じでルカが見守っていた。


 目を覚ますと夕方になっていた。


 ベッドの端にルカが座ってこちらを見ていた。


「ずっとそこで見ていたの?」


 アリスの問いに、ルカはにっこりと微笑んだ。


 ベッドから降り、窓辺に行って外を見ると、見事な夕日になっていた。

 どういう仕組みになっているのだろうか?


 仮想現実?


 こうしている間にも、アリスの身体は検査されているのだろうか?


 人間には解りそうもない技術が使われているのだろうと予想された。


「あの海で泳いでもいい?」


 アリスが外を指さしながら聞くと、ルカは頷いた。


 アリスは着ていた服を全て脱ぎ捨てて、窓をあけると外に出た。

 外は部屋の中よりも少し暖かく感じたが、暑くもなく寒くもない、ちょうどよい気温だった。


 手前の植物の上を歩き、砂浜に出た。


 とても自然だった。

 海はどこまでも続いていそうだった。


 波に足を入れると、海水は温水プールくらいの温度だった。


 そのまま海に中に入り、アリスは波に揺られながら泳いだ。

 どこまで泳げるのか試そうとも思ったが、何だか無駄な努力になりそうだったので、やめた。


 海の中には生き物はいないようだった。

 ただ砂と波があるだけだ。


 海の水は海水と同じくらいの濃度の塩辛さだった。

 これが本当に塩なのかは不明だが、既にここで食事をしてしまったアリスだ。

 細かいことを気にすることはやめにした。


 アリスは岸の近くでバシャバシャと泳いで遊んだ。


 こんなに無邪気に泳いだのは子どものころ以来だった。


 やがて日が暮れてきたのでアリスは部屋に戻った。

 そしてそのまま風呂に入った。


 さすがにルカは浴室まではついてこなかったが、とにかくずっとこの部屋に一緒にいるつもりのようだった。


 人間味のない相手だったので、ずっと部屋の中に居られても特にストレスには感じなかったが、まだ少し気味悪さはあった。


 風呂から出ると夕食が用意されていた。

 アリスの大好きなハンバーグステーキだった。


 アリスはクローゼットにある服から、ゆったりとしたワンピースを選んで切ると、夕食を食べ始めた。

 ルカは黙ってアリスの向かいに座った。


「あなたは食べないの?」


「一緒に食事をしたければ食べますけど?」


 アリスは首を振った。


「じゃあ、一人で食べるのが寂しくなったら食べてもらう。今はいいや。」


 ルカはにっこり微笑んだ。

 その笑顔は子どもにも見えるし、大人にも見えるし、老人にも見えた。もちろん性別もわからない。

 人類の全ての要素がまざったような姿なのだった。


 それがとても美しく見えた。

 確か、全人類の平均の容姿を作ると絶世の美女美男ができあがると聞いたことがある。


 ルカは美しき者…ではなくて、人類の ≪平均≫ なのだ。

 人類は平均を美しいと思うようにできているのか…。


 用意されたハンバーグを食べていると、じっと黙ってこちらを観察しているルカの視線が気になって来た。

 さすがにジロジロ見られながらの食事は気まずい。


 アリスはルカとお喋りしてみることにした。


「私たちは知る権利を取得済って言っていたけど、何でも答えくれるの?」


「こちらが知っている範囲であれば。」


「あなたたちは…その…太陽系外から来たのよね?」


「そうです。」


「どこから来たの?」


「ここです。」


 目の前に画面が表示された。エアーモニターはアリスたちも普段使っているが、ルカが出したものは、驚くほどくっきり見えた。


 画面に地図のようなものが表示され、その一部が点滅していた。

 一般人が見たら何だかさっぱり解らなかったかもしれないが、アリスは宇宙飛行士である。一発でそれがこの銀河系の図であると理解した。


「ここは…鳳凰座の方向ね。」


「WASP-4b…あなた方はそう名付けていました。」


 WASP-4b…アリスは記憶の片隅からこの言葉の情報を引き出した。


「それは、確か、系外惑星の名称ね。」


「そうです、私の故郷の星はそれではないのですが、同じ星系から来ました。」


「何のためにここまで来たの?」


「ここ、太陽系の生命の調査のためです。」


「ここに生命がいるってどうやって知ったの?」


「教えられたからです。」


「誰に?」


「私にこの仕事を託した者にです。」


 どんどん解らなくなっていくので、 質問の方法を変えた方がよさそうだとアリスは判断した。


「私たち…、ルカや私たち以外にも生命がいる天体はあるの?」


「あります。たくさん。」


 これは、地球にいい土産話ができた…とアリスは思った。本当に無事帰れるとしたらだけど。


「それならば、ルカたちはいろいろな星の生命を調査しているの?」


 ぜひ他の星の生命について聞きたいと思った。

 ところがルカは首を横に振った。


「私の星で生命の調査に出たのは私一人です。他の星にも 《デーヴィー》 と同様の船が行っているとは思いますが、私はそれらについて何も知りません。」


「…?ん? どういうこと?」


「あなたたちの時間で、およそ千年くらい前です。私たちの星系にもこの 《デーヴィー》 と似た船がやってきました。我々も、外からやってきた船を調査しに向かいました。そして、いま、あなたがこうしているように、私も船の中に取り込まれたのです。」


 それからルカがアリスに語ったのは、実に驚くべき話だった。


 アリスと同様に船に捕らえられたルカは、そこで別の星から来たという異星人に出会った。

 それは、しばらくの間、ルカと生活を共にして何かを調査した後、ルカにある選択を提案してきた。


 それは、そのまま故郷の星へ戻るか、それとも共に来て星々を巡る旅に出るか…というものだった。

 それでルカは共に旅をすることを選択した。


 太陽系はルカが調査に来た初めての天体だと言う。だからルカには、他の天体の生命についてはほぼ知識はない。


「あなたの生体調査が終了するとき、あなたにも同じ選択を提案することになっています。考える時間はたくさんありますが、今の内から考えておくといいでしょう。」


「先にそのことを話しちゃってよかったの?」


「問題ありません。」


「あなたは、千年もひとりで旅をしているの? 人間の寿命はそんなに長くはない。人間にはできない仕事じゃない?」


「この中では時間はあってないようなものなのです。私の本来の寿命もそんなに長くはないですよ。どういう技術なのか私にも解ってはいませんがね。」


 夜も更けてきてしまったので、その日の話はそこで終わりになった。


 翌朝。アリスは起きるとすぐにひと泳ぎして、ゆっくり風呂に入ってから、軽食を取った。

 ルカに質問したいことがやまほどあった。


「太陽系に来て、これまでに調査してわかったことを教えてくれる?」


 異星人から見た人類の印象に大変興味があった。


「いいですよ。まず、この星系で生命活動が確認された天体は二つあります。」


「二つ?!」


 いきなりすごい情報が来た…。


「はい。二つです。一つは、このすぐ近くです。」


 ルカが画面を表示した。それは、木星の衛星のひとつを指していた。


「これは…エウロパ?? エウロパに生命がいるの?」


「いますよ。地下の液体になっているエリアにうじゃうじゃいます。」


 いるんだ…、うじゃうじゃと… エウロパに………。


 確かに、昔からエウロパには生命の可能性が言われてきた。

 しかし、調査するには地底の海に入る必要があり、そこの環境を破壊してしまうリスクが高すぎて、誰も手出しができずにいたのだ。


 アリスは、地下の海の中を泳ぎ回る奇想天外な生物を想像した。


「もう一つは、もちろんあなた方の星です。私は、この二つの星の生命を調査しにやってきました。」


「なるほど…では、エウロパの方の生命についてわかったことを教えて。」


「はい。その星…エウロパの生命には、我々の基準で “文明” と呼べるものがありません。原始的な生命が多くを占めています。閉ざされた空間であまり進化もしてこなかったようです。情報によりますと…あなた方の時間で約50億年まえにまかれた ≪パンスペルミア≫ 起源の生命と断定されました。」


「パン…? 何?!」


「≪パンスペルミア≫ です。この言葉は通じませんか?」


 アリスは首を振った。聞いたことがあるような気もするが…。


「では、≪パンスペルミア≫ について説明を試みます。わからなくなったらすぐ言ってください。」


 アリスが頷くと、ルカは説明を続けた。


「この銀河系の生命の約80%は ≪パンスペルミア≫ 起源だと言われいます。これは…何と言うか、生命の種みたいなものです。あなた方の時間で、およそ50~100億年前に ≪パンスペルミア≫ がばら撒かれ、この銀河は生命にあふれる場所となったようです。」


「誰がばら撒いたの?」


「わかりません。」


「《デーヴィー》 の技術も、そのパンスペルミア? をまいた人たちが作ったの?」


「違います。《デーヴィー》 が作られたのは、ここです…」


 そう言いながら、ルカが画面で位置を示した。シリウスを指していた。


「ここに住む者たちが、≪パンスペルミア≫ の存在を最初に発見しました。それで、生命の起源を探すためにこうして調査に出たのです。」


「各星系の人を拉致しながらね…。」


「拉致はしません。お誘いしています。」


「じゃあ、生命は自然発生的に生まれたのではなく、誰かが意図的に作った…と、あなたたちは考えているのね。」


「≪パンスペルミア≫ 起源の生命についてはそう言えます。しかし、≪パンスペルミア≫ 起源ではない生命も銀河系には存在することが知られています。それらは、何が起源がわかっておらず、自然発生的なものもあるでしょう。実は、あなた方も、そのひとつなのです。」


「どういうこと?」


「あなた方の惑星、地球の生命は、≪パンスペルミア≫ 起源ではありません。今のところ、他にあなたたちと同様の生命は見つかっていません。とても違っています。」


「じゃあ、エウロパにいる生物と私たちは違っているということ?」


「全然違います。あなたたちは、遺伝子というものを持っていますね?」


 アリスは頷いた。


「そこです。この遺伝子というものが、あなた方の最大の特徴です。こんなものを持っているのは、あなたたちだけです。」


 再び画面が表示され、遺伝子の構造が映し出された。これはアリスもよく知るものだ。


「これは、あなたから採取した遺伝子のスキャン映像です。有機物でできていますが、これは、4進法で書かれたプログラム言語です。…ちゃんとあなたに伝わるように翻訳されていますか?」


「ええ、わかる。我々の遺伝子が4進法でできているのは知っている。」


「体の中に、こんなに大量の情報を、しかもプログラム言語で持っている生命は、他にまだ発見されていません。あなた方は、生きている構造物としか言いようのない存在なのです。」


 生きている構造物…?


「≪パンスペルミア≫ は、この銀河の外で作られたというのが現在の定説となっています。そして、あなた方の発見で、よりその可能性が高まってきました。あなた方は少なくとも50億年ほど前には存在していたようですが、その時代にこんなものを作れる技術を持った文明は、我々の銀河系には存在してなかったはずなのです。」


「ちょっと待って、私たちは、誰かに作られたことは決定なの? 自然発生ということはあり得ないの?」


「それはあり得ません。だって、これですよ?」


 もう一度、ルカは遺伝子の画像を見せてきた。アリスにとってはお馴染みのものだが、彼らにとってはとんでもない代物なのかもしれない。


「あなたたちも自分たちで経験しているはずです。この遺伝子を書き換えて新しい状態の個体を作り出すことができることを。こんなふうに改造が可能な生命が自然発生的に出現するはずがないじゃないですか。」


 言われてみればそうである…。人類は遺伝子の存在を発見した時点で、そのことに気が付くべきだったのかもしれない。

 これがさも当たり前として今まで生きてきてしまった。


 今日の対話はここまでとなった。

 あまりの情報量にアリスは頭がパンクしそうだった。


 パンスペルミア!? 何なのそれ!!!


 翌日。アリスは少し頭を休ませたかった。


 そこで、ルカに頼んで各種食材を用意してもらい、料理をすることにした。

 食材は、見た目は本物だったが、恐らく料理と同様にどうにかして作ったものらしかった。


 それでも料理をすると、気分転換になった。


 すっかり気分をよくしたアリスは、無意識に鼻歌を始めた。


 すると、急にルカが興奮した様子で、アリスの顔を覗き込んで来た。


「何?」


「今の!? 歌…ですか?」


「そうだけど…?」


「もう一度、お願いできますか?」


 ルカが言った。アリスは少し考えてから、試してみたいことをルカに相談してみた。


「ねえ、ルカ。あなたは、地球にあるものを何でも再現できるの?」


「私ではなく、《デーヴィー》 がやります。物質的に再現するので、生き物を生きた状態では再現できませんが、それ以外なら概ね再現できると思います。」


「じゃあ、私たちは歌う時に “楽器” という道具を使うことがあるんだけど、それを出してほしい。どうしたらいい?」


「では、その楽器を想像してみてください。検出しますので。」


 アリスは自分の使っているアコースティックギターを想像してみた。


「解析しました。再現します。」


 ルカが後ろを指さしたので振り向くと、そこにはアコースティックギターが置いてあった。

 手に取ると、まるで本物と同じだった。


 アリスの持っているものとは違うギターだったので、アリスのイメージしたものをそのまま再現しているわけではないことが想像できた。


 思考を読み取り、それを元に情報を収集して再現すると言った感じなのだろうか?

 確かに、それならばアリス本人が何か勘違いしていても、正しいものが完成する。


 ポロリンとアリスはギターを弾いてみた。

 チューニングがあっていなかったので、調整した。

 その様子をルカは興味津々で眺めていた。


 準備が整うと、彼女は唯一弾き語れる曲『アメージング・グレース』を歌った。

 これは何百年も前の歌で、彼女が母親から教わった歌だった。



 歌い終わり、ルカを見ると、何とも言えない表情をしていた。

 まさか、気分を害してしまったのではないか? アリスが少し不安に思いつつ、ルカの反応を待っていると、意外なことに、ルカはハラハラと涙を流し始めた。


 アリスが驚いていると、ルカは涙を拭いて、にっこりと微笑んだ。


「アリス。あなたの歌は素晴らしいです。私は感情が揺さぶられて故郷のことを思い出しました。」


「歌にはそういう効果がある。異星人にも伝わるとは驚きだわ。」


「私は、あなた方のように空気の振動を解析して意思疎通をする器官と能力を持っていません。だから、あなたの歌を直接聞くことはできません。私は、《デーヴィー》 が私のために変換したあなたの歌を聴きました。それでも十分に効果があります。今、私がどれほどあなたの歌を直接聞きたいと思っているかわかりますか?」


「私もできることなら直接聞いてもらいたかった。」


「私は、少々感傷に浸ることになりました。あなたから見て、私はそのような表情をしていますか?」


「そのような表情をしている。」


 アリスとルカはにっこりと微笑みあった。


「私なんて、歌に関してはただの素人だわ。地球には歌を専門にしている人たちもいる。」


「ええ、知っています。私はこれまでに、あなたたちの歌を聴いたりはしていていました。しかし、こうして目の前で歌ったもらうのは、まるで別物です。」


 これは、もしかしたら何度も歌うことを要求されるはめになるかも…と思ったが、ルカがそれ以降に歌をリクエストしてくることはなかった。


 アリスはせっかくギターを出してもらったで、時々弾いて歌ったりしていた。

 それが始まると、ルカはじっと隣で座って聞き入っているのだった。


 また一日が経って、ルカは今日が生体調査の最終日だと告げた。


「今日は、これから起こることの概要を説明します。」


 改まった雰囲気に、アリスは少し緊張しながらルカに向き合った。


「《デーヴィー》 の目的はだいたい説明したとおりです。あなたには、ここに残るか、私と共に来るか選択を提案するという話をしたのを覚えていますか?」


 アリスは頷いた。


「私にはまだとても決められない…。」


「それはそうでしょう。もちろん今すぐに決める必要はありません。《デーヴィー》 はこの後、あなた方の時間で約3年間、太陽系内を回って調査を行います。そして、恒星間へと出て行きます。それまでに、アリス。あなたは 《デーヴィー》 に再び乗って私と一緒に来るか、それとも地球に残るか決めてください。」


 3年…。決断をするのに長いのか短いのかわからない年月だった。


「《デーヴィー》 には私以外にも乗ることができるの?」


「いいえ、《デーヴィー》 に乗ることを許可されているのは、アリス、あなた一人です。」


「そしたら、もしも、私がルカと一緒に行くことを選択したとして、私にはどんな人生が待っているのか教えて。」


「まず、私と一緒に行くことを選択した場合は、《デーヴィー》 が恒星間空間へ入るまでに、またここに来てください。恒星間空間に入ると、超加速に移行しますので追いつけなくなります。《デーヴィー》 の中では現在と同様の生活となります。」


 ルカは画面を出して、シリウスのまでの図を表示した。


「あなたを乗せた場合、《デーヴィー》 は一度シリウスへ向かいます。その間、《デーヴィー》 内では体感として約1ヶ月が用意されます。その間に私はあなたに仕事の引継ぎをします。」


 まるで地球の会社と同じね…、とアリスは思った。


「引継ぎが完了してシリウスに到着すると、あなた専用の船が用意されていますので、あなたはそちらへ乗り換えて、私とはお別れです。」


 ルカとお別れ…それは何だかとても寂しい響きに聞こえた。


「ルカと別れたら、私は一生一人で死ぬまで旅をすることになるの?」


「そうとも言えますが、実際には一人の時間はとても少なくすることも可能です。船内の体感時間は自由に変更できますので、瞬時に次の目的地へ到着したようにすることも可能です。実は私は独りでいることが恐ろしかったので、一瞬でここへ来るように設定しました。」


「ルカは寂しがり屋なのね。」


 それを聞いてルカはにっこりと微笑んだ。


「目的地についたら、その星系の生命を調査します。調査方法はきちんと引継ぎますので安心してください。それで、もしもその星系の文明のうち、自力で船まで辿り着ける者がいれば迎え入れます。その際、厳重なチェック項目があり、友好的と判断されなければ船内への招待はできませんし、知る権利も付与されません。」


「では、私たちはチェックに合格したってことなのね?」


「そのとおりです。」


「他の天体で異性人と出会ったとして、それが全くの未知の生き物だったとしても、この船の翻訳は機能するの? これは単純に好奇心で聞いているんだけど。」


「大丈夫です。この船は生体チェックをしながら、その場で異種同士の対話を可能にしていきます。最初のころより、私との会話がスムーズになったと思いませんか?」


「なるほど、リアルタイム解析なのね。こちらからは、ルカはまるで人間のように見えているけど、そちらからはどうなの? 私の本当の姿で見ているの?」


「いいえ。私にもアリスは私の種族と似ている姿で見えています。お互い関わりがあるうちは、本当の姿は見れないようになっています。それを知ってしまうと、一緒にいるのが困難になってしまう場合もあるからです。」


 なるほど…確かにルカの姿が想像を絶する受け入れがたい形状をしていたら、いくら人間の形に戻っても、今まで通りに話ができるか確証はない。


「それを聞いて少し安心した。ルカが私をどう見ているのか少し気になっていたから。」


「アリスの本当の姿は、私とアリスが分かれ分かれになって初めて見る事が許可されます。」


「そしたら、ルカは私を見るの?」


「見ると思います。」


 そうね、私がルカでも見ると思う。


「ルカと一緒に行かない選択をした場合、あなたの姿を私が見る事はできる?」


「できません。アリスが私の姿を見る事が許されるのは、一緒にシリウスまで行き、自分の船を手に入れてからです。」


 アリスは黙って、これから3年かけて考えなければならないことに思いを馳せた。


「では、充分に考えてください。私と共に出発したら二度と地球へは戻ってこれないでしょう。ただし、常に新しい出会いのある人生になることは保証します。」


 そう言うと、ルカは消えた。

 この部屋に来て、ルカが消えたのは初めてだった。


 もう終わりなのだ。


 アリスは気が付いたら《デーヴィー》 の地表にいた。

 調査船の影から一歩踏み出し、日向になっている部分に片膝をついている。


 ヘルメットを介した視界。


 戻ったのか?


「アリス? どうした? 大丈夫か?」


 耳元のスピーカーからクオンの声がした。

 視界の隅に表示されている時計を確認すると、アリスが 《デーヴィー》 に着陸してから1分も経っていなかった。


 “この中では時間はあってないようなものなのです…”


 ルカの言葉を思い出した。


「私は大丈夫。」


 アリスはクオンに答えると、ハーネスに繋がっている命綱を確認した。


「そっちに戻るわね。」


「アリス? 何があった? 大丈夫なのか?」


「私は大丈夫。《デーヴィー》 の調査は終わったわ。詳しくはディスカバリーに戻ってから話す。まずはあなたのところに戻りたい。ラビットの回収も忘れないでね。」


 調査船の中へ戻り、心配そうな顔で出迎えてくれたクオンの顔を見たら様々な感情があふれ出してきて、たまらずアリスは泣き始めた。

 クオンは、「え?」と驚いた声を発したが、すぐにアリスのそばにきてそっと肩を抱いてくれた。


 これまで、クオンとは数々の冒険を一緒にこなして来た。

 人生に何度もないような過酷で奇跡のような体験を共有してきた親友でもある。


 彼を置き去りにしてアリスは旅に出ることができるだろうか?


 クオンだけではない。

 もしもルカと共に行く選択した場合は全てを置き去りにしていく覚悟が必要なのだ。


 人類と地球と太陽系の全てを置き去りにして、アリスは行けるのだろうか…。


(3年後、それでもきっと私は行くだろう…。)


 クオンの胸のなかで涙を流しながら、アリスは心のどこかでそう悟るであった。


(おしまい)

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パンスペルミア 大橋 知誉 @chiyo_bb

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