結婚、おめでとう。

たぴ岡

神隠し

 ガタガタの道の上を走る車に揺られながら、僕は外に広がる向日葵畑を見つめていた。僕と同じくらいの背丈で、太陽を求めるように首をかしげているその姿は、何となく、妖怪か何かのように見えた。夏の象徴でありながら、人間をどこかへ連れて行ってしまいそうな、バケモノみたいな。そう思いながらもあの黄色から目が離せなかった。

「わっ!」

 一際大きな段差を乗り越えたのか、大きな衝撃が走る。運転席の父は笑って「ごめんごめん」なんて言っている。今の今まで向日葵の妖怪について考えていたから少し心臓が冷えたが、それは言わない。きっと姉に馬鹿にされるだろうから。

 持っていたゲーム機を鞄にしまって、それから姿勢を正す。この夏の花が見えなくなったら、もうすぐ僕の祖父母の家に着く。毎年この時期に来ているけれど、今回は少し違う。姉の結婚報告も兼ねての訪問だ。何となくそわそわするのは、そのせいだろうか。

「姉ちゃん、もう着くね」

「着いちゃうねぇ。あたしの結婚、受け入れてくれるといいな」

 というのも、祖父はぼけてしまって何も言わずに微笑んでくれるだけだろうが、問題は祖母だった。祖母はいつも笑顔で優しいのに、こういうことになるととことん厳しい人だからだ。例えば浴衣を着せてもらうときなんかはいつも姉を強い力で抑えつけていたらしいし、両親の結婚も反対に反対を重ねていたらしいから。あまり良くは知らないのだけど。

 しかも姉の結婚相手は現代でも珍しい硬派な時代小説家で、今はそこそこ売れているから良いが、ここから少しでも伸びなくなってしまえば家計が大変なんだとか。小説家なんて安定しない職業の男はやめなさい、祖母の声が脳内で響く。うん、充分に言いそうだ。祖母はそういう人だったから。

「おばあちゃん、来たよー」

 父は優しい声で祖母に呼びかける。

 一年ぶりに来たこの平屋は案外綺麗で、たぶん今までずっと廃れることもなくこのまま存在しているのだと思った。流石に手入れはしているのだろうが、それでも美しすぎるような気がする。

「おやおや、元気そうで何より。待ってたよ」

 去年より疲れているような、歳を感じさせる声と表情。祖父の介護もしながら生活しているのだから当然か。老老介護、というやつだ。先週学校で習った。

 まず初めに和室にある仏壇で手を合わせる。ここに眠っている人が誰なのかは知らないけれど、両親はいつもこうする。だから僕もならってそうする。手を合わせたときにみんなは何を考えているのだろう、そんなことを考えながら。

 ふと姉の方を見ると、緊張した面持ちで、左手薬指を隠すようにして祈っているのが見えた。それはそうだ。怒ったら怖い祖母に怒られそうなことを言うのだから、祈りたくなるのも頷ける。

「あの、ね、おばあちゃん、お話があるのだけど……」

 姉はにこにこ微笑んでいる祖母に声をかけた。僕らはそれを見守ることしかできない。母は何かあったらすぐに介入できるようにと、すぐ近くに正座した。しかし父は我関せずといった感じで、話し声が聞こえる程度の距離で冷たいお茶を飲み始めた。こういうとき父はいつも何もしてくれない。するつもりはあるのかも知れないけれど、それが目に見えないのだからあまり意味がない。

「あたしね、結婚することにしたの」

「……もうあんたも結婚する歳か」

 祖母は目をゆっくり閉じながら、姉の幼かった頃を懐かしんでいるようだった。

「うん」

「どんな人なんだい?」

「素敵な人だよ。いつも着物を着ていて、それで緑茶を嗜む大人な男性なの」

「ふんふん、それで職業は?」

「えぇっと……じ、時代小説を書く仕事をしてるの」

 祖母は不意に目を開けて、それから少し姉を睨むような形になった。

「で、でも大丈夫! 今をときめく作家さんで、最近では有名な賞をもらっていたりしてて……」

 ふわりと雰囲気が変わったかと思えば、祖母は満面の笑みを浮かべていた。

「良いじゃないか、小説家さん。素敵な人生になるよ。おめでとう」

 この予想外の反応に、僕たちは驚いた。少しでも反対するかと思われたが、その真逆だったのだから。

「じゃあおばあちゃんは……賛成してくれる?」

「もちろんだよ。宴でも開こうかいね」

 言葉通り、今晩は宴になった。というかもとからその予定だったのか、この小さな町で大きな祭りが開かれた。せっかくだからと姉は櫓に乗せられて、巫女さんにおまじないを唱えられて、それから神社の奥に押し込められた。それはもう目にも止まらないスピードで、気付いたらそうなっていた。

 父は日本酒を飲んで泥酔しているし、母はご近所さんに挨拶をしている。姉が消えたことなんて気にもしていない。まあ、消えた、と言うには少し当てはまらないかもしれないが、僕には心配でたまらなかった。祖母があんなにすんなり受け入れたのも、ちょうど今日という日に祭りがあったのも、何だか不自然に思えてならなかった。どうしても信じられなかったのだった。

 夜になって、僕は祖父の部屋で寝ることになった。

 それでも姉は帰ってこない。寝る時間だというのに、帰って来なかった。祖母に聞けば「結婚の決まっている女は神社で清めてもらう」のだとか。本当かはわからないし、にわかには信じられないけど、それでも眠気には勝てなかった。深夜に姉を探しに行こうという決意は睡魔によって泡となった。

「行っちゃだめだ、行くな。帰って来い、だめだ」

 夜中二時、僕は祖父の言葉で目が覚めた。

「おじいちゃん、どうしたの? 大丈夫?」

「大丈夫じゃあない、だめなんだ。どうして行かせた。お前の姉さんは、もう帰ってこない」

 ゾクッとした。

 衰えからか枯れきった声と、その落ち窪んだ眼窩が夜の怪談に引き込もうとしているように思えた。それからその言葉の意味。姉はもう帰ってこない、祖父の言葉が脳内で響き渡る。寝ぼけていたのがすっと晴れていくような気がした。

「何言ってるのさ、じいさん。気にせんでいいからね」

 ぬっと闇の中から現れた祖母はそう言った。さっきまで来ていたパジャマとは違うシルエット。夜闇の中ではよく見えなかったけれど、あれは和服、だろうか。

「おやすみなさい」

 影に消えていく祖母の笑顔が、白く光ったように見えた。


 翌日、僕は誰よりも早く目が覚めた。隣で寝ている祖父は悪夢にうなされているようで、両親は暑さのためか布団を掛けずに寝たらしい。しかし、別の部屋で寝ているはずの祖母の姿はなかった。

 何となく行かなくてはならないという使命感が芽生え、早朝の町を走り出す。流れていく風景は昨日見た通りなのに、何故か違和感がある。何かがおかしい。姉を助けなくてはならない。どうしても。

 昨日の祭りの会場に着いてみると、そこにあったのは嫌な光景だった。櫓は撤去され、代わりに何か案山子のようなものが置かれており、その周りを大きな向日葵とこの町の老人たちが囲んでいる。耳を澄ませてみれば、何か呪文のような言葉が聞こえた。僕には聞き取れないそれは、この町のしきたりだとか伝統だとか、そういった類のものだと悟った。

 しかし何のためにやっているのだろう。

 誰にも気付かれないように少しずつ少しずつ、近付いて行く。段々と声が鮮明に聞こえ、誰がいるのかが見えるようになり、案山子の正体も理解してしまった。

 ──あれは、姉だ。

 姉が何らかの板に磔にされている。何をされたのだろうか、血塗れの姉はたぶん意識が飛んでいるらしく、だらんと身体全ての力が抜けている様子だ。

 そんな状況で僕に何ができる。何もできる訳はない。怖くなった僕は逃げるため動こうとした。しかし見つけてしまった。祖母の存在を。

 祖母はその手に赤黒く染まりきった刃物を持っていて、それを姉に向けるところだった。大きく振り上げられたそれに従って町民たちは視線を上げ、それからおおっと期待の声を漏らした。

 僕は助けに走るべきなのか、それとも真実を両親に伝えて早急に逃げるべきなのか。判断はできなかった。それに、その祖母から目を離すことができなかった。嫌な予感が呼吸を早めて、それなのに恐怖で足は動かない。

 脳が何かを勘違いして、僕はそれを待ち望んでいたかのごとく、胸を高鳴らせた。きっと今酷い顔をしているだろう。とても今の姉には見せられないような表情。垂れそうになるよだれを右の手の甲で拭いて──。

「なんで、どうして僕は……」

 めまいがしそうになる。しかし祖母の大きな「行くぞっ」という声に現実に引き戻され、再び夢中でその儀式を見つめる。

 嫌に鈍い音が森に響いて、カラスが一斉に飛んでいく。ざわざわと神社が闇を広めて、木々が喜ぶ。

 姉は意識を取り戻し、それから事態を理解したのか耳を刺すような悲鳴を上げた。

「お、おばあちゃん、どうして……ねえどうして! やめてよ、あたしまだ、まだ死にたくない!」

「喜びなさい、あんたは神の元へ行くんだよ」

 凶器が再び振り上げられて、それから──。


「本当にどこ行っちゃったのかしらね、お姉ちゃん」

「これから結婚だって言うのに、いなくなるとは……」

 両親は心配そうに話している。僕はそれを聞いているだけ。今朝見てしまったことは誰にも伝えない。伝えてしまえば、僕もああなってしまいそうで。

「そうだねえ、この辺りには神隠しなんてもんがあるから、もしかしたら……」

 祖母は真面目な顔でそう言った。信じられない。僕はもう誰を見たら良いのかわからない。

「そんな……もしかして、あのお祭りのときに」

「それなら、森に探しに──」

「それはやめなさい」

 父が言うや否や、祖母は否定した。あの森に入られたら困るのだろう。きっとまだあのまま姉の死体が転がっているのだ。許せない。

「でも……」

「そんなことでお前さんも神隠しにあったらどうするんだい」

 祖母は力強く言ってのけた。自分の過ちを神隠しと称して消すだなんて、とんだ殺人鬼だ。その「神隠し」は何度も行なわれてきたのだろう。きっと今までも、そしてこれからも。

 それなら──。

「そう、ですけど」

「おばあちゃん、どうにかして見つけ出せないかしら」

「こればっかりはどうしようもないね」

「そんな……」

 僕は決心した。

「じゃあ僕が探しに行くよ」

 勢いよく立ち上がって走り去る。背後に止める両親の声を聞きながらも止まることはしない。きっと祖母は追ってくる。死体を見られてはまずいだろうし、先に処理をしに行くか、それとも僕を殺しに来るか。どちらにしても僕の勝ちは決まった。

「待ちなさい!」

 森の入り口付近で祖母に止められた。僕が全力で走ったのに、追いつけるのはどうしてだろう。

「僕知ってるよ」

「……何を?」

「姉ちゃんの居場所」

 祖母から目を離さずに、あの場所に向かう。きっとまだ全てが残っている。

「やめなさい、こっちに来なさい」

「……許さないよ」

 後ろ手にそれを掴み、振り上げる。思ったより重いらしい。けれど僕には楽勝だ。昨日の祖母は動かない相手にやりたい放題だったけど、僕の方が若いんだ。舐めないで欲しいね。

 振り上げたそれを思い切り祖母にあてる。ガクンと膝を折って、傷口を強く押さえている。その目は僕に怒りを向けていて、それでも僕は止まらなかった。

 こいつが姉にしたのと同じように、僕は全てを壊すことにした。だってここでは神隠しが起きるんだ。誰かが消えても、仕方ないよね。

 全てを終えた僕は昨日の記憶を引っ張り出して、それから凶器を引きずって歩き始める。

 あと何回「神隠し」を起こせば、姉は報われるのだろうかと考えながら。

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結婚、おめでとう。 たぴ岡 @milk_tea_oka

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