武蔵野天狗

夜月よる

武蔵野天狗

 闇で塗りつぶされた道で切れかけの電灯のスポットライトがうつすのは酷く憔悴した男だ。


 男がおぼつかない足取りで歩いている道には虫の音と、二つ隣の通りの飲み屋街からの時折の笑い声しか聞こえない。

と言っても、どちらも耳をすませば聞こえてくる程度の音量でほとんど静寂に包まれていた。


 特に霧が出ている訳でもないが、男には目に映る全てのものがモヤがかって見えていた。


 一体どのくらい歩いたのだろうか?


 そう疑問に思った男が虚ろな目を上げると、目の前にはこれまでの住宅街には似合わない緑に溢れた山があった。

この辺りで山といえば六道山公園だろう。どうやら、男は知らない間に十五キロ近くも歩いていたようだ。

しかし、暗闇に包まれているからだろうか。いつもとは雰囲気が違って見えた。


 一人になりたい男にとってその山は魅力的に見え、足を踏み入れたのは当然だったと言えるだろう。先へ進んでいくと次第に笑い声は聞こえなくなり、虫たちの音の他には男が砂利をふみしめる音だけが響いていた。


 しばらく歩いていた男はふと疑問に思った。


「この山……こんなに広かったか?」


 一度考え始めると男の心は不安の谷へ転げ落ちる。気味が悪くなってきたので戻ろうとするも今通ってきた道がないことに気がついた。

そして男は戸惑いながらも再び前を見ると、先程までの不気味な森の光景はどこにもなく、少し開けた自然のステージが広がっていた。


 そこには今まで立ち並んでいた木の代わりに月光で照らされた白く揺れる花が、少し盛り上がった丘の上一面に広がっていた。男が綺麗な丸を描くその花畑に目が離せないでいると、突然強い風が吹き乱れ、白い花びらを巻き込みながら花畑の中心で渦巻き、美しい白い竜巻を起こした。


 次第に収まっていったその竜巻の内側から、この美しい花畑にいても一際目を引く一輪の花が現れた。


「人の子よ、良くぞここまで参った」


 その美しい女性は男に続けて語りかける。


「迷える愛しき人の子よ。この私が対価を持ってその願いを叶えよう……」

「願い。か……そんなものはもう無くしたよ」


 女の問いに男はどこか悲しげな表情で答えた。


「ふぇ?」

「えっ!?」


 男の答えが予想外だったのか、間抜けな声を上げる女に男も驚いて声を出してしまった。


「なんじゃ、お主ただの迷い人か!せっかく久々の客が来たと思うたのに……」

「まぁ良いわ。お主!儂も暇しておったから、ちと話し相手になっとくれ」


 そう言って近づいてくる女。不思議なことに女が一歩歩く度、時が巻きもどるかのように美しく豊満な体が縮んでいく。男の目の前に着いた頃には女は中学生くらいの少女の姿になっていた。


「あの姿を保つのも肩がこるのじゃ、許せ!」


 少女が平然と話し続けているのに対し、男は未だに目の前で起こった奇妙な現象に戸惑いを隠せないでいた。そんな男に少女はハッとなにかに気づいた。


「あぁ、そうか。お主儂に会いに来とぅと違ったの……」

「ならば教えてやろう……!

儂の名は偉大なる武蔵野天狗じゃ!!!」


 そう言って少女は誇らしげに胸を反らせた。しかし、男は未だに困惑していた。


 この美少女は武蔵野天狗とか言う鞍馬天狗をパクった感じのネーミングの、よくカラスの頭をしていたり赤い顔に鼻が高いイメージの天狗なのだと言い張っている。確かに天狗が着ている山伏のような服装をしているし妖怪である天狗なら姿を変えることも出来るだろう……出来るだろうか?


 男が何とか状況を把握しようと最大限に思考回路を回していると天狗を名乗る少女は大きなため息をもらした。


「はぁぁぁぁぁぁぁ……今の人間は烏天狗との見分けもつかんのか。それよりもじゃ!今お主鞍馬天狗とか言いよったか!?」

「えっ!?なんで……?」


 少女が自分の思考を読んだことに男は驚いてそう口に出すと少女は、さも当たり前のように「頭の中を覗いたくらいで何を驚いとるんじゃ?」と首を傾げた。


「そんなことよりも、鞍馬天狗と言うたか?言いよったの?」

「鞍馬天狗なんぞ、たかが千年前に産まれたばかりの小僧ではないか!遮那王とか言うわっぱを修行したくらいで有名になりよって……儂も有名になりたい〜!有名になってチヤホヤされたいのじゃ〜!」


 そう言って急に寝転がって駄々をこねだした天狗を見て男は、小さな子が泣き喚いているのを見ると急に冷静になるあの現象のように今までの混乱が嘘のように治まった。


 そして、冷静になったことであることに気づいた。彼女は頭の中を覗けると言った。つまり彼女はも覗いたのではないかと急に心配になった。


「安心せい。この儂とて深層意識までは読み取れぬ」


 少女は寝転がりながら真剣に話しかけてきた。態度はともかくが知られてないことに男は安堵した。その様子を見て少女は立ち上がった。


「ふむ……そろそろ落ち着いたかの?では改めて、儂の名は武蔵野天狗。武蔵野の君と呼んでくれて構わぬぞ?」

「何々の君って古文でしか聞いた事ねぇよ!?」

「えっ、古文……?流行っとるんじゃないのか……?」


 動揺した少女は膝をついて落ち込んでしまった。


「なら儂に今風の名前をつけとくれ。古代人の儂には今のことはわからんからの……」

「えぇ……む、むさしのちゃん。とか?」


 めんどくさいおばさんみたいな事を言っている彼女の無茶振りに男はタジタジになりながらも答えた。


「むさしのちゃん……むさしのちゃんか。何だか微妙じゃのう!……ムフフ」


 何だかんだ気に入ったのか、むさしのちゃんと何度も小さく呟いては笑っている。


「よかろう!これから儂のことはむさしのちゃんと呼んで良いぞ?」

「あ、あぁ……それよりここは結局どこなんだ?君しかいないのか?」

「………………」


 男が問いかけるも少女はプイッと、そっぽを向いて黙っている


「え……?あのぉ〜聞こえてますか?」

「プイッ……!」

「……あぁ。えーと、むさしのちゃん?」

「ッ!なんじゃ!?」


 男がむさしのちゃんと呼ぶと彼女は首が捻じ切れんばかりの勢いで振り向いた。

そして、満面の笑みで男の質問に答え始めた。


「ここはの〜儂の山での〜願いを持った人にしか訪れる事の出来ない場所なんじゃよ〜」


 ニヤける顔を抑えきれないせいで語尾伸びに伸びている。


「まぁ、お主のような例外もおるんじゃがな。お主の方こそどうしたのじゃ?酷く憔悴しとったようじゃったが……」


 少女の質問に男は戸惑い、初めより少し顔色のよくなっていた顔に再び憂愁の影がさした。しばらく沈黙が続いた後、男が沈黙を破り語り出した。


「……実は、俺には三年付き合っていた彼女がいたんだ。彼女は大学の同じ学部ですっかり意気投合して、すぐに付き合い始めたんだ。

勿論喧嘩だってしたし、何度すれ違ったかも分からない。でも確かに俺は彼女を愛してた。

……なのに、俺は。この手で彼女の命を奪ってしまった……」

「そうか、それであんなに落ち込んでおったのか」

「違うんだ、何も感じなかったんだ。最愛の人をこの手で殺しておいて……!」

「ふむ……急に重たい雰囲気になったのぉ!」


 そう言ってあっけらかんと笑って見せる少女に男は顔をしかめて


「おい!こっちは真剣に話してるのに……!」

「どうして怒っておるのだ?何も感じていないのであろう?」


 少女の言葉にハッとしたように男は口をつぐんだ。さらに、続けて少女はこう言った。


「本当は気づいておるのだろう?気づいていぬと言うのなら、この武蔵野天狗が教えて進ぜよう!」

「とは言え、儂がすることは何もないがの」


 少女はゆっくりと最初いた花畑の中央に戻って行く。それを待っていたかのように月明かりが降り注ぐ。宙に舞う白い花びらがその光を反射して、キラキラと幻想的な空気が彼女を包み込み、その中で少女はニッコリと微笑んだ。


 しばらくすると男はその輝きが花びらだけによるものでは無いことに気づいた。少女の体がぼんやりと輝き、光の粒子を出していた。


「実はのぉ、儂ら天狗は寿命が決まっておってちょうど千年経つとこの世を去るのじゃ。そして今日がちょうどその日なのじゃよ……」


 そう言う間にも体から出てくる光の粒子は勢いを増して、それに正比例するように少女の体が薄くなっていく。


「え……?天狗だとかってだけで頭がいっぱいいっぱいなのに、死ぬだとか意味わかんねぇよ……」

「お主は優しいのぉ。ついさっき会った儂にも悲しんでくれるなんて……」

「悲しむ?そんな訳ないだろ。彼女が死んでも何も感じなかった俺がか?」

「なら何故そんな顔をしておるのじゃ?」


 少女の瞳には唇が小刻みに震えて、目は赤く充血している今にも泣き出しそうな男の顔が映っていた。


「何があったかは知らぬがお主のような心優しい人間が何も感じなかったはずがなかろう」


 そう言い終えると彼女は後ろへ、ぐらりと倒れた。少女の体は地面にぶつかること無く風となり消えていった。


 少女が消えていくのを目の当たりにした男は膝をつき、地面を握りしめて力強くも悲壮な雄叫びを上げた。それが少女の死を悲しんでなのか、男が自分の感情に気づいたからなのかはわからない。しかし、悲しみに満ちた慟哭は山じゅうに響き渡った。


「たまには対価なしに願いを叶えてやってもよいかの……」


 響き渡る慟哭を聞きながら木の上で座る少女は、遠くで泣き崩れる男を見ながら微笑んだ。

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武蔵野天狗 夜月よる @joryu

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