第14話 ステンドグラス

とある秋の夜。



「ねえ、幸恵ママって歌手デビューはしてないの?」


スナック「夏の名残の薔薇」にはカラオケ設備はないので、みずから持ち込んだ家庭用カラオケマシーンで「天城越え」と「オペラ座の怪人」を交互に歌っていた孝子は、ふいにそんなことを言い出した。


カウンターの内側に立って、ストローでジュースを吸い上げていた幸恵ママは、

「レコードデビューの話はあったけど断ったわよ。私、音痴だもん」

と早口で説明すると、再びストローでジュースを吸う作業に集中した。

紫色のどろっとした液体はかなり力を入れないと吸い上げるのが難しい。それは冷凍ピオーネをミキサーにかけて作ったスムージーだった。近ごろママは手作りスムージーにハマっているのだ。


「あら、残念。ママの曲があったら歌ってもらおうって思ってたのに」


頬杖をついて二人のやりとりを見守っていた琉宇那は、とうとう口を挟んだ。

「あの、さっきから話がよく見えないのですが、幸恵ママって芸能界と何か関係があるんですか」

これに孝子は驚いた。

「まあ、琉宇那ちゃんったら知らなかったの? 幸恵ママは、あの美島冬子なのよ!」

あの美島冬子と言われても、琉宇那には誰のことなのかわからなかった。


ず、ず、ずずーっと吸い上げ、それがフィナーレだったようで、幸恵ママはやっと顔をあげた。

「私、これでも元女優なの。といっても随分昔のことだから若い人は知らないわよね。それに私は映画や舞台が中心だったからそんなに有名でもないし」


「有名よ! だって、私が見た映画にも幸恵ママって出てたわ。『ひとりぽっちの夜』でしょ、『都会』でしょ、そうそう俳優の桂﨑竜太とのラブストーリーも良かったわあ。あれって何っていうタイトルだったかしら?」


幸恵ママが口を開こうとしたとき、店のドアのあたりから、こつん、と何か軽いものが当たった音がした。



「……何の音?」

怪訝な顔をする幸恵ママを見て、孝子と琉宇那も耳を澄ませた。



こつん、こつん、こつん。


ドアに何かが3回当たったようだ。しばらくの間があって、再びこつんと3回鳴った。



「やだ、何ですかこれ……」

琉宇那が席から立ち上がって、怯えたようにドアから離れた。

「お、おおおばけ……! 悪霊退散! くわばらくばわら!」

幸恵ママも後ずさる。


「うーん? これってノックじゃないのかしら?」

孝子はそう言うと、一切躊躇することなくドアを開けた。その勢いでドアベルが派手に鳴った。




ドアの外には、一人の中年女性が不安そうな顔をして立っていた。


背を丸めて、片手はノックの姿勢のままで、その姿はまるで招き猫のようであった。

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スナック「夏の名残の薔薇」 ゴオルド @hasupalen

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