第45話 .Lily
叫んだのはテッドだった。
「女王様、王妃様、姫様の予定を把握し、管理する。これはたった一人、城で最も信頼のおける者に託された仕事でした。執事長の、爺やと呼ばれ親しまれるテッドさんだけに託された、大切な仕事です。これはその予定帳です。ご自身の予定はなに一つない、けれどぎっしりと細かく女王様方の予定が記入されている」
「まさか!」テッドが立ち上がり机を叩いた。横のヘレナがびくりと身体を震わせた。「それを理由に私を犯人にするつもりじゃあるまいな! それだけで疑われるのでは溜まったものじゃない、私は他でもない、仕事をしているのだぞ! 誰にも任されない、重要な仕事を! 犯人が見つからなかったのが偶然ではないとどうして言い切れる!」
唾を飛ばしながら、リリーを怒鳴りつける。それはリリーの見慣れた、誰かの尊厳のために怒る爺やの姿ではなく、相手を憎むような怒りを撒き散らす、歪んだ裏切り者の姿だった。
「猫の死体を持ち、警備がいる城内を、小さくはない荷物を持って歩き、中に誰かがいるかもしれない王室に入って、猫の死体を放置できる偶然ですか」
爺やは一度黙り込んだが、また机を大きく叩いた。何度も叩きながら、声を大きくする。
「私は女王様がたの予定を他の執事にも伝えている! 他の執事という可能性もあるし、誰かが漏らしていた可能性だってある! そうだろう!」
元々、王室で行われた犯行においては、彼以外にできる人はいない。それは分かっていたし、揺らぎようがなかったけれど、いまの発言で、それがもっと確固としたものになった。
「他の執事にも伝えている……間違いないですか」
醜くて耐えきれない。リリーは相手を糾弾する立場にありながら、唇を噛んで俯くのを抑えられなかった。彼にどんな顔を向ければいいのだろう。幼い頃からずっと、色々なことを教わった。勉学だけではない、遊びも、生き方も、悩んだ時は相談にも乗ってくれた。柔和な笑みを浮かべながら、丁寧に。
「確認すれば分かることです。呼びましょうか」
いま呼ぼうと思えば難なく呼ぶことができるだろう。扉の前にいるであろう近衛兵に、城で唯一の副執事長を呼んできてもらって、部屋からは誰も出ることがないまま確認することができる。しかし、この提案は本当にそうしようというものではなかった。要は、呼んでみろと言えば嘘がばれ、呼ぶなと言えばなぜ呼べないのかとなる提案なのだ。だから彼はなにも言えない。
心臓の辺りが締め付けられる痛みを感じていた。それが表情に出るのを隠すために、リリーは机の木目を見ている。誰かが息を吐くのが分かった。事件解決に安堵してのため息だろう。終わりだ。そんな雰囲気が次第に出てくるものの、誰も席を立とうとしなかった。リリーが俯いたまま一切動かないからだろう。解決の、いわば立役者となったのだから、もっと堂々とすべきなのだ。しかしこれから自分の恩師が独房に詰められ、いままでよりずっと陳腐な食事をし、来る日も来る日も準国事隊やら国衛軍やらの尋問に追われる。その姿が鮮明に想像できると、息苦しかった。
感情的になってはいけない。頭の中の自分と、過去の自分が、ここに立っている自分に大声で叫び続けている。でも、弱かった。リリーはぐっと顔を上げ、震える声でテッドに言葉をぶつける。
「七年前から計画は動いていました。三つの国を巻き込んだ大きな計画です。あなたは、一体どれだけの信仰心を持っていたのですか。あなたは一体いつからエール教徒だったのですか」
黒い髪を揶揄され、大人からも子供からも怖がられ、孤独にあったリリーに、庭の白詰草を摘んできて冠を作ってみせたのは誰だっただろう。シャーリィと喧嘩をして、ターラやヘレナにも迷惑をかけたとき、間を取り持ってくれたのは? 計算ができるのは誰のおかげで、多くの童話を知っているのは誰のおかげで、子供の頃退屈することがなかったのは誰のおかげだっただろうか。
「爺や、七年もの間、わたしたちを騙し続けていたんですか。わたしも、シャーリィも、ターラさんやヘレナさんも! だって、爺やだって、いつも……楽しそうに笑って……それもこれも、嘘だった?」
聞かなければ、きっと真相は知らないままなのだろう。傷つくことは分かっているのに、わざわざ聞いてしまうのは、なんと言ったらよいか、そう、理にかなっていない。でもリリーは確認せずにはいられなかった。十七年の裏切りの真相を知りたくて仕方がなかった。
テッドの口から出てきたのは、予想どおりの言葉だった。
「そうだ」
予想どおりなのだったのに気が狂いそうだった。彼の声はなんの感情も有さず、表情もなかった。
「この計画のためだ。王女の近くで信頼を勝ち取るためだけだ。お前や、お前がいたのは、障害のようなことでしかない。いなければ、もっと簡単に計画の日を迎えることができたというのに」
彼の目にはもう色も焦燥もなかった。
「それ以上はやめて」
ターラが声を荒げる。テッドが「お前」と言った時、視線を受けたのは他でもないリリーとシャーリィだった。リリーはもはや顔を上げられず、シャーリィはじっとテッドのことを睨みつけていた。
「エール教徒とミカフィエル教徒が迫害されて、私や妻と子は、ミカフィエル教徒や友人たちと別れざるを得なくなった。あまりに突然の別れに妻も子供も泣いていた。エール教徒は、マクナイルから最も遠いところに追いやられた。この国は、後のことなど考えずに……個人のことも無視して、誰かを犠牲にして平和を守った気でいる最悪の国家だ。実際にミカフィエルはひどい有様らしいじゃないか? 私は見ていないが、聞いているとも。原因は他でもないこの国なのに、助けようだのと抜かせば綺麗だが、自らが溝に落とした犬に、手を差し伸べるようなものだろう。……貴様らが! 貴様らが笑うのが憎かった。なにかを教えた時に礼を言ってくるのが気持ち悪かった。貴様ら悪魔の子供に囲まれて過ごす七年間、私は吐き気をこらえて過ごしていたのだ」
力尽きたように、彼は椅子にどさりと座る。リリーは唇を噛んで、国衛軍の二人を見る。それではっとしたように、彼らはその場でテッドを取り押さえた。
天上の黒百合 小佐内 美星 @AyaneLDK
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