第28話 出でよ
木立に囲まれた帝室御用地の一角。二人組の警備員は木立の薄暗闇に懐中電灯を向けつつ歩を進めていく。
日は傾き闇は濃さを増していく。見落としなく急がねばならなかった。
一人が目くばせした。
馬の寝床用の藁山の下から木箱の一部が見えている。藁も最近積まれたようだ。一人が周囲を監視し一人が藁を搔き分ける。
一抱え程の木箱の一面を出した彼は懐中電灯の光を当てて隙間から内部に目を凝らす。箱の幅と同じ長さの円柱の表面に書かれた『危険』『火気厳禁』の文字。それと、火薬製造会社のマーク。
当たりだ。
仲間の頷きを見て取った相方は素早く行動を起こした。厩舎の壁に身を隠し警備隊の制服の裏から30㎝くらいの箱型の無線機を取り出す。アンテナを伸ばし無線機を起動させた彼はマイクに囁いた。
「帝室警備隊より本部。帝室警備隊より本部。『厩舎裏確認。厩舎裏確認』。繰り返す。帝室警備隊より本部へ———」
木箱を隠し終わった一人が袖を引っ張った。
厩舎の向こう、今来た方向から別の警備隊が来る。
本物だ。
風の方向を確認したハンゾウ配下の警備隊員は本物の歩みに合わせて厩舎の壁沿いにじりじりと移動する。無線を持った隊員は動きながら通信を続けた。
風下のこちらの声は向こうには聞こえない。
「———本部から警備隊。本部から警備隊。『報告了解。報告了解』」
通信兵の声が受話器に届く。
親指を立てた通信者は無線機を耳から外した。
あとはこの場をやり過ごすことに集中すればいい。幸い本物はこちらに気づいてくれていないようだ。
連絡を終えた警備隊員らは本物の警備隊の視界に入らぬように横長の厩舎の裏を移動する。
日が落ちたせいか、建物裏の人影は宵闇のうす暗さに紛れて見えないようだ。本物の帝室警備隊の二人は厩舎の前を通り過ぎて行った。
もうじき軍部隊が来る頃だろう。
二人は巡回警備を続ける顔をして元来た方向へ戻る。
「何をしている?」
カッと懐中電灯の明かりが向けられる。二人は顔を背けた。
「は。警備を…」
明かりを向ける少佐と見られる飾緒を付けた将校は帝室武官の識別章も付けていた。
「それはご苦労。しかし伯殿下の御屋敷周りは別に行うと伝えていたはずだぞ?」
左手に懐中電灯を持った上田帝室武官補は右手を腰に回している。拳銃を抜こうと思えばいつでも動ける姿勢だ。
「「大変失礼致しました!」」
隊員二人は深々と、膝に頭が着かんばかりに体を折る。
「自分らは今回の増員で派遣された者達でして、王子殿下の御屋敷は別である事を失念しておりました!」
「……」
上田武官補は右手を横に下した。
「忘れていたなら仕方ない。次からはよく覚えておくように」
懐中電灯を下げた上田は敬礼する彼らの脇を通って厩舎へ足を向けた。
それが彼の若さであり、彼の限界だった。
多数の車のエンジン音がしたかと思うと一気に距離が近づき、
ブロン、キキキキィィィ。
軽装甲車の一団が厩舎を囲む。慌ただしくしかし規律を保って兵達が降りて来た。
「何の真似か⁉」
「朝稀伯王子邸に爆薬が仕掛けられたと報がございました」
降りてきた将が言う。車のライトにダブルボタンの軍服と肩章飾帯の金色の帯が浮かび上がる。
「これより我が部隊が対応にあたらせていただく」
帝都守備軍団司令
「厩舎裏だ。速やかに不発処理をしろ!!」「はっ!!」
処理班と見られる4人が駆けていく。
「やめろッ!!!」
素早く拳銃を抜いた上田武官補は処理班に向けて発砲した。
拳銃が叩き落とされた。
上下が反転する。背中から地面に転がされた。
「ぐッ!」
あっという間にうつ伏せに組み伏せられた。
宇都宮の部下が四方を取り囲み一斉に銃口を向ける。
「何を止めろと言うんだ?え?」
宇都宮が上から覗き込む。
振りほどこうと身体をよじる上田の肩に膝を乗せて体重をかける。
守備軍団の長は年齢に見合わぬ俊敏さと膂力でもって上田を確保していた。
「事情聴取に応じるよう説得しろと命令を受けていたんだが、大人しくとはいかないようだな」
「ッ……!少将…ッ」
「自決なんてしてくれるなよ。やるなら全て吐いてからにしろ」
「閣下!」「武装解除して連行しろ。やむを得ん」「はっ!」
部下二人が上田の腕を取ったところで宇都宮は拘束を解いた。
「申し上げます!」
厩舎裏から駆けて来た兵が敬礼する。
「厩舎裏にて木箱2箱内に爆薬を確認、処理終了致しました!」
「良くやった」
朝稀邸の車寄せから執事を伴って若い紳士が近づいてきたのはその時だった。
宇都宮の従卒は直立不動の姿勢を取って敬礼し、宇都宮は姿勢を正した。
「何の騒ぎか、少将?」
「恐れながら殿下の御馬所に爆薬が仕掛けられてございました」
平均身長より高めの宇都宮と同じ背丈の紳士―――朝稀伯は控えめに驚いた顔をした。
「それは大変だ」
宇都宮の背後で脇を抱えられる上田武官補に考えの窺えぬ視線を向ける。
「ここは危険でございます。殿下におかれましては一時お屋敷を離れていただきますようお願い申し上げます」
「帝室武官の上奏なく部隊を入れるのは如何かと思う。何のための警備隊か」
「警備隊より一報を受け軍部隊を派遣致しました。殿下の御許し無く御屋敷周りに踏み入りました事はどうかお許し頂きたく」
「その武官を捕らえているからして最初から許可を取るつもりは無かったのだろう」
———ああ。畜生。面倒な御方だ。
宇都宮は腹の中で悪態をつく。
「
どうかお許しを、と宇都宮は軍帽を取って頭を下げた。
「……上田に罪は無いよ」
ぽつり、と朝稀伯は呟く。
「殿下!!」
上田が叫んだ。背広の裏ポケットに手を入れる朝稀伯王子。
「だが君らには止められない」
取り出された手には拳銃。
「止める根拠もこれから起こる事実を証明する方法もない」
宇都宮は息を飲んだ。
まずい。
自決されたら確実に軍の仕業にされる。発砲されて被害が出てもこちらの分が悪い。
「全ては私の考えだ。法と正義の名を借りた制裁もね」
装甲車のライトを反射し涼やかな瞳が暗く輝く。
「君らも承知の通り議会は国民の代表たり得ない。軍部はよくやってくれている。だが、軍は軍だ。暴力装置が政治を担うのは危険過ぎる」
国政補佐の名における軍部の間接的統治。それが建前だと誰でも知っていた。
「武力を制御できる内はいい。だがいずれは制御できなくなる。軍組織の宿命だよ」
上が認知してしなくとも末端の兵は驕っていく。我らあっての帝国だと。驕りは侵食していく。
「そうなった場合、軍が国政を担っていては国を滅ぼす。君らとて守るべき国を君らの組織が滅ぼすのは嫌だろう?」
ふ、と息が吐かれる。
「我が国の未来を憂えての決断だ、国政参与権を陛下にお返しし軍を国防の為だけの組織とする。さすれば軍の政治的腐敗は避けられ我が国は滅亡の未来を逃れられる。———しかし松河原大将はそれを望んでいないようだ」
カチン、と撃鉄が起こされる。
「…ッ」
宇都宮は歯ぎしりした。お止めするには引き金を引くより早く動かねばなるまい。できるかどうか………。無理だ。
「ならばこうするしかないだろう、君らの手にかかったと見せれば軍は国政参与権を手放さざるを得なくなる。大将の思惑に関わらずな」
全く王子の仰せの通りだ。軍が皇帝一族に手を出したと報道されたら暴動必発だ。
「満足だよ。悲しいがね」
「殿下!!」
銃口がこめかみに当てられる。
「お待ちくださいっ!!」
屋敷の玄関から使用人が飛び出してきた。毬のように飛んできた彼は若い伯爵の前で息を継ぎ継ぎ言上する。
「も、申し上げます。摂政殿下より、至急の、お電話が、ござい、ました」
「伯父上殿下より?」
「『軍に任せよ』と」
「………」
こめかみに当てられていた拳銃がゆっくりと降ろされ、地面に放られた。
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