第29話 Hawk’s knight
カツン。カツン。
杖の先が床に当たる音が近づく。
「———閣下、」
開け放した窓の外に目を向けていた松河原は振り返る。部屋の明かりは消えている。
暗がりから湧き出た書記官は定位置で足を止めた。
「守備軍団司令指揮部隊が御用地内爆発物を回収。帝室武官補上田少佐の身柄を確保。朝稀伯王子殿下が事情聴取に応じなさいました」
「———摂政殿下の押しが効いたらしいな」
守備軍団に連絡を飛ばすと同時に宮城の帝室武官に電話を掛け、摂政殿下に王子の捜査許可を得るよう依頼していた。
穏やかであられても先帝の弟君。国民を震撼させている事件に一族が関わっている疑いありと知って庇う気性の御方ではあられない。
「よくやるよ、全く」
「宇都宮少将が、ですか」
「とぼけるな、弥八郎」
お前がだ、と続けられた言葉に佐渡は口辺の微笑を消す。
「テミスの正体を看破した時から今まで俺は操り人形だ。いや———、全てがお前の掌の上か」
全ての人々の動きはこの男の考えの内だった。
実際、彼の判断助言は全て的を得ていた。何の疑いも抱かないほど自然に事が進んだ。
「まるでフクロウだな」
知恵の象徴とされるフクロウも猛禽の一種。夜の
鷹のように獲物を追いかけはしない。闇に潜み。音も無く。飛び立つにも気配無く。影が差した時には獲物に爪をかけている。
やや切れ長の目が暗がりの中でらんと光ったように見えたのは気のせいか。
「…彼らの言い分が些か気に障りましてな。勝手に悪だ正義だと決めつけられるのは気に障る性分でして」
総司令は苦笑した。
「しかしこれほどお前を怒らせるとはな。殿下もご運がよろしくない」
帝室武官補
帝国の震撼させた事件は国民を更なる混乱に陥れて一応の区切りを見た。
帝国の絶対象徴、皇帝陛下に連なる皇帝一族の王子がこの事件を首謀者だという、俄かに信じがたい話だ。
連日の新聞、ラジオの報道は上田武官補を首謀者とし、王子は彼にそそのかされたのだという論調をとっていた。軍に嵌められたのだと主張する新聞もあるが歯切れが良くない。王子が摂政殿下のお怒りを買っているのが王子の関与を示唆している、と報道側も分かっているのだろう。
朝稀伯は西の事件——西総司令暗殺未遂事件、
世間の報道とは逆に、全ての主犯は王子ご自身であらせられた。
そういえば伯爵家の家紋は鷹だったな。
自身の執務室で総司令上奏の書類や自分宛ての文書をまとめていた佐渡の脳は、そんな言葉をちらつかせた。
フォークスFawks。鷹Hawks。
………大英帝国公用語の鷹の綴りとは最初の文字が違うな。
最初総司令部に届いたあの密告書は誰が出した物だったのか。
密告書の期日に騙されたわけだが、あのガイ・フォークスの絵が言葉遊びを絡めたヒントだったなら王子の関与を暗に示していた事になる。
あれを送り付けた者は助けるつもりだったのか、調査を攪乱するつもりだったのか。
調べる必要がありそうだ。
憲兵部東局庁舎。
接見室の格子の向こうで白髪交じりの大佐はやや切れ長の目をこちらに向けた。
「参謀本部大佐の佐渡と申します」
「貴方が」
『総司令の懐刀』とあだ名される男は、穏やかな表情で用件を述べた。
「少しお聞きしたい事があって参りました、上田武官補」
「何でありますか」
本来階級が上の者が下の者に敬語を使う必要も無いのだが、と上田は調子を狂わされる気がした。
「『ガイ・フォークス』。ご存じありませんか」
「古の大英帝国の火薬陰謀事件の犯人だと記憶しております」
「では、これは?」
取り出された縦長の封筒。広げられた書面には議事堂爆破を予告する文がタイプライターで打たれており、最後には顎髭を生やした男が不敵な笑みを浮かべている。
「これは………」
「議事堂爆破当日朝に憲兵部宛てに届けられた物です」
佐渡は格子の向こうで書面を掲げて見せる。
「貴官が送った物ではないかと考えたのですが、違ったでしょうか」
「そうお考えになる証拠があるのですか」
「貴官の家から押収されたタイプライターと文字が一致しております。絵に使われているインクも貴官の万年筆と同じです」
「よくある物でしょう。偶然では?」
「我が国の言語のタイプライターを持っている者は少ないですよ」
「…自分が送ったとしたら書記官どのはどうお考えになりますか?」
「殿下のなされる事を誰かが止めるよう期待したのでは、と」
佐渡は駄洒落めいた自分の考えに苦笑を見せる。
「ガイ・『フォークス』、王子殿下の家紋『鷹』すなわち『ホークス』。議事堂爆破が王子のお指図だと、火薬陰謀事件の実行犯に絡めて示唆していたのではないかと考えたのですが…ただの駄洒落でしょうか」
30を超えたばかりの少佐はふっと息をついた。
「…密告書を送るようお考えになったのは殿下です。絵は自分が描きました。ほんの戯れですよ。爆破予告に彼がいれば不気味さが増す。…今思えば浮かれていたのでしょう」
「そうでしたか。———或いはまた別の事も考えました」
苦笑いを浮かべたまま佐渡は続ける。
「かの火薬陰謀事件の犯人らは信ずる神の為に王を倒そうとした。厳密には彼らの信じる宗派の為、ですが———。殿下の為、政治を行っている現代の王にあたる方々を倒すとの信念の表れかとも考えたのですがこれも勘ぐりすぎでしょうか」
「殿下が、神と」
すると格子の向こうで上田は甘美な物を味わうように笑んだのだった。
「ええ、神であられる———。帝国並びに臣民の象徴にして尊ばれる御方にあらせられる。そう、ご指摘のとおりであったかもしれません」
上田は自嘲した。
「———結局は彼と同じく王に阻まれましたが」
佐渡の眼の奥に酷く冷えた炎がちらつく。
激情は刹那、常穏やかな微笑の下に消された。
「お時間を戴きました。礼を申し上げます」
一礼した彼は杖を手に立ち上がった。
「書記官どの、」
軍人の中では肉の薄い背に上田は問う。
「殿下だとなぜお気づきになったのでありますか」
ドアに向かいかけていた佐渡は動きを止めて答えた。
「神を名乗っていたからでしょうか」
些細な事をふと思い出したような横顔だった。
「一葉会の方々にとって帝室の御方は神の如き存在。ああまで大胆な事を起こせるのは本当に神がおわすからなのでは、と考えたまでです」
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