テミス
第20話 ガイ・フォークス
古来、侍が国を治めていた時代に開かれた帝都は、発展と拡大を続けてきた。やがて地上の拡大に限界を感じた人々は使われていない空間———地下に目を付けた。宮城並びに議事堂、省庁、軍施設が集まる一帯を除き、帝都では地下空間の開発、利用が認められている。
もっとも、東方面総司令部は海から続く台地上にあり、地盤が固く地下開発には向いていない。
「なあ、
窓からの風に浮いた書類を重石で押さえた総司令は、傍らの書記官に問いかける。
「地面に潜ったら涼しくなるだろうか?」
「その時は寒暑を弁ぜぬ御身になっておいでしょう故、どこでもお変わりないと考えます」
書類の角を整えながら佐渡は不穏な答えを口にする。
「暑いと辛辣になるな、お前は」
「お気になさらず」
暑さより寒さのほうが耐えられるたちだ。
執務室に戻った佐渡は来客があると伝えられ、執務室に通させた。
「憲兵部少佐
佐渡は席を立って敬礼を返す。
「憲兵部の…。昨年の件では大変お世話になりました」
軍内部のモルヒネ密売事件のことだ。憲兵部東局副長の
「前触れの無かった事をお許しください」
詫びを述べた九谷は険しい顔をしている。
「由々しき手紙を入手致しましたので、総司令閣下のお耳に入れるべきと考えて参りました」
一通の封筒を佐渡に差し出す。
「これを、」
よくある縦長の封筒だ。差出人は書かれていない。
「今朝、憲兵部庁舎の郵便受けに入っておりました」
彼の疑問に答えるように九谷が述べる。
中身を取り出した佐渡は三つ折りになった紙を広げる。
タイプライターで打たれた短い文の最後に手描きの絵が添えられていた。
『帝国議会開会当日、議事堂ヲ爆破セントスル企テアリ』
「…なんですと?」
密告書だ。
事実なら文字通り議会は跡形もなくなるだろう。
「にわかに信じ難いですが、これが事実なれば国の面子に関わりましょう」
九谷の言葉に頷きつつ、佐渡は絵をじっと見つめた。
立派な口髭と顎髭を生やした男が不敵な笑みを浮かべている。
「これは…」
「分かりません。犯人の人相書でありましょうか」
彼の脳内で閃くものがあった。
「………何かを示唆しているのかもしれません」
手紙を封筒に戻した佐渡はそれを懐にしまう。
「お知らせいただきありがとうございます。直ちに閣下にお伝え致しましょう」
えらく早いじゃないか、と悪態をつきかけた総司令は険しい顔をした書記官を一目見て眉をひそめた。
「―――どうした」
「憲兵部九谷少佐より憲兵部宛の密告書を受け取りました」
差し出された封筒を開いた総司令は目を丸くし、徐々にすがめた。
「………どう思う」
「警察に議事堂並びに隣接地の地下を捜索させるべきかと」
絵の髭男は『ガイ ・フォークス』。大英帝国のはるか昔、首都の議事堂地下に爆薬を仕掛けて国王暗殺を企てた男だ。彼にちなんだ祭りがかの国で行われている。
密告者の狙いは爆弾を仕掛ける場所を示したものと考えられた。
「場所は分かる。だが、爆発物処理なら守備隊を出すのが妥当だろう?」
「彼には俗説が伝わってございます。『彼の罪は濡れ衣で、国民に不人気な王が仕組んだでっち上げだった』との説であります」
意図を察した総司令は難しい顔で押し黙った。
軍の政治関与を嫌う帝国議会議員の自作自演による、総司令を嵌めんとする陰謀。
軍を動かせば総司令の指示と見られる。捜索で何も見つからなかった場合、議会は軍の不当な介入だと批判するだろう。“あの”一件の仕返しだ。
昨年から今年にかけての皇帝陛下毒殺未遂事件で議会の信用は益々低下し、軍の政治関与への支持は相対的に上昇した。とはいえ、武力を持ち込んだとなれば国民の間に不信が芽生える。議員の陰謀だとすればそれが狙いだろう。
絵を睨んだまま総司令は低い声で問う。
「―――開会はいつだ」
「9月1日でございます」
「まだ時間がある。福部にも裏を取らせよう」
まずは密告の真偽を確かめねばならなかった。
「何故自分を指名したのです」
ハンドルを握る
「補佐という以上使ってやらねば閣下の命に背く」
「部長殿には自分が暇を持て余しているとお見えですか」
「いや」
車を用いた外出に補佐を指名する事は多い。運転が上手いからだ。加速減速が滑らかで加速度変化を感じにくい。その運転は氷上を滑るようであり、仮に茶を飲んでいたとしてもこぼす事は無いだろう。
聞けば
「貴様の運転は傷に触らなくて済む」
「おとなしく休息を取られるべきかと愚考いたしますが」
いちいち勘に障る物言いに佐渡はむっとしたが、顔に出すほど歳浅くも無い。
「貴様は忙しいようだからな、簡単に休むわけにもいくまい」
上野は車を加速させた。ゆるりと車は速度を上げる。
怒り任せの急加速をしない点は評価できる。
大理石の外壁を持つ帝国議会議事堂。隣に建つ赤レンガの外壁の建物は議員会館。改修工事が行われているこちらは足場に覆われている。
「降りますか」
「このままでいい。一周回れ」
会期外の議会でも小規模の会議が行われており議員はいる。軍服では目立つし相手を萎縮させる。
佐渡は左の座席、助手席に後ろに身を移して、議事堂敷地を観察した。
横に広い形の議事堂は中央にピラミッド形の塔を持つ。その下が帝国議会第一議場だ。議事堂中央の第一議場、左に第二、右に第三議場がある。第一議場は議会開会式と閉会式が開かれ、その際は皇帝陛下、現在は代理を務められる摂政殿下がお成りになる。
密告書が信ずるに足る物なら、摂政殿下が巻き込まれる可能性がある。
幼年の陛下に代わって職務を代行なされる殿下も国民の信望を集める存在であらせられる。殿下が遭難されるような事があれば、軍はすさまじい反発を買うだろう。
議事堂内部の見取り図を脳内に広げつつ、彼は外の景色を図に落とし込んでいった。
「⁉」ギャリッ。
右に急ハンドルを切った車は車体を滑らせながら反対車線へはみ出した。
いきなり横に振られた佐渡はドア上のグリップと背もたれを掴む。
「おい‼」
戻れと声にしかけた彼はハッとする。
視界の隅で議事堂1階の窓が、爆ぜた。
ドオオォン!!!
直後に瓦礫と衝撃波が襲い来る。
寸前、車は大通りを横切りビルディングの間の横道に入っていた。
ガラスの破片が輝き宙を舞う。車は路上を滑りながらビルディングの側面を回り込む。
土煙が大通りから迫って来た。割れたガラスが降り注ぐ。
パリン。
トランクの蓋にガラスが当たって砕けた。
ガツン。
窓にコンクリートの欠片が当たった。
横滑りの勢いのまま車はビルディングの陰に入った。車の前に飛んできたガラス片が落ちてくる。
ガシャァァァン。
荒く車を止めた上野は無表情で振り返る。
「乗っておられますか?」
「安否確認がそれか?」
満員電車の乗客よろしく後部ドアの裏に張り付いていた佐渡は床に落ちた軍帽を拾い上げる。
「ご無事で何よりであります」
「取ってつけにしか聞こえんぞ、少佐」
爆発と衝撃に驚いた人々が道路沿いの建物からわらわらと出てきた。佐渡らの来た方向から走ってくる人の姿もある。
「何だなんだ?」「無事か?どうした⁇」「地震⁇今の………」「棚が倒れるかと思ったよ全く」「こっちは本が全部落ちたよ」「おい、むこうの建物が滅茶苦茶らしい‼」
文字通りの騒然、状況把握の為の誰彼構わぬやり取りの中で車を降りた二人が、恐らく最も早く事態を理解した人間だろう。
「総司令部に議事堂で爆発があったと連絡。守備軍団の出動を要請せよ」
「はっ」
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