96 開高健『日本人の遊び場』⑳
〈たとえば、ある客は、どうもなにかの職人らしく気むずかしい顔をした老人である。〉
年齢、職業ほか、なにもわからないまま常連となっている方だそうです。
〈わかっていることといえば、この客の簡潔きわまる奇癖だけである。番組は一日、十一日、二十一日と十日めごとの一の日に変るが、この客はいつも初日にやってきて、舞台をながめる。そして、舞台がハネると、小屋の係りの人のところへやってきて、たったひとこと、
「いい」
とつぶやく。
あるいは、また、
「わるい」
とつぶやく。
ただそれだけつぶやいて帰ってゆく。この客がこの小屋でしゃべる言葉は、その二つのうちのいずれか一つだけなのである。〉
いい、わるい、どちらの時もその後も二日三日と続けて通うのですが、あとは何も言わずに帰ってゆくのだそうです。
怖くないですか(笑)カクヨムで、コメント欄に
「いい」
とか
「わるい」
だけ書かれたら怖いですよ(笑)
個性的なお客はまだまだいます。
〈上野毛(世田谷区)あたりに暮していた年配の小さな地主の客は、いつも小屋にくるとき、風呂敷包みをかついできた。〉
なかには、季節の野菜が入っていたそうです。
〈彼はかぶりつきのあたりの席にすわると、舞台をじっとながめていて、気に入った芸、気に入った芸人があるとそのたびにたちあがって、風呂敷包みのキャベツやカボチャを、むきだしのままゴロゴロと芸人のほうへころがした。〉
年中そのような観劇スタイルだったそうでしたが、そんな彼が亡くなった時に、安来節芸人の豆子さんは泣いたという人づての話があったそうです。
観客と芸人の、心の交流が見えるエピソードですね。
〈この御隠居もまた変わっている。〉
上野駅前のすし屋の御隠居です。
〈毎日、毎日、木馬館へくるのである。〉
店は息子さんが継いでいますので、御隠居は店の小僧たちにこまごまと指導をしたあと、自分でも寿司をにぎって楽屋への差し入れをつくり、木馬館へ行くのです。
〈毎日、毎日、おなじ演題をやっているようでありながらも、その日その日で微妙な変化を芸人が示すのを興深く観察する。そしてうまいと思ったときはすかさず拍手し、まずいと思ったときには、ただだまって扇子を使うだけである。〉
そうして去年は百五十日かよっていたそうです。今年はそれを越せそうだとも。
驚く開高に、この老人は突如「正調〝ガマの油〟」をとうとうと語り聞かせてくれます。芸達者でもあるのです。ほかにも漫談をたくさん語れるそうです。
〈「……わたしの漫談を聞いたら、きっとあんたがたは、キョートーするよ。キョートーというのは、漢字で、驚き倒れると書きます。あまりのうまさに、びっくりして、たおれてしまうというほどなのだよ。それは、もう、年季が入ってるの」〉
ほんとに一癖も二癖もあるなあ(驚)
お客についてのルポはまだまだ続きます!
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