97 開高健『日本人の遊び場』㉑
さらに、こんなお客さん。
〈私が見ているときにも一人の老人があらわれた。〉
昭和38年の老人は幾つからでしょう。
〈年のころは五十五、六歳。〉
五十代はもう老人です!
〈いまどき珍しいカンカン帽をかぶり、首に
ファッションが尖っていますね!
彼はミルクコーヒーを飲みつつ観劇をし、舞台への差し入れはもちろん、場内にいる子供にもあれこれ麦わら帽子やジュースやらを買い与える人として知られていました。
豆子さんによると、このような噂があるらしい。
〈「いつもああするんですよ。いつおああしてそこいらの子供になにか買ってやるんです。なにをしている人なのか、名前もなにもいわないからわからないんですが、子供を三人とも死なしてしまったとかいうことです。どこかの組の親分衆じゃないかってみんな噂していますけれど、よくわかりません」〉
ほかにも、木戸銭百三十円を払ってくる常連さんたちは、十時間飲まず食わずで舞台に見入っている人、野菜売りのおばさんは、一杯ひっかけて座席で安来節を踊り出すということですし、飛ばす野次を練りに練って、調子をつけて時事ネタも織り込んで、二度同じ野次を飛ばさない花屋のおじさんなど、並々ならぬ方々ばかりです。
花屋のおじさんの長い長い創作野次「豆ちゃん見染めて十八年」が紹介されていますが、花屋の仕事の合間にみごとなものです。長いので省略しますが、開高はこのように感心します。
〈こういう遊びは、私には、最高の遊びのように思えるのである。〉
パリのシャンソン小屋でも同じようにタバコがもうもうと立ち込め、ブーイングや鋭い罵倒や皮肉を舞台に浴びせていたというのですが、それに匹敵する好もしい率直さに木馬館も包まれているし、ひょっとしたらパリ以上、世界にもどこにもないと絶賛します。
さいごに開高は、それとくらべて銀座の味気無さを嘆きますが、顧みるとそういう自分は安来節の味がわからない人間であると残念がります。インテリだもんなあ。野次を飛ばす人たちをうらやましく眺めるだけの、外国人のような気がするというのです。
〈私のように安来節のわからない人間が毎年ふえるいっぽうだとすると、やがて木馬館は、いまつめかけている年配の人たちが死んでしまうと、どういうことになるだろうか。
こういう小屋がなくなるかもしれないと考えるのは、私には、なんともさびしく、無残なことのように思えてならない。〉
現在の浅草木馬館は、大衆演劇の小屋になっており、私もいつか観劇に行きたいと思っています。地方でしか大衆演劇みたことないので、野次とかどうなんですかね。濃い目のお客さまは見たことありますけど。
1963年の木馬館とはまた違った熱気に出会えると思いますが、安来節にのれなかった開高は大衆演劇はどう思うんでしょうね。
今回で『日本人の遊び場』篇は終了です。
お付き合いありがとうございました。
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