95 開高健『日本人の遊び場』⑲

 お正月の木馬館は、芸人の熱気、野次る観客がいきいきとしていました。


〈舞台と観客席のあいだには絶妙の均衡が保たれているらしい。客と芸人の野次りあいは両者とも完全に呼吸が合って、痛烈をきわめていながら、けっしてたがいを傷つけない気配なのである。それを見ているうちに私はわくわくし、全身の血がさわぎたつのをおぼえた。そして、その熱さのなかで、とつぜん、これこそがすべての始まり阿野ではあるまいかと思った。〉


 古来から。ギリシャの円形劇場を、シェークスピアの喜劇を、歌舞伎を見に押し寄せた客の、むきだしのどよめき。開高は、この安来節に集まった観客にも同じものを感じます。


〈百人の劇作家が百人とも内心ひそかに渇望しているのはこれではないのだろうかと思ったのである。〉


 演者と観客が作り出すこの濃密な空間。


 では、実際どんな観客がここにはいたでしょう。

 開高は夏にふたたび木馬館を訪れます。


〈八月が白熱している東京の町々をあえぎあえぎ通りぬけて木馬館へいってみると、日曜日でもなく、冷房装置もないのに、客席はすっかりふさがっていた。〉


 お客の年齢は四十代から七十代くらい。


〈おっさん、おばはん。御隠居。兄ィ。一見紳士風。ニコヨン。保険の勧誘員。登山帽。ゴム長。ステテコ。ねじりはち巻。浴衣。ラーメン屋の割烹着。ゲタばき。ゴム草履。汗ばみ、よごれ、くたびれ、垢と皺にまみれた壮年や老年の男女が、百三十エン払って手に入れた堅い板張りの椅子に体を埋めている。〉


 働くおじさんおばさん、おじいさんおばあさんの熱気。


 安来節の人気者、豆子さんは、野次を切り返すのが特技なのですが、この日は暑くて誰も野次を飛ばさないので、


〈「みなさん、今日は、お休みですか?」

 いささか不満げに彼女がちいさな、まるい目を光らして挑戦すると、男たちは、はじめて体を起して、ドッと笑った。〉


 何となくやりとりの様子が伝わる描写です。

 しかし、こんな濃い雰囲気になじんでいるお客というのは、どんな方でしょう。


〈この小屋にくる客のなかには一癖も二癖もひねったのが多いそうである。〉


 次から開高の、観客についてのルポが続きます。

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