48 昔は〈映画化〉したもんだ。④幸田文『おとうと』

 こちら『昔は〈映画化〉したもんだ。』も唐突に続きます。


 二十代の頃、マイブームが幸田文だった時期がありまして。『動物のぞき』からずるずるはまっていったんです。あのかわいい動物写真つきの。


『おとうと』は読んでから数年のちに市川崑監督の映画版を見たのですが、冒頭の短い映像を見たと同時に原作冒頭のこの部分も鮮やかに思い出すという経験をしました。


〈げんは割に重い蛇の目をかたげ、歯のへった歩きにくい足駄で、駈けるように砂利道を行く。片側は大きな川、片側は土手下の低い屋根がならんでい、桜並木よりほかに物のない土手の朝である。〉


 あらためてみると、こんなに具体的に描写されていたんですね。

 幸田文を読んでいると、こんなふうに何気ない光景が、細かに描写されています。そしてその積み重ねが読者をゆるりと作品世界の中へいざない、のちのちの場面で効いてくる、ということがしばしばあります。


〈のろのろと歩いているものなど一人もない中だけれど、その足達者な人たちを追いぬき追いぬき、げんは急いでいる。一町ほど先に、ことし中学一年にあがったばかりの弟が紺の制服の背中を見せて、これも早足にとっとと行く。新入生の少し長すぎるうわぎへ、まだ手垢ずれていない白ズックの鞄吊りがにかかって、弟は傘なしで濡れている。腰のポケットへ手をつっこみ、上体をいくらか倒して、がむしゃらに歩いて行くのだが、その後ろ姿には、ねえさんに追いつかれちゃやりきれないと書いてある。げんはそれがなぜだか承知している。弟は腹を立てているし癇癪を納めかねているし、そして情けなさを我慢して濡れているのだ。〉


 姉と弟の心の内側の描写はまだまだ続きます。


 次回、映画版冒頭と見比べてみたいのですが、週末になるかもしれません。

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