アシュレイ・ローズ――そして





 青臭い子供と、悪霊は私を評価した。

それは初めての経験だった。



 私は幼いころから完璧な名家の令嬢として育てられ、その期待に応えてきた。

 将来はサルビア家に嫁ぐことが決まっていたが、家督はベイルでは無く私に譲った方がサルビア家が栄えるのではないかと褒められることも多く、私はそれを不謹慎だとたしなめながらも内心は悪い気がしていなかった。


 そんな私にとって、婚約者のベイルはとても手を焼かされる相手だった。

 どれだけ好意を示してもつれない態度をとるばかりだった。ローズ家とサルビア家は今後の政策と都市の運営において深い協力関係になる事が求められている。私とベイルの婚約はそれを象徴するためのものだ。

 もちろん政治的な理由だけでなく、私はベイルの事を気に入ったからこそ父が進めてきた婚約の話に首を縦に振ったのだが。


 しかし婚約を決めた当初と違い、ここ一、二年の間はベイルがとても冷たい。

それは私の心に突き刺さる態度だったが、それを表に出せば、ローズ家とサルビア家の間に悪い噂が流れる事になる。

ただでさえベイルの行動で不仲の噂が流れている以上、私がしっかりとしなければならないと意気込んだ。


 そしてそれが馬鹿だと、悪霊は私を評した。


 私がしっかりするという言葉は、見方を変えればベイルを下に見たもので、それこそがベイルの反発を買う理由だった。

 それならばどうすればよかったのかと思うが、どうにもならねぇよと無責任に返されるだけだった。

それは無責任な突き放した答えでは無く、私は一度ベイルの気持ちを思い通りにしようとするのを、諦め無ければならなかったのだ。

そうしなければベイルの考えをちゃんと理解することはできず、お互いの為になる事を考える事も出来ないから。


 悪霊はそれをやった。

 何も考えずにベイルを殴り飛ばして、煽って、その気持ちを聞き出した。

噂を聞いてわかってはいたけど、ベイルは私よりも好きな女の子がいた。家の都合を投げ出しても結ばれたいと想うほどの相手がいた。

ずっと親の言いなりなって、もう好きでもないベイルの気を引こうとしていた私とは違うその姿勢に、初めて負けたと思った。

 私のそんな気持ちを、馬鹿じゃねぇのと、悪霊がまた笑った。

笑われたけれど、悪い気はしなかった。



 一晩経って、アスラが私の異変をズバリと言い当てた。悪魔と悪霊という点こそ間違えていたけれど、私の異常を簡単に見破ったアスラに私は嬉しくなった。エリナに気持ちを盗られていても、ちゃんと私の事を見てくれていたと思って。

 そのアスラは簡単に悪霊にほだされて、兄と呼びはじめた。

 私も少しずつ悪霊が悪い人では無いかもしれないと思い始めていた。


 そしてその気持ちは、グラムの想いと一緒に砕かれた。

 あれは無いでしょう。

 恋愛ごとに疎い私でもグラムがどれほどの勇気を振り絞ったかは分かった。

張ろうとしている声にはいくらかの震えが混じっていたし、目線は私をしっかりと捉えようと意識しすぎたものになっていた。


 悪霊は人生経験豊富な男の人で、グラムの真剣さもわかっていたのに、茶化すような態度で逃げ出した。

 それを責めるような気持ちを向けても、いやぁ、悪い悪いと、全く悪びれた様子のない言葉ではぐらかされるだけだった。



 そして悪霊は、私の純潔まで奪った。

いえ、正しくは奪われていないし、奪ったのはそもそもあのエリナであったし、ついでに言えば最後に私は抵抗しなかったから、奪われたというのは間違いかもしれないけれど。


 昔、私が渡したミサンガをみて、目の前のエリナとかつて見た悲惨な少女が繋がった。その顔かたちははっきりと同じ人物なのに、その雰囲気の違いから私は今までずっと別人だと思い込んでいた。

 あの少女、エリナを家で引き取れないのかと、そう泣いてお父様たちを困らせたのを覚えている。


 幼いころから優秀だった私は、ローズ家の当主代行として仕事をすることがあった。

今から思えば仕事をしていたのではなく、将来に向けた箔づくりの一環として仕事に同行させられていただけなのだけれど。

 エリナと出会ったのは、そんな名家に生まれついたものとしての義務を果たしていた折の事だった。


 エリナはとても傷ついていた。エリナだけでは無くその施設にいる子は全てが傷ついていた。

当初はただの視察が目的だったが、同年代の子と私が友達となりたいと思って話しかけたことがきっかけで、その施設の悪事が明るみになった。私はそのきっかけ以外に何かをしたわけでは無い。

 私が施設の子と話をした内容を一緒に来ていた大人たちに話すと、彼らはそのおかしさに気付いてすぐに行動を開始した。それからは早く、数日のうちにその施設は解体された。


 そしてその施設にいた子供の一人が、ずっと私を見ていた。何の感情も浮かべない瞳でじっと私を見ていた。暗い暗い底なしの闇のような瞳だった。

 私はそれを怖いと感じた。

 怖いと感じながら、その子を助けたいとも思った。

その子は私のような名家の人間の娯楽の為に良いようにされてきた。そんな子を助けるのは、それこそ名家に生まれその恩恵を享受しているものの務めであると思った。


 ただ結局は父様たちの意向には逆らえずに、エリナは別のまっとうな施設に預けられることになった。

 昔の話だ。

 最近ではその子の瞳は記憶から大分薄れていて、時折思い出すだけになっていた。

そうして思い出すたびに、私はこの都市の為に、この国の為に何が出来るだろうと考えた。それは、今の私を形作る大きな意志になった。



 その記憶の中のエリナが、何故か私の横にいる。同じベッドで、裸になって。

 ……強烈な頭痛がする。目まいもする。ただそれまで感じていた悪霊は消え、身体は私の自由になっていた。

 いいえ、それは違う。

その気になればこの身体は簡単に私の思い通りになったのに、何もしたくないとふてくされて心の奥に引きこもっていたから、あの悪霊に良いようにこの体を使われることになっただけだ。


 エリナは泣きそうな顔で私を見つめている。


 白状すれば、私はエリナ・ユリという子が嫌いでは無かった。

 私がどんな嫌がらせをしてもへこたれない強さにはむしろ好感を得たし、騎士を輩出する学校の中で彼女は決して恵まれた才能を持ってはいなかった。

それでもしっかりと自分にできる努力する少女だった。

イジメなんて情けない真似をしておいて勝手だと思われるかもしれないけど、ベイルが盗られても仕方ないとは思った。

 もっともベイルだけでなく弟やグラムにも色目を使っているのは気に入らなかったから、ずっと心の中でビッチと呼んでいたけど。


 しかしまさか狙われていたのがベイルでもアスラでもグラムでもなく、私だったとは思わなかった。


 目の前で泣いているエリナに、かつてのエリナの眼差しを思い出す。

あの時のエリナは、きっと泣き方もわからず暗い所を彷徨っていたのだろう。私はそれを助けられなかった。

 だからという訳ではないが、私はエリナに優しくしたいと思った。


「……泣きたいのはこっちよ、もう」

「……あ」


 私はそう言ってエリナの涙を指で拭おうとして、ちょっとした悪戯心が湧き出た。私はその思いつきにしたがって、エリナの涙を唇で拭った。

 ほんのついさっきまでもっと色んなところを、それこそ恥ずかしい所や汚い処にまで色々と口づけをしたけど、それは悪霊が勝手にやったことで、私の意志では無かった。

 だけど私はそれを嫌々ながらも仕方なく、本当に仕方なく見ていたのでこんな大胆な事をしてしまったのだと思う。

そしてつい悪霊のやるような事をしてしまって、すごく恥ずかしくなった。自分の意思でやったのだと自覚しているから、なおさらに恥ずかしくなったのだ。


「別にいいわよ、怒ってない――きゃっ!!」


 照れ隠しに素直では無い口が開きかけたところで、エリナが急に元気になった私に覆いかぶさってきた。これはそういう事だと直感して、抵抗しようとする。

女の子の頬にキスをしただけでも恥ずかしくて死にそうなのに、悪霊さんとしていたようなことをしたら、それこそ私は心臓が破裂して死んでしまう。


「ちょっとあれだけやって、その、待って、私は普通にお――」


 男の人が好きだからと、はっきりと拒絶をしようとするが、エリナはそれよりもとても早かった。

いえ、そうでは無く、抵抗しようとする身体や口が、まるで内側から誰かが邪魔をしているみたいに思い通りに動かせない。



 そして私は、エリナに良い様に凌辱された。

 ……もう、お嫁に行けない。



 ******



 家に帰ったのはもう日が落ちるぐらいの時間だった。

 エリナを家まで送り――エリナはむしろ自分が送ると息巻いていたが、学校での剣技や魔法の成績を考えればその役目はどう考えても私だった。


「また学校で会いましょうね」


 そうツヤツヤとした満面の笑みのエリナと、微妙な表情の彼女のご両親にお見送られて、私は家路をたどった。

 帰った私を出迎えたのは、悪鬼のような形相の父と、泣き晴らした顔の母と、何故かげっそりとした表情のアスラだった。

 アスラは私が悪霊につかれていることを両親に説明してくれていて、私が正気に戻っていることをわかってもらうと、二人は露骨にほっとした表情を見せ、ずっと苦労を掛けていたなと労わってくれていた。アスラは少し寂しそうにしていたけど。


 サルビア家との話し合いは私が心配していたような事にはならず、円満な婚約破棄となりそうだった。

ベイルも憑き物が取れたようなすっきりとした顔で、今度私に謝りに来たいと父さまに土下座していったそうだ。

大事な娘を傷つけておいてすっきりした顔をしているのには腹が立ったと、父さまは少しご立腹だったが。

 私はそんな簡単な話だけをして、疲れていることを理由に、早めに自室に戻った。


「いるんでしょう、悪霊さん」

(おう。気付いてたのに親父さんたちには話さなかったな。俺が暴れるとでも思ったのか?)


 面白がるような悪霊の言いように、私は鼻で笑った。


「そんな事、心配してるに決まっているでしょう。消えたと思ったらしぶとく私の中に残って、どうすれば消えるのかしらね」

(いやぁ、俺もあんたがしっかり目を覚ませば消えるもんだと思ってたんだがな。まあ、教会にでも行くしかねぇんじゃないか?)

「……悪霊さんは、消えたいの?」


 教会に行くにしても抵抗する気はないと、そう聞こえて思わず問い返した。

この悪霊はとんでもなく下品でスケベだけど、このまま私の中から消えてしまうのは悲しいと、そう思ってしまった。


(別に消えたい訳じゃあないけどよ、俺はもう自分の人生を楽しんだんだよ。わざわざ若い奴の人生潰すような形で生き返りたいとは思わねぇ。まっ、心配されて悪い気はしねぇけどな)

「別に心配なんてしてないわよ」


 私がそう返すと、くっくっと、押し殺すような笑いが私の心に届く。未熟な私と違って、伝えたくない気持ちは隠せるくせに、性格の悪い悪霊だ。


(まあ、そんな訳だ。アンタが俺を消したくなったら教会に行きな。それまではよろしく頼むぜ)

「そうね、私は心が広いから。しばらくの間は間借りさせてあげるわよ。でも今回みたいに変な事をしたら容赦なく叩きだして地獄に送ってやるから、覚悟しておきなさい」


 そう、エリナが襲い掛かって来た時に邪魔をしたのは間違いなくこの悪霊だ。

 私はこれからあの子にどんな顔をして会えばよいのか。そしてそれはベイルやアスラやグラムにも言える。

 本当に頭の痛い問題だった。


(ははっ、肝に銘じておくさ。でも、気持ちよかったろ)


 セクハラするな、この悪霊チンピラ!!





 ******



 いじめっ子令嬢とチンピラ悪霊の(ある意味)戦いは、まだまだこれからだ!!


 ――という訳で、これで完結となります。

 お付き合いありがとうございました。




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チンピラに憑りつかれたいじめっ子令嬢とビッチなヒロイン 秀哉 @shu-ya

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