愛――そして願い
素敵な学生生活は、しかしあのベイルのせいで終わりを告げました。
いえ、しかし今回ばかりはベイルに感謝するべきかもしれません。
ベイルに婚約破棄を突き付けられたお姉さまは、この世の終わりのような顔をして、私を見ました。
私は自分の喜びを追求した結果、お姉さまの心を深く傷つけていました。
その事に、お姉さまの顔を見てようやく思い知ったのです。
お姉さまの瞳から、あんなにも鮮烈だった輝きが失われる。
私はそれを声も出せずに見てしまった。それは私の罪であり、私への罰でした。
お姉さまが、別の誰かになってしまったのです。
誰かはお姉さまの身体で、お姉さまの声で、お姉さまと同じように力強い立ち振る舞いで、しかし欠片も優美さを持たずに、なぜか私を巡ってベイルと争ったのです。
その誰かは当然偽物だけれど、お姉さまが私のために戦っていると思うと胸が熱くなってしまいました。
もっともその誰かは、どうもベイルの為に喧嘩を仕掛けたようですけれど。
お姉さまが変わってしまった。
私はその原因であるイジメられた生徒という事で、話を聞かれることになりました。
私は当然、イジメられてなどいないので、正直にそう言いました。
私の趣味嗜好は他人には理解されないと理解しているし、そもそもお姉さまとの秘密をそうやすやすと教えるつもりもありません。なのでそこはぼかして、しかしイジメというのは誤解だと理解してもらいました。
それでも学内の、それも大勢の前で私闘をしたというのは大きな問題で、アシュレイお姉さまとベイルは停学が妥当だと言う話になりました。
その件で私にできる事はありません。
教員の何人かを誘惑すればあるいはどうにかできたかもしれませんが、今はそれよりもお姉さまの身体を乗っ取っている誰かへの対処が最優先です。
私は久しぶりに友達の家に泊まると言い訳を使い、図書室にこもりました。あの時のお姉さまははっきりと別人でした。そんな事があり得るのかと調べ回って、悪魔憑きという病気に辿り着きました。
教会の偉い神父様なら何とかできるという事なので、さっそく私はお姉さまの家に忍び込み、あまり気は進みませんでしたがアスラの寝室に入りました。
アスラはこんな事があったというのに幸せそうにぐっすりと眠っていました。その幸せそうな寝顔に張り手でもしてやりたいところでしたが、今はやるべきことがあります。
私は延々と『お姉さまは悪魔憑き、お姉さまは悪魔憑き』とアスラの枕もとで囁きました。一時間ほど繰り返すと、アスラが寝言で『あくま、あくま、あくまつき……』と言い出したので、私は満足してお姉さまの部屋の屋根裏に引き上げます。
しばらく使っていなかったので埃が溜まっていますが、そんなものは未来のお姉さまのメイドたる私にかかれば容易く一掃できる程度の物なのです。
覗き穴からお姉さまの様子を伺うと、安らかな顔で眠っています。ですがお姉さまらしくない大口を開け、大の字になっているはしたない姿は、やはりお姉さまでは無く誰かが憑りついているせいでしょう。
私はそのままお姉さまの姿を見守り、夜を過ごしました。
翌日、私はお姉さまの家の者が誰も起きていない早朝にお姉さまのお屋敷を去り、いったん自宅に帰りました。朝帰りです。
……ちょっとむなしくなりました。
とりあえず家に帰ってお母さんやお父さんに事情を説明しました。学校で大事な先輩が疑われていて、横恋慕した悪い先輩と喧嘩をする羽目になったと。そのため学校を休んで先輩のお見舞いに行きたいと。
お母さんはにやにや笑いながら『先輩と上手くいったらお家に呼びなさいね』と、快く許してくれました。お父さんは最後まで何か言ってましたが、お母さんに説得されて渋々と認めてくれました。
「あいつの好きな先輩って、確か女だぞ」
出掛けに、兄さんが両親にそんなことを言って、リビングが騒がしくなりましたが、私は急いでいるので気にせず出かけました。
急いでお姉さまのお屋敷に戻った私ですが、残念ながら少し遅かったようです。
未来の上司である綺麗なメイドさんに『お嬢様は今は誰とも会えません』と、門前払いをくらいました。一応、謝罪のための菓子折りはお渡しできましたし、お姉さまやご両親への言伝も受け取ってもらえましたが。
しかしだからと言って素直に帰る気は無く、私はいつものルートでお屋敷の中に忍び込みました。そしてすぐにお姉さまが屋敷の中にいないことを知りました。
お姉さまは誰とも会えないのではなく、停学中に外出しているという事実を隠したくて、先輩メイドさんは咄嗟にそう答えたようです。
私の中でググッと先輩メイドへさんへの好感度が上がります。私はお姉さま一筋ですが、一晩ぐらいなら付き合ってあげてもいいと思えるぐらいには、好意を抱きました。
それはさて置き、とにかく今はお姉さまです。
あのアスラもいないようなので、さっそく教会に向かったのかとも思いましたが、私の嗅覚がそれは違うと告げています。
私はすぐにお姉さまの足跡を見つけ、そのまま追跡します。お姉さま以外にアスラと、そして体格の良い男の足跡がありました。心配です。
……しかし、お姉さまの足跡が変です。お姉さまらしくない歩き方は誰かに憑りつかれているからそれでいいとしても、少しづつそれがお姉さまの淑女の鏡のような、たおやかや歩きに近づいているのです。
もしかしたらお姉さまは少し疲れているだけで、それを癒す間だけ誰かに身体をお貸ししているのでしょうか?
お姉さまたちの足跡をたどった先では、お姉さまとアスラ以外にグラムがいました。
むっつりグラムです。
グラムは男ですが、決して嫌いな相手ではありません。むしろある種のシンパシーに似た感情を持っています。ですがだからこそグラムは敵です。決して相容れぬ敵なのです。それも家柄だけのベイルとは格の違う強敵です。そして男です。
グラムはむっつりなので今のところお姉さまに手を出す気配はありませんが、もしその時がきたらと思うと背筋が凍ります。
お姉さまがグラムの魔の手を受け入れるかもしれないと、そう思ってしまうからです。もしそうなったら私は諦めるしかありません。私はお姉さまが大好きですが、だからこそそのお気持ちの邪魔はしたくありません。
いいえ、私はすでに大きな邪魔をしてしまいました。ベイルのような男と結ばれてもお姉さまは幸せになれないとは思いますが、それでも決めるのはお姉さまなのです。
そして私情を抜けば、グラムはお姉さまに相応しいと、認めてもいいような事も無いかもしれないと気の迷いを起こしてしまいそうになって寝込みたくなるぐらいには、考えています。
家柄、実力、性格にお姉さまへの愛情と、一通りは最低限の物を持っていますから。ベイル? あれは家柄だけです。去年までなら実力もあったのでしょうが、今はダメです。
グラムとお姉さまの姿をした誰か、それとアスラがお酒を飲んで談笑するのを、私は寂しく眺めています。
お姉さまはふとした瞬間にお姉さまに戻っていました。笑う際に口元を隠すしぐさ、座った際の足の位置、背筋のはり方などところどころにお姉さまが現れます。
やはりお姉さまは強い人です。こんな短い時間で自分を取り戻そうとしているのだから。
お姉さまたちの会話が途切れ、雰囲気が変わりました。
不味いと直感した時は、むっつりグラムがオープングラムになってお姉さまにスケベしようとしてました。
そして殴られました。
ナイスです、誰かさん。いえ、悪霊さん。
あれがお優しいお姉さまだったら勢いにやられていたかもしれません。ですがお姉さまが率先して受け入れようとする気持ちが無かったから、とっさに悪霊さんが動けたんですよね。私わかります。
つまりグラムはむっつりでもオープンでもお友達グラムなわけです。
私は踊り出したい気持ちを抑えながら、繁華街を歩くお姉さまの後をつけました。そうして浮かれていたのが悪かったのでしょう、悪霊さんに見つかってしまいました。
とりあえずずっと覗いていたことがばれるのは良くないので、早々に姿を現すことにしました。
私はたまたまお姉さまのお姿をお見掛けしたから声をかけただけですよ?
******
お姉さまを、特別なお店に連れ込むことに成功しました。
……私は何をしているのでしょうか?
目の前にお姉さまがいる。いえ、今は悪霊さんですが、しかし目の奥の冷たさにはお姉さまを感じます。感じてしまい、ついつい連れ込んでしまいました。後悔はしていません。
そして色々あって、悪霊さんに抱かれました。
悪霊さんはどうも男の人だったようですが、お姉さまの身体なので当然あの汚らわしいものもなく、またその手管も今までぼどんな男よりも優しくねっとりとしたものでした。
それがお姉さまの手で、口で、全身で行われるのです。
とてもとても満足できるものでした。身体の交わりに、私は初めて心から快感を得ました。
そうしてお姉さまの身体に憑りついた悪霊さんと、裸で同じベッドに寝ています。
私は今、とてもむなしい気持ちを感じています。
私に触れる指先に、唇に、舌先に、一切お姉さまを感じませんでした。数時間にも及ぶ交わりは、ただただ私と悪霊さんの欲望がぶつかり合っただけのものでした。私の
ふと、実の父の顔が脳裏によぎりました。
私を犯し、その後で必ず泣いて謝っていた父の気持ちを、今になって理解した気がします。
欲望に負け、悪霊さんを利用してお姉さまを穢した私は、まぎれもないあの父の娘です。
悪霊さんは愛を許すものだと言いました。お姉さまは私を思い出し、私の欲望を許してくれました。
ですがこの愛は一方通行です。
お姉さまは決して私を求めようとしませんでした。そうである以上、私がお姉さまの欲を許す愛は発生しようがありません。
愛する人を、本当の意味で愛することが出来ない。そしてそれは紛れも無く私のせいです。
私は横で眠るお姉さまの頬を撫でました。
「気持ち悪いですよね、私の事」
最初からビッチで最低な私は、お姉さまの近くにいて良い人間ではありませんでした。
このまま去ろう。そう思いました。
ですが身体が動きません。お姉さまを見つめる目線を動かせません。お姉さまが起きる前にここから去らなければならないと思うのに、あと少しだけこのままでいたいと思ってしまうのです。
私はやはり、欲まみれの汚い人間です。
「……泣きたいのはこっちよ、もう」
ドクンと、胸が高鳴りました。その声は全く同じ身体から生まれ、でも全く違う響きで私の胸に届きました。
お姉さまの、悪霊さんでは無いアシュレイお姉さまの美しい瞳が、とろんとした眠たげなけだるさで私を見つめます。
「……あ」
私の口から間抜けな声が漏れました。腕を見れば、ずっと大事にしていたミサンガが切れていました。こんな子供向けの道具で願いが叶うなんてのは、ただの迷信です。
お姉さまとの初めてだからつけておきたいと、激しい運動をするのに付けたままにしたから切れたに違いません。ですが、それがこのタイミングという事に、私は何かとても強い意味があるのではないかと思ってしまったのです。
チュっと、お姉さまが私の眼もとに口づけました。いつの間にか流れていた私の涙を、悪霊さんでは無い確かなお姉さまがその麗しい唇で拭い、その頬を赤く染めています。
これはオッケーって事ですよね。そうに違いないですよね。ニャンニャンしちゃえってことですよね。私、もう迷いません。
「別にいいわよ、怒ってない――きゃっ!!」
お姉さまの口から可愛らしい悲鳴が上がります。お姉さまは本当に私の喜ぶポイントを知っていますね。とても興奮します。
「ちょっとあれだけやって、その、待って、私は普通にお――」
聞こえません。私が聞きたいのはお姉さまの艶やかな嬌声だけなのです。
ああ、そうか。そういう事だったんですね悪霊さん。
先ほどまでねっとりと私を責めたてたのは、私にお姉さまの責め方を教えるためだったんですね。ありがとうございます、悪霊さんから教わった技術で、しっかりとお姉さまを満足させてみせます!!
「ふぁぁぁぁぁぁぁああっっ!!」
お姉さまとの本当の意味での初めての時間は、とても充実したものとなりました。
ところでお小遣い全部持ってきたけど、ホテル代たりるかな?
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