廃屋の情け
春嵐
廃屋の情け
こんな廃屋に。最初に思ったのは、それだけだった。
小綺麗に並べられた家具。頑丈に張られた床。そしてキッチン。
「おっ。えっあっあの」
風呂らしきところから出てきた。ほかほかの男性。この廃屋の主。
「失礼しています。官邸の者です」
「かんてい?」
「おたくの廃屋、いやこうなると家か。この家屋の近くに危険があるということで伺ったのですが」
「き、きけん?」
まず服を着てください。そちらのほうが危険です。
「あっごめんなさい」
後ろに引っ込んだ。ようやく服を着るか。
「お茶を」
違う。違うから。服着よ。ね。まず服を。
「あと、お茶菓子」
「あの」
「あっはい」
「服は?」
「服?」
ようやく男性が服を着ていないことに気付いた、らしい。
「あっえっ。だめですか。結構お気に入りの服なんですけど」
ああそうか。違うのか。
「もうしわけありません。わたしの目から見ると、あなたはパンツしか履いていません」
「え?」
パンツを確認する男性。いやパンツの柄は気にしてないですけど。
「あっそうか。家の外観と同じか」
知ってるのか。
「この場所にあるものは、なぜか透過したり古びて見えたりするらしいんですよねえ。いや僕ぜんぜん分からないんですけど」
男性が笑う。
「その解決にわたしが派遣されてきました」
「官邸から?」
おっ鋭い。
「はい。うそです。ごめんなさい。官邸は関係ありません。近くの街から来ました」
「官邸と敵対してるじゃないですか」
あっわかるんだそういうパワーバランス的な関係も。
「じゃあ話が早いですね。とりあえずここを出ていってください」
「えっこんなに居心地いいのに」
「官邸に狙われます。擬装工作しなくても勝手に見た目が廃屋になる場所。いかがわしいものを隠し放題ですから」
「いやいやいや」
なんだ強情だな。青と黒のかっこいいぱんつのくせに。
「え?」
「あっいや」
しまったパンツ凝視しちゃった。
「とにかく。出ていってください」
「いやあ。他に住む場所ないしなあ」
「わたしの部屋にどうぞ」
「ええ」
なんで多少イヤそうなんだよ。女の部屋だぞ。
「女性の部屋に上がり込むのはねえ。ちょっとねえ」
この男性。
「わたしは、あなたの過去を知っています」
彼が身構える。一瞬。そして、力を抜く。
「いやいやいや。あなたのこと僕知らないし」
うそつけおまえ。はったおすぞ。
「とにかく。ここからの退出は絶対です。少し待ちます。服を着て出てきてください」
「いやだから服着てますって」
「すぐに。すぐにおねがいしますよ」
それだけ言い残して、とりあえず外に出た。
煙草擬きに火をつける。
見た目とは裏腹に、咳や風邪を予防する。ミント味のやつ。身体にわるいものは入っていない。
「ふう」
もし出てこなかったら。この煙草擬きでも投げ入れてやろうか。
しばらく待ったけど。
音沙汰はない。
煙草擬きを手に持って。
「ちょっと。ちょっとちょっとちょっと」
彼が出てきた。
「いまそれ投げ入れようとしませんでしたか。あっ」
彼が。
わたしに気付く。
「えっうそ。なんで」
彼。
あのときと同じ。下がゆるゆるのジャージで、上がスーツ。
「何に見えてたのよ」
「85歳ぐらいのおばあちゃん」
「だからお茶とお茶菓子なのね」
「なんでこんなところに」
彼がいなくなったから。探して見つけてきた。それだけ。
「あなたもこの場所の影響を受けてたってわけね。ほら。まだ若いわよわたしは」
「いや、えっ、あ、そう。君が来たのか」
「官邸が見つける前にね。ここは正義の味方に明け渡すわ」
「ええと、まあ、仕方ないかあ」
彼。予想外の事態にびっくりしているらしい。
「俺は君を捨てて出てきたのに。まさか見つけ出されるとは」
「執念深い女なので。好きな男はこの世の果てまで追いかけるわ」
それはそうと。
「パンツの柄変えた?」
「うん。心機一転」
「あ。そ」
浮気してなければいいわ。
「いま浮気してなければいいとか思っただろ」
「うん」
「俺が浮気したらどうすんの。浮気相手ころす?」
「ううん。別に何も。ふたりでいたのが3人になるだけよ」
「おっ寛容」
「あなたさえいればいいのよ」
だから。
わたしの前から急に消えないでよ。
「じゃあ、この土地に浮気したってことで。ここに住むよ」
「それはだめ。だめだから」
「俺の過去を知ってるんだろ?」
彼の過去。
身寄りもなく、記憶もなく、街に流れ着いた男。街を守るために心を壊し、いまでもわたしがいなければ夜眠ることができない男。
「ここにいれば、夜眠れるんだよ」
「なぜ?」
「隠されるからさ。何もかもが」
「意味の分からないことを」
「本当だよ。本当に。この場所には、何かを隠す力がある。それは、俺の中の何かにも。たしかに効くんだ。げんに、ほら、ここから出ただけで俺は震えがとまらない」
「だから、さっきからくっついてあげてるでしょ?」
「それでも、だよ」
彼が、普通に生きられる場所。それを、奪おうとしている。
「でも仕事だし。ここは明け渡さないと」
「そうか」
「それまではわたしの胸の中で我慢して」
「やだよ。やっぱりこの中にいる」
「この廃屋の中ではわたし85のおばあちゃん扱いなんだけど」
彼。予想外の迷い。
「そっか。それはそれで、ううん」
さて。どっちをとる。わたしか、廃屋か。
「おい。二者択一みたいな話はやめろ。俺は」
「わたしを捨てた?」
んなこと言ったって。
「わたしが追いかける前提でしょ」
「まあ、それは、そう、かも、しれないけどさ」
「じゃあ、ほら。こんな廃屋に情けなんかかけてないで。行きましょ」
「あ、あ、さらば我が安眠の場所」
「どうせ検分が終わったら帰ってこれるわ」
ここからしばらくは、寝れない彼の世話をすることになる。きっと大変だろう。
それでもいい。彼がいないよりは。彼と大変な目に遭っていたい。
廃屋の情け 春嵐 @aiot3110
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