第183話 エピローグ②

 その日は、抜けるような蒼さが目に眩しいくらいの快晴だった。

 そよそよと流れていく風に黒髪を遊ばせて、ミレニアは紅玉宮の裏庭に屈み、そっと黙祷を捧げる。

 彼女の前にあるのは、少し大きな石が十一個――

 運命の夜から今日までに城門に掲げられた、兄たちの首と同じ数だ。

「……姫。こちらにおいででしたか」

 カサ……と芝生を踏む音が背後に響く。ミレニアはゆっくりと瞼を押し上げ、苦笑しながら振り返る。

「もう。……私は既に姫ではない、と何度言ったらわかるの、お前は」

「……では、何とお呼びすれば良いのですか」

「だから、ミリィかニア、と――」

「名前以外でお願いいたします」

「もうっ……」

 相変わらずのつれない返事を間髪入れず返す護衛兵に、ぷく、と頬を軽く膨らませて不満の意を表す。

 ロロはミレニアの主張に取り合わず、チラリ、とその紅玉の瞳を少女の後ろへと投げる。

「……挨拶を、していたのですか?」

「えぇ。……しばらく、ここへ来ることは出来なくなるから」

 小さく苦笑して、ミレニアは再び石の墓標へと向き直る。

 表向き、彼らは悪逆非道の皇族だ。躯は討ち捨てられ、埋葬などされないはずだったが――すべてが終わった後、ミレニアはクルサールに嘆願し、彼らの首だけをこの紅玉宮の裏庭に埋葬した。

 クルサールも、特に何も言わなかった。彼の目的は既に達成されたのだ。首を埋葬しようが、討ち捨てようが、彼の執政に関わりはない。

 ミレニアは、ふ、と瞼を伏せてから右から六つ目の石を眺める。

「……ザナドお兄様の遺言は、心に来るものがあったわ。……私は、ザナドお兄様のためにも、生き残らねばならない。やることが一つ、増えてしまったわね」

「……はい」

 ミレニアがクルサールに直接交渉を望んだ日から数日後、クルサールは手下から、アルクの森を行くゴーティス軍を発見したという報を聞いた。

 少なくはない兵力で追いかけたものの、『軍神』と呼ばれたゴーティスの指揮は素晴らしく――そして、クルサール軍への憎しみは海よりも深く、見るも無残な形での返り討ちとなり、多くの命が散らされた、と報告を受けた。

 その報を受けてから、ミレニアを呼び――クルサールが、ザナドから受け取った言葉を、静かに伝えた。

 ザナドが真に言葉を遺したかった、『唯一血を分けた家族』への言葉を、ミレニアはしっかりと受け取め――それをゴーティスにいつか伝える役目を担った。

「時間を掛ければ……なんて。ザナドお兄様は、本当に無茶をおっしゃるわ。ゴーティスお兄様が、私の言うことを聞いてくださるなんて、正直全く思えないけれど……」

 それでも、ザナドは、ミレニアを唯一買ってくれていた兄だった。

 彼女が、どれだけゴーティスに嫌われ、疎まれても、決して彼との対話を持つことを諦めなかった姿勢を、ずっと嬉しく思ってくれていたと知れた。

 ならば、その想いに報いるべきだろう。

 ――ミレニアが、諦めるわけにはいかない。

「まずは、北方地域ね。一刻も早く建国して、ゴーティスお兄様に逢いに行かなくては」

 困ったように笑んでから、最後にもう一度瞳を閉じてザナドへと祈りを捧げる。

 ――今日は、北方への出立の日。

 あからさまな墓標を立てては、民の反感を買ってしまうからと、こんな粗末な石を墓標代わりにして少しでも目を欺けるようにと工夫したが、それでもここに置いて行く彼らが心配ではないと言えば嘘になる。

「ここに、人を入れるつもりはないと、クルサールは言っていました。いつでも、訪れて構わない、と」

「ふふ……そうね。それだけが、救いだわ。――ここに来たら、またうるさいくらいに口説かれそうでげんなりとするけれど」

 直接交渉が実った後――クルサールは、ミレニアが描いた計画通りに役割を果たした。

 『神の奇跡』を新しい魔法属性の一つへと変え、使役する力を人々に与えると公表し、国外に追放する少女にもその力を与えて慈悲を示すと伝え、彼女に与する者は自由に出て行けばいいと許しを与えた。彼女に付き従う者であっても、神は神罰を与えはしないと約束された、と一言付けたして。

 結果、ミレニアの元には、奴隷を中心にしながらも、予想以上に彼女の力になりたいと集まる人材がいて、北方進軍は思いのほか大所帯で進むことになった。

 毎日準備に奔走し、必死に物資をかき集めた。ロロに執着をし始めたラウラが、無償でロロのために働いてくれるようになったのは本当にラッキーだったとしか言いようがない。彼女の尽力のおかげで、かなりたくさんの物資を、早期に集めることが出来た。

 当然、ラウラもミレニア一行に付き従う一人だ。――ロロにいかがわしいことをしないようしっかり見張っておこう、とミレニアは心に誓う。

「そう言えば、ロロ。……ディオのお墓は、移してくれた?」

「はい。……マクヴィー伯爵領に、確かに」

「良かった。落ち着いたら、彼も出迎える準備をしましょう。夫人も、伯爵も、自領を託せる後任が見つかればすぐにでも、と嬉しい言葉を言ってくれたから、一緒にね」

「……はい」

 建国まで、どれだけの期間がかかるかわからない。そもそも、建国が成功するかどうかもわからないのだ。その行軍に、ディオを連れて行くわけにも、自領の民を深く愛する夫婦を連れて行くわけにもいかなかった。しばらくはディオを預けて、落ち着いたころに夫婦と一緒に呼び寄せるのが良いだろう。

 ディオの亡骸に、ミレニアは約束した。

 一度、彼を従者として”迎えた”のだから――必ず、一緒に城に帰るのだと。

 少年は、最期までミレニアに忠誠を誓い、彼女のために命を散らした。

 きっと――きっと、死した後も、ミレニアの傍にいたいという気持ちは変わらないだろう。

 その気持ちを汲み取って、ミレニアは必ず報いる。

 それが、自分が引き取ってしまったことで命を散らさせてしまった少年に出来る、唯一の罪滅ぼしだから――

「……ふふ。嫉妬しているの?」

 紅玉の瞳が微かに揺れたのに気付き、ミレニアはどこか嬉しそうに笑う。

 ぐっとロロは息を飲み、絞り出すようにしてうめいた。

「そ、んな、ことは……ありません」

「ふふふ……いいのよ。何度でも言ってあげる。――お前が一番よ、ルロシーク。だから、他の従者にそんなに嫉妬しないで?」

「…………」

 いつもの無表情に、ほんの少しだけ苦味を混じらせて、ロロは瞳をすぃっといつもの位置に伏せる。

 完全に、面白がって茶化されている。

 クスクスと笑うミレニアに、ロロは重たい口を開いた。

「……クルサールには」

「ぇ?」

「挨拶を――して、行かないのですか」

「あぁ、いいのよ、そんなもの。出立の日は伝えてあるし――顔を合わせれば結婚しろ結婚しろとうるさいから、さっさと無視して出立するに限るわ」

 直接交渉の日の最後に、余計な一言を言ってしまった自分を恨む。――まさか、本当に全力で口説かれるとは思わなかった。

 建国で非常に多忙な毎日を過ごしているはずのクルサールは、それでも隙を見つけてはミレニアに文を送ったり顔を見に来たりとまめなアプローチを続けている。 

「……良いのですか」

「?」

「俺にとっては、ただただ殺したいほど憎んでいる相手ですが――姫にとっては、一度は婚約を交わし、交流を深めた相手。裏切られたあの夜も、酷くショックを受けていたようでした」

「ぇ――あぁ……まぁ、あんなことが起きれば、さすがにショックくらいは受けるでしょう」

「クルサールと婚姻を結べば、慣れ親しんだ紅玉宮で穏やかに過ごせる。厳しい北の大地に赴く必要はないのです」

「それは――」

「今やクルサールは、一国の主。帝国貴族、などよりはるかに身分が高い存在です。貴女と縁を結ぶに相応しい――」

「冗談じゃないわ」

 視線を左下に固定したまま何やら世迷い事をつらつらと垂れ流し始めた従者の言葉を遮って、ミレニアはピシャリと言い放つ。

「私、せっかく、まだ見ぬ『自由の国』に心を躍らせているのよ。水を差すようなことを言わないでほしいわ」

「ですが――」

「第一、身分が何だというの。私が作る国では、身分など関係なくなると言ったでしょう。奴隷だって関係ない。お前も、私も、等しく同じ立場になるのよ。どちらが上だの下だの、という話は金輪際無くなると思いなさい」

「そんなことは考えられません。貴女は、生涯、俺が頂き、敬愛し続ける唯一無二の主です」

 ぎゅっと眉根を寄せて真剣に訴える隷属意識の高い従者に、ミレニアは呆れて嘆息する。

「お前には、仕事として私の護衛を任せるけれど――それ以外は全て、対等だわ。不服だと思えば私に物申すことがあっていいし、勿論手を触れたり視界に入ったりを制限する必要などないわ。名前を呼んだって誰も文句を言わない。敬語を使わなくたって、構わないんだから」

「ありえません」

「ありえなさいよ……」

 即答する聞き分けのない下僕根性溢れるロロに、げんなりとミレニアは呻く。

「貴女は、新しい国は自由だとおっしゃった」

「えぇ、そうよ。だから――」

「ならば、俺も自由にさせてください。――生涯、貴女のお傍に控えて、この身も、心も、命も、全てを貴女に捧げること。それが、自由を得た俺が人生で成し得たいことです」

 整った無表情のまま、紅玉の瞳にうっすらと灼熱を灯して告げられた言葉に、ドキン、と一つ心臓が跳ねる。

 さわさわと、心地よい風が、一瞬熱を持った頬を優しく撫でて冷ましていった。

 吸い込まれそうなほど美しい紅の瞳に、一瞬ぽぅっとなりかけて、ハッと我に返って咳払いをする。

「も、もうっ……全く、お前は本当に、私のことが大好きなんだから――」

「……ですから、それは――いえ。何でもありません」

 呻くように言って、ロロは視線を逸らす。

 この話題を続けても、どうせ、茶化されるだけだ。真面目に取り合う必要はない。

「何よ。――言い訳したって、私にはわかっているんだから」

「……勘弁してくれ……」

 珍しく食い下がってくるミレニアに、口の中で呻いて手で顔を覆う。

「出立の準備がそろそろ整います。姫も、準備が出来たのなら、集合場所へ――」

 さっさと要件を済ませて立ち去ってしまおう――そう思って口を開きかけて、ふと言葉を切る。

 ミレニアが、どこか嬉しそうな表情で、長身のロロを下から覗き込むようにして見上げていた。

「……?」

 何やら言いたいことがありそうなその視線に気づいて、ロロは視線だけで疑問符を返す。

 ミレニアは、ふふ、と頬をほんのり上気させて桜色の唇を開いた。

「ロロ。――お前、私がどうして昔から、奴隷解放なんてことを考えていたか、わかっている?」

「は……?」

「新しい国を、私が女帝として君臨する国ではなく、『自由の国』とした理由も、わからない?」

「……?」

 急に、何の話だ。

 ロロは怪訝な顔でミレニアを見返す。

 今日も、いつもと同じ、大きな翡翠の瞳が、美しい。

「全部――身分制度を、一刻も早く撤廃したかったからよ」

「……」

 こっそりと、まるで秘め事を告げるように、囁かれた言葉を、脳裏でかみ砕く。

 どうして――と、問いかける前に、頬を桜色に染めたミレニアが、少し恥ずかしそうに、答えを口にした。



「だって、いつまでも身分制度があったら――お前と、結ばれることが出来ないじゃない」



「――――――は――――……?」

 ぽかん……

 普段全く仕事をしない表情筋が、こんな形を取ることもあるのか、と思うほどに間抜けな表情で固まる。

 ぱちぱち、と何度も何度もシルバーグレイの睫毛が高速で風を送った。

 普段、あまり動じることがない護衛兵の反応に気を良くして、ミレニアはふふっ、と笑う。

「新しい国の名前はもう決めているの。――”ファムーラ”。ファムーラ共和国、と名付けるわ。大陸古語で、<自由な>という意味よ。……そして、それをそのまま、私の姓とするわ。ちゃんと戸籍を作り、私も一市民の仲間入りをするの。――ミレニア・ドゥ・ファムーラ。それが私の新しい名前」

 美しく大きな翡翠が、愛しそうに、嬉しそうに、笑みの形を象る。

「お前も、私と同じ姓を名乗ってね?嫌とは言わせないから、覚悟なさい」

「な――――――ちょ――――待て、意味が――」

 うっかり敬語も吹っ飛ばしたらしい護衛兵は、混乱する頭で、何とかそれだけを絞り出す。

 あら、とミレニアは目を瞬いてから、悪戯っぽく笑う。

「文句はないはずよ。――だって、お前も、私のことを、愛してくれているのでしょう?」

「っ……待――一体、いつ、誰が、そんなことを――!」

 いつもの問答は、あくまで冗談の延長であり、茶化されていただけだったはずだ。本気の意思確認だったわけではない。

 仮にそうだったとしても、そういう男女の情ではない、とロロはいつも明言してきたはずだ。

 ずっと――ずっと、墓場まで持っていく覚悟で、灼熱を心に押し込めて生きてきたのだ。

 どんなに疑わしい態度を取っていたとしても、それはあくまで敬愛の延長だと言い切ってきた。

 これからも、ずっとそう言い続けるつもりだった。

 それが、どうして急に、こんな確信めいた話になっているのか。

 混乱しきった頭で問いかけたロロに、ぱちぱち、とミレニアは目を瞬く。

「あら。――お前が、自分で言ったのでしょう」

「な――!?あり得ない、俺が、いつ――」

 言い募ろうとした従者の唇にそっと人差し指を当てる。

 ふわり、と花が綻ぶ様に、ミレニアが笑った。

「私、ね。――さすがに、身体ごと抱き上げられれば、たまには起きるわよ?」

「――――――――は――……?」

「まぁ、起きてもいつも半分寝ぼけてふわふわと夢と現をさまよっているのは事実だし、お前が優しいから、つい甘えてしまっているのも本当だけれど――」

 女神が、笑う。

 優しく、甘く――可憐な少女の、微笑みで。

「人生で初めての口づけをされて、目覚めないはずがないでしょう?」

「――――――な――アンタ、まさか、起きて――!」

 ざぁっとロロが色を失う。

 いつも冷静で無表情を貫く従者のこれ以上ない動揺を引き出せたことに気を良くして、ミレニアは声を上げて笑った。

「ふふっ……覚悟しておいてね。建国したら、一番最初に、結婚式よ。――約束だから。ずっと、ずぅっと傍にいて。ずっと、ずぅっと、一番傍で、私のことを守りなさい」

 動揺のあまり、顔を蒼くしたり紅くしたりして絶句する従者を置いて、少し照れたように頬を染めたミレニアは、羽のように軽い足取りでその場を離れる。


 ――目指すは、自由の国。

 身分を気にせず、愛しい人に「愛しい」と告げられる、幸せな国を、作るのだ――



=======Fin.======


ご愛読ありがとうございました!

これにて本編は完結です。楽しんで頂けましたでしょうか。


今後は、後日談などの番外編を投稿予定です。長きにわたりお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました!


評価や感想などもお待ちしております。

過去作未読者で、このお話の元になった(時間軸はこの世界の約600年後)ストーリーに興味を持っていただいた方は、ぜひ拙作『聖女転生物語』も読んでみてくださいね。


追記:現在、番外編を2つほど公開しています。彼らの今後が気になる方は、神崎右京の『コレクション』からどうぞ。

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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ 神崎右京 @Ukyo_Kanzaki

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