終章
第182話 エピローグ①
「ほう……?切り札――ですか」
悪戯っぽく笑う少女に、紺碧の瞳が興味深そうな光を宿して輝く。
挑発的なその視線を、ミレニアは勝ち気な表情で受け止めた後、パチン、とマントの留め具を外し、バサァッと大きく音を立てて身体をすっぽりと覆っていたマントを勢いよく脱ぎ捨てた。
「――――……」
そのまま胸を張って、ドヤ顔を決める少女を前に、クルサールはぱちくり、と瞳を瞬く。
マントの下から現れたのは、小柄な少女の身体。
マントに隠れてよく見えなかった彼女が着ていたドレスは、どうやらホルターネックの、ボディラインがしっかりと浮き出るような仕立てになっていたらしい。
皇女の時代はとにかく肌を隠そうと露出を抑えていた彼女からは考えられないほど、腕も背中もむき出しで、その抜けるような美しい白い肌が眩しく映った。
「えっと……もしや、切り札とは――色仕掛け、だったのでしょうか?」
「なっ――!?」
「ですが、大変申し上げにくいのですが、そういったドレスで男を誘惑をしたい場合は、もう少しご成長されてから、出るところを出してもっとメリハリのある身体つきに――」
「ちちちちち違うに決まっているでしょう!!!無礼者!!!何ていう目で人を見るのよ、変態!!」
やれやれ、と首を振りながら諭すように言われた言葉に、カァッと真っ赤に肌を染め上げて思わず怒鳴り散らす。
言外に似合わないと言われたも同然の――そして、何やらスタイルに関するコンプレックスを滅茶苦茶に刺激されるような失礼な――発言に、羞恥が極まって、危うく指をさして「やっておしまい、ロロ!」と叫びそうになった。
口に出したが最後、本当に
「いっ、いいから黙ってそこで見ていなさい!」
かぁっと羞恥に肌を夕日のように染め上げながら、思わずクルサールに命令する。
確かに、ラウラの家から持ってきたこのドレスは、どう考えても夜の女を連想させる装いだ。どれだけ自分のスタイルに自信があったとしても、貴族の令嬢はここまでの大胆なデザインのドレスを身に着けない。何より、自分の胸は、お世辞にも豊満とは言い難い。
そう思えば急に恥ずかしくなってきて、ミレニアは頬を上気させたままロロに向かって手をかざす。
パァッ――
ほんの少しの集中で、小さな光が空中にはじけて、ロロへと吸い込まれていく。
「……?魔法、ですか……?」
「えぇ。疲労回復の魔法を掛けました」
「疲労――そんなことが出来るのですね」
クルサールは驚いたように目を瞬く。どうやら、彼は疲労回復の用途で光魔法を使用したことがなかったようだ。
「ですが、その魔法が切り札とは一体――」
「魔法じゃないわ。……私が見せたいのは、こっち」
言いながら、くるりとその場で回転する。
長い髪を肩から全て身体の前面に垂らし、むき出しになった背中をクルサールに見せつける。
「な――――!」
今度こそはっきりと、クルサールは目を剥いて絶句する。
紺碧の視線は、まっすぐにミレニアの白い背中――そこに浮かぶ、見覚えのある紋様に注がれていた。
「ど……し、て……」
「さぁ。何故、と言われてもわかりません。私も、つい今朝気づいたばかりですので」
言ってから、髪を戻して、そそくさと再び黒マントを身に着ける。――いつまでも似合わないドレス姿を人前、それも男性陣に晒しているのが恥ずかしい。
もう少し大人になって、いつか必ずこういうドレスすら着こなせる女になろう、と心の中で固く決意した。
「そんな――ど、どうして――」
クルサールは、なおも混乱する頭で、はくはくと口を開閉させながら、色を失った顔を晒す。
「どうして――それがあるなら――!なおのこと、いくらでも打ち手はあったはずだ――!!」
「……そうですね。私もそう思いますわ。意見が一致しているようで、何より」
ふ、と笑いながらミレニアは認める。
クルサールは、混乱を極めてガンガンと頭痛が始まった頭を抱え、ふるふると首を振る。
(何故だ……!?何故だ、理解できない……!体に浮かぶ”聖印”があるなら――彼女は、闇の魔法など使う必要もなく、あっさりと民意を己へと翻すことが出来たはず――!)
民はクルサールを、神の声が聴ける”救世主”だと認識している。
その大きな理由は二つ。一つは、『神の奇跡』と称した光魔法を使えること。そしてもう一つは、額に浮かぶ謎の聖印があることだ。
後者は、特に人々から『神に選ばれし者』であるという印象を強めていた。エルム少年のおとぎ話を聞いているエラムイドの民は勿論だが、帝国民とて、身体に光の紋様が浮かぶ人間など、およそ見たことがない。彼が特別な、人外の力を持った何かなのだ、と言われて受け入れやすくなったのは、間違いなく彼のこの特殊体質のせいだっただろう。
民がクルサールを崇めていったその理由の二つを――ミレニアは、どちらも有していたことになる。
(自分も神の声を聴いたと言って、これを見せれば、民意はあっさりと分裂したはずだ――!いや、分裂どころか、『神の化身』の象徴でもあるこの特徴を見せ、光魔法を『神の奇跡』と称して実演して見せれば、私と同じく”救世主”として君臨し、民を全て味方に付けることが出来たはず……!)
クルサールが有している兵士たちは、皆敬虔なエルム教徒ばかりだ。その彼らが、”神より賜いし聖なる印”と信じている聖印が浮かぶ少女を、乱暴に扱うことなどあるはずがない。平伏して、神の化身に無礼を働こうとしたことを懺悔するような者ばかりだ。
そして、神を信じていなかった自分にも、何者かの声が聞こえる、と言い切れば、人々は混乱する。そこで、クルサールがミレニアを卑怯な手で裏切ったことや、実は光魔法というものが存在していて、それをクルサールは隠そうとしているのだ、とでも演説してやれば、一瞬でクルサールの信頼は地に落ちただろう。
クルサールの元へ直接赴き、首を刎ねた方がリスクがなく早かった――などという問題ではない。
そもそも、ここに赴く必要すらなく、ミレニアはこの勝負に、あっさりと決着をつけることが出来たのだ。
「これを見せれば、貴殿にも信じてもらえるでしょう。――私が、本当に玉座に興味はないこと。不当に民を不安がらせ、混乱に陥れたいわけではないこと。――真に、真摯に、ただ民の平和と安寧を願っているだけなのだ、ということを」
「――――――……」
瞼を軽く伏せて、真剣な声音で言うミレニアを前に、クルサールは言葉を紡げない。
「貴殿と敵対するつもりなどないのですよ。貴殿は、私の命を保証してくれればいい。そして――貴殿が幸せに出来ないと感じる民がいるならば、彼らを異教徒として弾圧したり、差別したりしないでほしい。任せていただけるなら、彼らを私が代わりに導くので――それ以外の民は、貴殿の手で幸せにしてあげてほしい。私が切に願っているのは、本当にそれだけなのです」
これは、本当の最後の最後の切り札。
ミレニアの真摯な気持ちを、クルサールにこれ以上なく突き付けると同時に――
――ミレニアがその気になれば、いつでもクルサールに引導を渡すことが出来るのだぞ、という、最上級の攻撃力を持った、武器でもあった。
「なるほど――……属国になどなるつもりはない、と宣言出来たのは、このためですか……」
「どうぞ、お好きなように取ってくださって結構。……私が”気まぐれ”を起こさぬよう、せいぜい『エルム様』にでも毎日お祈りを捧げてくださいな」
クスッと笑う少女の食えない発言に、クルサールははっきりと顔を顰める。
『最後の切り札』と彼女が称した理由が、嫌というほどに理解できた。
「なおのこと、貴女をこちらの陣営に引き込んで、妻にしてしまった方がよかったように思えてきますね」
「まぁ。……ふふ。では、お好きなだけ口説いてくださいな。私が靡くことは、天地がひっくり返ってもないでしょうけれど」
歌うように軽やかに青年を袖にして、ミレニアはくるりと踵を返す。
(結局――交渉の場に着く前から、全ては彼女の掌の上だった……ということか)
剣の一つも振るえない少女の、これ以上ない”強さ”を見せつけられて、クルサールは舌を巻く。
どうやら、一国を治める者としての器は、一回りも二回りも彼女の方が大きいらしい。
「私は一度、紅玉宮に戻りましょう。あそこは、焼かれていないでしょう?……あぁ、勿論、地下牢に捕らえられている奴隷たちをすぐに解放してくださいな。逃げるような者たちはいないはずです。皆、紅玉宮に戻って私の傍でしばし待機して、と伝えたら、きっと従順に聞いてくれるわ」
誰も彼も、ミレニアに心酔し、ミレニアの身を一晩中案じていたはずの者たちばかりだ。彼女が無事であることに安堵し、今度こそ絶対に同じ轍は踏まない、と彼女を守ろうと紅玉宮で警戒を強めることだろう。
それを説得し、なだめるのはミレニアの役目だ。そのためには、彼らを解放してもらわなければならない。
そうでないと――ジルバ辺りが、しびれを切らして、勝手に脱走してきてしまうではないか。
「……かしこまりました。全て貴女の仰せのままに――ミレニア姫」
「ありがとう。――行くわよ、ロロ」
「はい」
革命軍の長まで意のままに従わせるような振る舞いをして、ミレニアはロロに声をかける。
ロロは一つクルサールに鋭い視線を投げた後、いつも通りの定位置――ミレニアの左後ろにそっと控える。
(彼女の命を取るのも、御するのも――到底、叶わぬ試みだな)
完全にこちらに背を向けているにもかかわらず、ロロはピリピリとこちらに向かって殺気を発している。
クルサールが不意を衝いてミレニアを襲おうと床を蹴っても、あっさり返り討ちにされることだろう。
真夏の空の色をした瞳をゆっくりと瞼の裏に隠して、”救世主”はこれから先の頭を悩ませるあれこれを思い浮かべて眉根を寄せた。
考えることは山積みで、頭痛の種は尽きないが――
(……だが、ある種、私の悩みと秘密を、世界で唯一理解し分かち合う、御方でもある――)
人間は、弱い生き物。
そればかりは、変えられない真実。
孤独と戦い続ける使命を背負ったクルサールにとって、その脆弱な心が、どこまで耐えられるのか、夜も寝られぬほどに不安になることもあったが――
何故だろう。
ミレニアという少女は、間違いなく、己にとっての脅威であるはずなのに。
――世界で一番の、彼の理解者でもある。
そんな、不思議な感覚に、ふっ……と意図せず口の端に笑みが浮かんだ。
「いいでしょう。……精一杯、口説いて見せますよ、ミレニア姫」
浮かんだその笑みは、仮面ではなく――酷く人間くささを纏った、笑みだった。
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