第181話 最終決戦⑩
奴隷解放施策――
それは、クルサールも革命の準備段階で調査を進めていくうちに耳にしたことがあった。
「確か……大陸最北の未開の地に向けて、カルディアス公爵の三男坊が指揮官となって奴隷を中心とした軍隊を編成して進軍し――実質は貴女が指揮を取るのでしょうが――鉱脈資源の多いそこを領土として治める……という、あれでしょうか?」
「はい。その通りです」
こくり、とミレニアは頷く。翡翠の瞳には、どこまでも真剣な光が宿っていた。
「ご提案ですわ、クルサール殿。……これだけ荒廃した国家で暮らしながら、人外の『奇跡』をもって救いをもたらす”神”の存在を、それでも信じられないと言う人間は――きっと、これからどれだけの年月を経ても、決してその思想に染まることはないでしょう。そうなれば、国家としての求心力が落ちることは必須。歴史上類を見ないほどの巨大な一大宗教国家を作り上げたいという貴殿の目論見を鑑みれば、それは望ましい姿ではないはずです」
「……確かに、宗教国家であることの最大の利点は、国民の求心力が他国に比べて圧倒的に高いことにありますからね」
頷くクルサールに、ミレニアは提案する。
「求心力を高めたいにもかかわらず、離反する者たちが一定量存在するなら、どうしたらよいか?――簡単です。国外に、追放してしまえばいい」
「な――!?」
予想もしなかった提案を受け、クルサールは色を無くす。大きく眼を見開いて、十五歳の少女を凝視して固まった。
「異端者を排除すれば、残ったのは、貴殿を救世主と崇めて奉る者たちばかり。どうぞ、残った者たちを統率して、大陸最大のカルト国家として確たる地位を築いていってくださいな」
揶揄するような口ぶりと皮肉気な表情に、クルサールは苦い顔を返す。
口では何と言っていても、やはりミレニアには、”神”を信じる彼らは異質なものであり、理解のできない考え方なのだろう。
「随分と簡単に言ってくださいますが……国外追放など、それこそ反発が――」
「あら。別に、本人たちに”追放”などと伝えなくても良いでしょう。志願させればよいのです。――北方地域に、ミレニアが真の自由国家を作り上げる。その国家建設の手伝いをし、移住を希望する者は名乗り出よ――と」
「――――!」
やっと話が繋がったのだろう。クルサールはハッと目を見開き、少女を見やる。
ミレニアは悠然とした微笑みを湛えながら、言葉を紡いだ。
「私が目指すのは、『自由の国』。……身分制度を廃して、誰もが皆平等に暮らす、自由都市国家です」
「自由……?」
「はい。家という考えは希薄になり、世襲制を廃して、能力や志向性で職業を自由に選べるようにします。絶対的な権力を持った君主は存在せず、国家の方針は議会を開いて皆で定めていくのです。……もちろん、国としての機能を保つには、外交を軽んじるわけにはいきませんから、便宜上の代表者を決める必要はあるでしょうが、それは民の総意で選出されます。一度その地位に就いたら死ぬまでその座に就き続ける帝制や王制と異なり、数年に一度、定期的に民の総意で最もふさわしいと思う人間を、議会の長に選ぶのです。連続して議長の座を務める者もいるでしょうし、一期だけで退く者もいるでしょう。民は、国の執政に不満を持ったなら、命の危険を冒して革命を起こす必要などない。ただ、次の投票で新しい長を指名すればいいだけなのですから。……当然、議長が長くその座に就いていたいと思うなら、民に最大限還元するような良い執政を行っていけばいい。とても公平なシステムだと思いませんか?」
言葉を失い、思わず間抜けな顔で口が開きっぱなしになるクルサールだが、どうやらミレニアは冗談を言っている様子ではない。
「そこでは、男も女も関係ない。優秀な人間が、その才能を正しく認められ、発揮し、活躍する場所を求めることが出来ます。国家の代表者である議長に女が就いてもいい。男が家庭に入って子供を育ててもいい。宗教だって、自由に信仰すればいい。何を信じても、信じなくてもいい。その代わり――自分が信じていることを他者が信じないからと言って弾圧するような、他者の自由を脅かすような行いをする者は厳罰に処します。――誰もが心地よく、自由を享受し、日々を平和に楽しく穏やかに暮らせる……そんな国家を、作り上げたいのです」
「そ、んな――そんなものは、夢物語です――!強権を発動できない君主の元、国家などという形式が維持できるはずが――!」
「そう思う者は、付いて来なければいい。我が国への移住条件は、とっても単純です。――自由を愛し、他者の自由を尊重し、大自然や人生の厳しさに直面しても、周囲の者と手を取り合って前を向いて生きていく気概がある者。己の意志で、自分の人生を切り開きたいと渇望している者。それだけです」
特殊な能力は必要ない。
国家への帰属意識すら、必要ない。
ただし、自由には責任と苦難が伴う。まして、過酷な自然と渡り合う必要がある北方地域での生活を余儀なくされるのだ。
他者に己の運命を委ねてしまうような、弱い心の持ち主は、ミレニアの建国する国にはふさわしくない。
代表者を決めるのも、己の意志。
職業を決めるのも、己の意志。
性別も年齢も関係ない。ただ、己の意志と努力一つで、無限の可能性を切り開くことが出来る――そんな、『自由の国』を建国する。
「最初の議長には、私が成りましょう。大陸で初めての、女性君主の誕生です。私が背中で、性別など、年齢など、血筋など関係ないと見せ続けます。そうして、後世にバトンを繋ぐ。……ふふ。とっても楽しそうだわ」
クルサールにとっては荒唐無稽な夢物語としか思えない野望を騙るミレニアは、自分の夢が叶うことしか見えていないようだった。
あんぐりと開いた口を閉じられぬまま、クルサールは戸惑い――ふるふる、とゆっくりと頭を振った。
「し、信じられません……そんな理想郷を作るなど――」
「信じられなければ、それでいい。厄介な、反乱分子となりうる人材を国外に体よく追放出来る施策だと思ってくださいな。北方地域まで私たちがたどり着けずとも、たどり着いた先で野垂れ死のうとも、貴殿らには関係がない。――もともと、私が上申したときも、私と奴隷たちを厄介払いする口実として最適だといって支持を得た施策ですから。貴殿も、そのように考えて、臭いものに蓋をするようにして、私たちを北へ送り出せばいい」
言った後、キラリと翡翠の瞳が輝く。
大陸初の、女君主に相応しい、堂々たる光を宿して。
「ですが、私は作ります。たとえ、何百年かかっても、必ず。この大陸に――イラグエナム帝国でも、貴殿の新王国でもない、第三勢力となる国家を。誰もが自由に暮らせる、理想郷を、必ず」
「……は……はは……これは……とても、想像できない案でした……」
くしゃり、とクルサールは髪をかき上げながら、茫然と呟く。
確かに、第三勢力として並び立つ国家を作るというなら、ミレニアが最初に提示していた全ての利点を賄える。
クルサールが求心力を高めるために、神を信じない者たちを国外へと連れ出し、ミレニアが責任を持って彼らを別の角度――”自由”というキーワードを以て治められる。
そして、光魔法の研究を進めたところで、それを”神の奇跡”だと信じない者たちばかりの国では、クルサールのペテンと矛盾することはない。あまりの寒さで魔物が活動出来ないという彼の地なら、ネロの契約を無効化する研究も進めやすいだろう。
更に、クルサールの命を脅かす筆頭格であるロロは、きっと、何があってもミレニアについて行くはずだ。とりあえず、命を脅かす最大の脅威を国外に追いやることが出来る。
最後は、生き残ったという最後の帝国皇族ゴーティス。彼が興す新しい国家との交渉役として、国家という単位を持っていれば、中立国という立場からミレニアが間に入ることもおかしなことではない。
「民を納得させるならば、こういうシナリオでしょう。――ミレニアは、国民を不幸に陥れた元凶たる一族の女であることは事実だが、今までに積んだ善行に神は慈悲の心を示した。だが、”神”を崇拝せず、いつまた国家に混乱を引き起こすかわからない女を、国内に置いてはおけない。最後の慈悲で、魔物を払う神の奇跡の一部を行使する力を与えてやるが、国外追放の刑に処す――」
己の身に起きる処遇について、ミレニアはまるで歌うように軽やかな声音で告げる。
「そうしたら、私が民に語りかければいい。北方地域に足を向け、第三勢力となる新しい国家を興すつもりであることと――賛同する者は付いて来い、ということを」
「……」
「そこから先、どこまで人材と物資を集められるかは、私の能力の問題だわ。貴殿らは放置していればいい。私たちは勝手に出ていくし――まぁ、少しくらい、貴殿に慈悲の心や今回の件の罪悪感があるのなら、こっそり金策や物資提供をしてくださっても良いけれども」
ふふ、と笑いながらミレニアは告げる。
そう言いながらも、彼女には自信があった。
ファボットやデニーといった、かつて紅玉宮に従事していた従者たち。ジルバやレティといった、最後までミレニアのために戦ってくれた紅玉宮の奴隷たち。彼らはきっと、ミレニアのためならばとついてきてくれることだろう。さらに、奴隷たちは己の人脈を使って周囲に呼びかけてくれるはずだ。
第一、ロロに心酔しているラウラがいる。彼女の力をもってすれば、金策も物資の確保も、たやすいに違いない。――少々ロロと危うく怪しい、一線を越えないアダルトなやり取りをしてもらうことにはなるだろうが。
(それに――もし、万が一本当に、誰も付き従ってくれなかったとしても……ロロさえいてくれれば、単身でも北の大地にたどり着くことは出来るでしょう。辿り着けさえすれば、そこに暮らす住民を一から説得して、長い時間をかけて理想の国家にまで発展させればいい)
傍らに控える護衛兵を見上げる。
視線に気づいたロロは、すっと瞳を閉じて礼を取った。
ミレニアに対して絶対の隷属を誓うその姿は、生涯彼が決して裏切ることがないことを示している。
どんな魔物がいても、関係ない。仮に北方地域に強力な軍事力があったとしても、関係ない。
きっと、この最強の男が傍にいて、自分の指揮に従って縦横無尽に走ってくれるなら、どんな脅威も、蹴散らせる。
そんな確信が、ミレニアには確かに存在していた。
「貴殿に与えられた『神の奇跡』の欠片――光魔法の力をどう国民に説明するかはお任せします。私にだけ与えるというならば、私はそれを魔法として研究し、自分の国家に根付かせます。良心に従い、広く世界中の人間に付与すると宣言されるなら、神の慈悲で、国外追放する人間にも遍く付与したと告げればいい」
「……遍くすべての人々に、奇跡を渡らせたと告げましょう。元より、自分が”稀代のペテン師”となると覚悟を決めたその瞬間から、そのつもりでした」
クルサールは、苦笑を浮かべて告げる。
元々この革命は、<贄>という、人道に悖る制度を廃止するために始まったのだ。いつの間にやら小さな祖国だけにとどまらず、帝国民まで巻き込んだ大きな騒動となってしまったが、最初の気持ちは未だに代わっていない。
エルム少年の無念を晴らし、二度と、ネロのような痛ましく不幸な子供を出さない世界を作ること――それが、クルサールの野望の原動力だった。
「わかりました。貴女の言う通りにしましょう、ミレニア姫。……完全に、私の負けです。良ければ、影ながら貴女の新しい国家建設に助力することをお許しください」
「ふふっ……ありがたい申し出だけれど、念の為、最初に釘を差しておくわ。――私の国は、絶対に貴国の属国になどさせない。恩を着せられるような助力は突っぱねるでしょうから、それだけは覚悟しておいてくださいね」
「はは……手厳しい方だ」
クルサールは、”完璧”とは程遠い、人間らしい表情を浮かべて笑う。
交渉が上手く言ったことを確信し、ミレニアがほっと息を吐いていると、「そういえば」とクルサールが声を上げる。
「ミレニア姫。……最後に一つだけ、教えてください」
「えぇ。何かしら」
「この部屋で人払いが完了したとき――貴女の優秀な護衛兵は、既に枷を外す鍵を手にしていた。そして、貴女は能力向上の魔法まで理解していた。……彼の実力をもってすれば、不意を衝いて、私の首を落とすことも出来たでしょう」
「まぁ……」
「貴女の目的が、ただ己の命を繋ぐことであれば――うまくいくかどうかわからぬ交渉に賭けるよりも、私の命を狙ってしまう方が、よほど確実だったはずです。それなのに――どうして、あえて難しい道を取ったのですか」
それは、クルサールが最後までわからなかったこと。
ミレニアは嘆息しながらあっさりと答える。
「簡単です。そんなことをすれば国が惑います。貴殿の尽力の結果、我が国民はかなりの数が、エルム教を信仰しているようですし、その教えの元で新しい生活を始めようとしている――貴殿を殺せば、せっかく新しい幸せを得られると期待した国民を、哀しみと絶望の淵に追いやることになります。私自身が玉座に興味がないのですから、さほど可笑しくもないと思いますが?」
「ですが貴女は、闇の魔法の存在にすら気づいていた。それならば、誰か――そこの護衛兵でも、それ以外でも――を魔物と契約させて、闇の魔法を使役させることも出来たはずでしょう。そうすれば、民を惑わせることなく”救世主”の不幸な死を受け入れさせることも出来ます。――己以外の、架空の犯人を仕立て上げることすら容易なのだから」
「ふふ、随分と悪知恵が回る”救世主”様ですのね」
非道な手立てを示されて、ミレニアはくすくすと可笑しそうに笑い声をあげる。
勿論、ロロを魔物と契約させるなど論外だった。ロロを不幸に追いやった元凶ともいえるその存在を、ミレニアは決して許すつもりはない。
他の誰かを、自分のエゴのために、この複雑に絡み合う陰謀の中に巻き込んでしまうことも、考えていなかった。
すべてはミレニアの良心――そう言ってしまえばそれまでだが、ミレニアは一つ考えてから、ぐっと己が身に纏う黒マントに手を掛ける。
「この、最後の最後、一番強力な切り札は、使わずに済んだのであればこのまま秘めておこうかと思いましたが――良いでしょう。交渉が全てうまくまとまった記念に、貴殿にお見せします」
にやり、と国を傾ける美貌が、悪戯っぽく笑みを刻んだ。
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