同調文化

多くの日本人が勘違いしている協調性

今後のエピソードを読んでいただくにあたり、この「多くの日本人が勘違いしている協調性」に書かれている内容はほとんどのエピソードの根本体な部分に関係していると思い、この作品自体のベースともいえる話をまずはじめにあげることにします。


そしてこの内容は過去にネット上で執筆した自身の記事からほぼそのまま紹介いたします。(そのため過去記事部分だけ「です・ます調」ではなく「だ・である調」になっております。)


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「協調性を持つ」「協調性を養う」など日本では協調性を大切にするべきだという考えが目立つように思う。しかし協調性の意味を何となく分かっているつもりの人は大勢いるだろうが、協調性の本来の意味を理解している人はどれくらいいるだろうか。

協調性とはどういう意味かというと「異なる環境や立場に存する複数の者が互いに助け合ったり譲り合ったりしながら同じ目標に向かって任務を遂行する素質。」ということらしい。

私は本来の協調性の意味を改めて調べなければ協調性なんてクソくらえであった。なぜなら、日本にいると多くの場所で本来の協調性の意味とは全く異なったものが協調性とされていることがあるからである。


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日本人が大切にしている協調性とは

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お前には協調性がないと言われたことがある人、また逆に人に言ったことがある人もいるだろう。だがそれは本来の協調性の意味合いであっただろうか。

今までに日本人の誰かに協調性がないと言われた人の9割は、まず気にしなくてていいと思う。きっとあなたに協調性がないと言ってきた人物は協調性のそもそもの意味をはき違えている場合がほとんどである。

多くの日本人の言う協調性とは「多数がイエスと言えば同じようにイエスと言い、空気を読んで周りに合わせ皆と同じ行動をとること。」である。

人と違うことを発言するべきではないらしい。人と違うことを言えば浮いてみられるから「本当は違うと思ってるけど口が滑っても言えない。」と考える臆病な人間ほど協調性があることとされる。きっと周りに合わせ器用に渡り歩くことができれば協調性があると褒められるのであろう。

だから私もずっと日本で生きてきて何となく空気を読んで人に合わせることが協調性というものだと思っていたので、協調性の本来の意味を知るまでは、協調性ってくだらないと思っていた(私の勉強不足でした)。

仲間意識が高いかのようで、絶対的権限を持った威圧的な人間を中心に、いかに嫌われないように人にどう思われるかばかりを気にした空気読み大会に参加しているみせかけだけの集団。それのどこに本来の協調性の意味である「異なる立場の者の助け合いや譲り合い」があるだろうか。

海外では多くの人が「周りに合わせてばかりで皆と同じことしかできないのは自分の意思がないみたいで恥ずかしい。子供みたいだ。」「自分の意見をしっかり持っている人ほど大人だ。」という。海外に限らず日本人でもそう考え実行している人もいる。人それぞれ考え方が違うだろうが私はそれに大賛成だ。

しかしたまに、日本人の中には「空気を読まない奴は自分勝手だったり傲慢なんじゃないか。」と簡単に口にする人がいるが果たして本当にそうだろうか。


例えばこの場合ではどうだろう。


ジャイアンがA案を出した。のび太以外のクラスの全員はジャイアンの意見に賛成した。のび太がB案も一つの案としてどうだろうとアイデアを出した。

ジャイアンが「俺の案を否定するなんて失礼だ。のび太のくせに。」とキレる。「のび太以外は皆ジャイアンに賛成なんだよ。この状況で新しい案なんて出すなよ。」「のび太お前空気読めよ。」と言ってくる奴や、それを見てクスクス笑っている奴もいる。でもそこには本当はのび太の案がいいなと思いながらも空気を読んで一緒になってクスクス笑っている奴がいる。そこでのび太は皆と違うことを言う日本特有の協調性のない奴ということにされる。

でも、のび太はジャイアンの案を否定する気も、こちらの意見を押し付ける気も全くない。「話し合って皆が納得する真ん中を取りましょうよ。」と言っているのだ。もしくは「ジャイアンのプレゼンでやっぱり僕もA案がいいと思うかもしれないし、僕のプレゼンで皆がB案の方が良いと考えが変わるかも知れない。とりあえず一度話を聞きましょうよ。」と自分以外の案も受け入れようとする姿勢を持ち、皆が良くなることを考えているのだ。(※実際のドラえもんのストーリーとは全く関係ありません。)

さて、どちらが協調性がないだろうか。そしてこの場合でもまだ空気を読めない人間が自分勝手で傲慢だといえるだろうか。


これはまだかわいい方である。現実の世界で同じようなことが起きたら、のび太のような人間は無言で変な奴という目で見られたり陰口を言われるような職場や学校は多くあるだろう。または見かねた同僚が「もっと世渡り上手にならないと。」とアドバイスしてきたりするかもしれない。 

はっきり言ってそのアドバイスは「は?」である。


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協調性と空気を読むことは全くの別物

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本来の協調性とは空気を読むことではない。協調性とは、それぞれに考え方が違うことをも理解し、自分の意見や多数の意見が正しいと決めつけることはせず他の意見もくみ取り協力し合えることであるはずた。皆同じ考えである必要はないのである。個々に考えがあることを認め合えることが大切なのではないだろうか。

しかし、日本には同じことを言わないと失礼だと気分を悪くする人間が多かったり、皆で同じことをしないといけないというおかしな空気があるように感じる。本当はおかしいと思っていながらも長いものに巻かれたり、多い方に従い空気を読み自分を守る。圧倒的にそちら側の人間が多いので少数の考えがおかしいことにされる。


・日本の協調性=多い方に従う

・日本の協調性=長いものには巻かれろ

・日本の協調性=皆と同じことをする

・日本の協調性=空気を読むこと

      ⇩

・協調性≠多い方に従う

・協調性≠長いもには巻かれろ

・協調性≠皆と同じことをする

・協調性≠空気を読むこと


「協調性=空気を読む」は間違いであり、「協調性=同調」もとんでもなく間違いなのである。

空気を読まない、同調しないからといって協調性がないことにはならないのである。

空気を読まない人物に対し「お前には協調性がない」と一方的に注意した気になっている人物こそ、同調してくれないと納得できない協調性がない人間なのであろう。

日本の協調性は何かとんでもなくおかしな方向に捉えられている気がするのは私だけであろうか。

そして空気を読みすぎている人は何も感じていないのだろうか。


意見が違うとすぐに腹を立て、きちんと会話ができない。同意の上でしか会話が成立しない。

それのどこに協調性があるのだろうか。

空気を読んで同調しろよと求めたり圧力をかける人間こそ協調性がないことになるのではないだろうか。

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ああ、日本人。ワレワレハニホンジンダ 榮孫 綾美 @cayamilo

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