ああ、日本人。ワレワレハニホンジンダ
榮孫 綾美
はじめに
「日本人が選民意識? 優越意識? そんなことないだろう。」
と思う方は少なくないでしょう。
そして
「日本が遅れてる? いやいや、日本は先進国だし凄く進んでいる証拠に他国にたくさんのことを教えている。」
と思う方も少なくないでしょう。
何が言いたいかは読み進めていただくにつれてハッキリとしてくると思います。
日常の何てことのないような会話に我々日本人の他を受け付けない日本基準な考えが溢れています。またそこに日本が遅れている理由のほとんどが隠されていると思っています。
日本情勢だとか世界情勢だとかは良くわからないと構えるような内容は一切ありません。難しいことも難しい言葉も出てくることはありません。なぜなら私自身、遠回しでハッキリしない言い方で説明されることや、専門的な知識がないとイメージのつきにくい難しいことは良く分かっていないのです。なので日常のありふれた会話や、身近で起きたエピソードでしか私も説明できませんし、普段のまま難しくないお話しをしたいと思っています。
前置きをしなくてもご理解いただけているとは思いますが、もちろん全ての日本人がそうだと言っているわけではありません。私の日本人の親友たちのように偏見なく広い視野を持ち、思いやりと敬意を払うことを大切にし、心からの優しさが溢れているような人もいます。そして穏やかさの中にも強い意思を感じるのです。
そしてまた、私に優越意識が全くないと言っているわけでもありません。無意識に思考が働くことは誰にでも起こりえる可能性があるからです。
そしてまた、ここで伝える内容全てが絶対的に正しいと言っているわけでもありません。
「ただ、私はこう思います。」
というだけです。
ただ変わったことは、以前なら「私はこう思う。だから他人がどうであれ自分さえその信念を貫けばそれだけでいい。大切な人達が分かってくれているから、それ以外の人には必要以上に自分の思いは伝えない。」と思っていました。また人間合う合わないはあって当たり前です。でもわざわざ合わないからと嫌いになる必要もないと思っています。そういう時は逆にその人の良いところを探そうとします。その代わり「必要以上に自分の思いは伝えない」=「必要以上には関わらない」そうすることで必要以上に嫌な面を見ることもなかったんだと思います。気を付けてそうしていたとかいうことはなく、子供の頃から自然とそうしていました。だから学生の頃は同級生の中に「嫌いな奴」という存在が一人もいませんでした。社会に出てからも長い間嫌いな人はいなかったです。それが良いことなのか良くないことなのかは今でも分かりません。嫌いな人がいないというと良いことの様に思えますが、私の場合はしっかりと関わってそれでも嫌いな人がいなかったというわけではないからです。それに他人に無関心で人間味がないといえばないですし。
だけど、日本はもうこんなことになってしまいました。だから必要以上に思いは伝えないというのはやめてみることにしました。決して押し付けるわけではないですが、発言だけはしてみようと思いました。
どんな出来事も、どんな言葉も、解釈の仕方で様々な受け取り方ができると思います。それもまた別れ道だと思っています。
視野を広く偏見を持たないことがいかに大切か。自分基準にしか考えられず、出来事の意味も人の話もはじめから決めつけてしまえば正しい知識を得られず無知なままです。あまりにも決めつけがひどい方と会話をしていると、その方の思った通りの事以外の話を聞き入れるスペースが脳にまるでないかのように焦点がずれた解釈しかできないようで、こちらがどれだけ説明し直しても思った通りの答えが帰ってくるまで納得してくれずまともな会話にすらならないこともあり、その時は正直唖然としました。
学びになる出来事や言葉を意味のあるものにするか無意味なものにしてしまうかもその人次第なのだと思います。
皆様には私の言葉をどのように解釈し、どのように受け取っていただけるでしょうか。
では、日本人が優越意識を持っているだとか、日本が遅れているそもそもの原因が我々日本人にあるとは一体どういったことなのか、私が実際に体験した数々のエピソードをご紹介したいと思います。
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