第50話 ご褒美?(エピローグ)
初期研修医は各診療科の研修を終えるたびにレポートを提出する必要があった。僕は同期の中で一番最初にレポートを仕上げ、師匠に提出した。師匠は
「お疲れ様でした。保谷先生が一番にレポートを仕上げたので、ご褒美に東京旅行をプレゼントしましょう」
とおっしゃり、どこかに電話を掛けた。そして、
「じゃぁ、この日に東京で宿を取っておくから、午後6時からグループ本部に行って下さい」
とおっしゃられた。実は、研修修了者の懇談会が予定されていて、この地域から誰を出席させるか、考えておられたようだった。
理由はさておき、あまり行きたくないグループ本部に出向くこととなった。懇談は、グループの中でもフラッグシップともいわれる病院である湘北神蔵(しょうほくかみくら)病院で初期研修を終えられた先生と私、そしてグループの理事の先生とで懇談となった。私の話の半分は本音、半分は美辞麗句、という懇談であったが、懇談の合間に、理事の先生から誇らしげにこのような話を聞いた。
湘北神蔵病院は「絶対患者さんを断らない」ということを徹底している病院であるが、受け入れる病床がないけど断らないので、ERで受け入れた急性虫垂炎の患者さんを入院させることができなかった。なのでERから手術室にオペ出しし、手術が終わったらまたERに戻り、病棟に上がれないまま数日をERで過ごし、結局退院可能となったのでその患者さんは一度も病棟に上がることなくERから退院となった、ということがあったそうである。おそらくERのベッドは九田記念病院と同様にストレッチャーで、寝心地のことを考えているものではない。ERは24時間バタバタしており、穏やかな環境ではなかったであろう。
理事の先生は誇らしげだったが、それは患者さんにとって適切な医療だったのだろうか?もし本当にその地域で湘北神蔵病院以外にその人を受け入れる病院がなかったとしたら、その地域は憂慮すべき医療崩壊地域である。もし、他の病院に搬送されていたら病室に入院できていたのに、ということであれば、その人の受けられるべき医療のチャンスをつぶしてしまったことにはならないのだろうか?と、悶々としてしまった。
その懇談会は後日、グループの会報誌に記事が載ったが、残念なことに湘北神蔵病院の先生の顔写真と私の顔写真があべこべに印刷されていた。もし、創立者や理事先生の写真でこのようなことが起こっていたら、会報誌を全部回収し、新たに印刷しなおしていただろうなぁ、と思った。会報誌をもらうまでは、何冊かもらって、両親や恩師に送ろうと思っていたが、やめることにした。いい加減なものである。まぁ、東京旅行(とはいえ、懇談会が終わったら、安いビジネスホテルでマクドを食べ、テレビを見ながら寝ただけ、翌朝の新幹線で帰阪)に行けただけよかったのだろう。そういうことにしておこう。
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