第46話 現場ほど勉強になる場所はない。
当時の樫沢総合病院小児科は部長の東本先生を始め、4人のスタッフDr.がおられた。ローテーターには全員、部長の指導を数年前の小児科後期研修医がまとめてポケットサイズの冊子にした「東本のすすめ」が配られ、原則、その冊子に従って業務を進めることになっていた。小さな冊子だが、東本先生の長年の経験がエッセンスとなって詰め込まれており、後に地域のクリニックで仕事をしていた時も、この冊子に沿って仕事をすれば、まず問題になることはなかった。今もボロボロになっているが、私の本棚に大切にしまわれている。
朝の回診は樫沢総合病院の研修委員長でもある松村先生が中心となってカンファレンスを行なっていた。やはり市中病院での小児科の疾患は感染症が多い。気管支肺炎、感染性腸炎、時々膀胱尿管逆流に伴う尿路感染症があり、私は経験できなかったが髄膜炎なども外せない疾患である。あとはぜんそく重積発作が入院の原因としては多かった。
研修が始まった初日の午前診で、呼吸苦を主訴に8か月くらいのお子さんが受診された。発熱もあり、酸素飽和度は室内気で80%程度とかなり低かった。当時RSV迅速キットがあったかどうか記憶していないが、血液検査は白血球増多、CRP上昇もなく、RSV感染に伴う細気管支炎との診断であった。呼吸困難もひどく、通常の酸素投与ではあまりSpO2の改善に乏しく、ICUでの管理が必要と診断された。
「う~ん、順番では保谷先生に主治医を持ってもらうのだが、来て早々ICUは荷が重すぎると思うので、○○先生、この患者さんを管理しましょう」
と松村先生が別の1年次の先生に振り分け、まず外来で点滴路の確保を試みた。8か月~1歳くらいのbabyちゃんはムチムチしててかわいいのだが、点滴路の確保は非常に難しい。研修医の僕たちでは点滴路が取れず、東本先生が手助けに来てくれた。
血管の確保は、基本的には手背から行うことが多く、それでだめなら前腕の血管を確保することとなっていた。長期間の点滴路確保を行なうには肘正中皮静脈(普段肘で採血をする血管)は、肘関節の動きを固定してしまうので好まれなかった。東本先生も頑張ってくださったのだが、手背からの血管確保は困難だった。前腕遠位、手関節に近い位置に適切な血管がありそう、とのことで部長が点滴路を確保、末梢点滴をつないだのだが、逆血(血液が点滴内に上がってくること、血液の逆流)が強く、末梢ラインをどんどん逆血してくる。普通の静脈圧は心臓に近い中心静脈でも5~10cmH2O程度なので、どんどん逆血するのは不自然なように感じた。部長に「先生、逆血が強いです」と伝えたが、「OK!」と言われ、点滴をつるす位置を一段高いところに移し、逆血は止まったのだが、なんとなくモヤモヤするものはあった。真相は不明だが、部長は動脈に点滴路を刺したのではないか?と思っている。もちろん、観血的血圧測定及び、頻回の採血、動脈血ガス評価目的で動脈に点滴路を確保することは普通にあるので、穿刺することが問題、というわけでもないのだが、薬剤投与などを行なうと、点滴刺入部位より末梢に病変を起こす可能性があるので、冷や冷やものではある。
ぜんそく重積発作のお子さん、特に月齢の小さなお子さんの入院管理も大変だった。ICSも開発され、使用していたが、まだ当時は、テオフィリンも使っていたので、テオフィリンの点滴量、点滴速度を計算し、吸入の回数も指定して、こまめに回診を回って、といろいろしなければならないことがあった。呼吸器系の疾患は、重症化して呼吸が止まってしまうと、それまで元気だった子供(大人でも)10分足らずで命を落としてしまうので、本当に気を遣った。私がいた2ヶ月の間に、1歳未満のお子さんが、ぜんそく重積発作で3回ぐらい繰り返し入院したので(良くなって退院したら、数日後には増悪して再入院、というのを繰り返した)、本人も、親御さんも大変だっただろうと思う。おそらくお子さんはある程度大きくなるまでは繰り返しぜんそくで入院することになるだろうと思う。大変だなぁ、と思った。
今でも川崎病は原因不明とされているが、どういうわけか、一人川崎病で入院する人が出ると、続けて数人川崎病で入院する人が出る、という経験則があるらしい。私が初めて経験した川崎病の方とその家族のことは、今でも印象に残っている。
ある日の当直帯、first callの僕ともう一人の先生がヘロヘロになっている午前3時ごろ、
「うちの子の熱が下がれへんねん。兄ちゃん、診たってや」
と言って4歳くらいの子供さんと、その両親が受診してきた。ご両親は「いかにも」という感じの身なり、言葉遣いだった。深夜3時ころまで起きている子供もいかがなものか、とは思ったが、それはそれとして、病歴を確認した。5日ほど前から38度を超える高熱が出たので、近くの小児科を受診。抗生剤や解熱剤をもらったが、熱が下がらないとのこと。咳が出たり、鼻汁が出たりなどはないとのことであった。
「午前3時に緊急受診が必要な状態ではないわな。夜診に十分来れるはずやのにな」
と思いながら児を診察。体温はやはり38.7度と高く、両目は充血、唇も充血しているように赤くなっていて、舌はイチゴ舌、という感じではなかったが赤みの強い舌だった。頸部リンパ節は少し腫れた感じがするが、正常の子供でも1cm程度までの腫脹はあるので微妙。心音、呼吸音、腹部所見に異常なし。
「熱源はどこだろう?」
と思いながら、胸部レントゲン、検尿沈査と採血を施行した。胸部レントゲン、検尿沈査には目立ったものはなく、採血では確かにWBC、CRPといった炎症を示唆するデータは強く上昇していた。
「う~ん、熱源ははっきりしないけど、炎症反応が高いし、抗生剤を点滴して入院かなぁ」
と考え、second callの先生に
「熱源不明の発熱です。入院をお願いします」
と連絡。ご両親にも、結果を説明し、
「入院で経過を見せてもらいます」
と説明。先生が降りてこられるのを待っているときに、ハタと、
「そういえば、川崎病ってどんな病気だったっけ?」
と急に気になり、白衣のポケットに入れた小児科レジデントマニュアルを確認。
「川崎病は以下の6項目の診断基準のうち5つ以上満たすものとする」
と記載があり、(1)5日以上続く38.5度以上の発熱、(2)結膜の充血、(3)口唇、舌の病変(イチゴ舌や口唇の発赤など)、(4)無菌性炎症性頸部リンパ節腫脹、(5)皮膚の不定形発疹、(6)手指の硬性浮腫(経過とともに表皮剥離)、と診断基準が書いていた。補助所見として、肝機能の上昇やBCG接種部位の発赤が記載されていた。診断基準を見ると、(1)、(2)、(3)、(4)は満たしている。ご両親に、
「熱が出てから、身体にぶつぶつが出たり、じんましんみたいな赤い発疹が出ましたか?」
と聞くと、熱が出て3日目くらいにブツブツが出ていたとのこと。手を見ると確かに指は硬そうに腫れていて、一部指の皮がむけていた。BCG接種部位を確認すると確かに発赤を認めた。まさしく典型的な川崎病であった。ご家族には
「先ほど、説明が不十分で申し訳ありませんでした。お子さんは『川崎病』という病気であることがわかりました。しっかり治療していきます」
とお話しし、second callの先生には
「先ほどの患者さん、熱源不明と言いましたが、よくよく診ると川崎病でした」
と伝え、「川崎病」の病名で入院。
翌日から免疫グロブリン投与を行ない、速やかに解熱し全身状態は改善。アスピリンを投与し、1週間ほどで退院、外来followとなった。たとえご両親がいわゆるDQNだとしても、とんでもない時間に受診したとしても、思わぬ病気が隠れているので決して油断できない、と改めて痛感したことを覚えている。
その後、ジンクス通り続けて2人、川崎病の患者さんが入院し、3例の川崎病患者さんの入院症例を担当することができた。クリニックに転職した後も、10例近く川崎病を診断したが、第1例で学んだことが本当に役に立っている。
また別の日、この日は偶然にもスタッフDr.が全員、それぞれ別の用事で午前中に仕事を終えて出張に出なければならなくなった。そんな日の時間外に
「生後1ヶ月の新生児の低体温症」
の診察依頼が入った。しかも残念なことにfirst callは私。Second call以上は不在、という極めて貧弱な診療体制の時だった。低体温症は様々な原因で起こり、原因によっては命にもかかわる病態である。しかも生後1か月、免疫力もない時期で、少しでも見逃しをしたら死んでしまうかもしれない、という厳しい状態だった。一番最後まで残ってくれたスタッフの先生が、
「いいか、来たらすぐ全身の丁寧な診察と、血液培養、尿培養は必ず取れ。皮疹の出現を見逃すな。血液検査で少しでも異常があれば、すぐ別の小児科病院に転送しろ!」
と助言をしてくれて、出張に出られた。患者さんが来るまでの間はドキドキものである。そしてついに患者さんとお母さんが受診に来た。大急ぎでERに降り、診察をする。体温は35.6度と確かに低いが、babyちゃんの外観は重篤感はなく、元気そうに足をバタバタさせている。お母さんからお話を聞くが、少し寒いところに少し薄着でおいていたとのこと。それまでミルクもよく飲み、さっきもミルクをよく飲んだとのこと。身体診察をするが特に悪いところはなく、先生の指導の通り、各種培養、血液検査を行なった。血液検査、尿検査とも特に問題なし。babyちゃんも重篤感がなく、おそらく寒いところに少し薄着でおいていたことから、外因性の低体温症と診断。お部屋を少し温めて、体温を失わないようにすること、ミルクの飲みが悪くなったり、ぐったりするようならすぐに再診するように指示して、帰宅とした。その後、特に再診はなく、他院からの問い合わせもないことから、診断間違えではなかったと思っているが、本当に不安でドキドキした。
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