第43話 初期研修後の就職活動
初期研修医の2年間を過ごした後、後期研修をどこの病院で受けるか、どの診療科に進むか、というのは自分の医師人生、さらには実際の人生を決めるうえで非常に重要なことである。とはいえ、ハードな初期研修医生活、なかなか自由に動くことも難しい。同期たちも、それぞれ進むべき道を2年次になったころから考え始めていた。
私の場合は、まず第一に家族を養えるだけの給料をきっちり貰えることが一番だった。太郎ちゃんも生まれ、子供を抱えたままで、いま社会的に問題になっている大学病院の「無給医」になることはあり得ない、と考えた。また、大学にいるメリットの一つ「博士号の学位」については、医師になるときに大学院医学研究科博士課程を中退しているので、今更学位をとるつもりはなかった。むしろ学位よりも専門医が欲しいと思っていた。そして何より、私が医師になるために6年間応援してくださった子供のころからのかかりつけ医である、万米ヶ岡共同診療所の上野先生の下で働きたいと思っていた。いわゆる町のお医者さんである。そうすると、あまり専門性を深める後期研修よりも、深さよりも守備範囲の広い研修を受ける方がいいだろうと考えた。以前、麻酔科研修の時に「麻酔科は興味深くて、面白そうだ」と書いたが、確かに職場は基本的にはある程度の規模のある病院に限られ、夜間の緊急手術に呼び出されることがなければ、時間の縛りはそれほど厳しくない。魅力的な診療科ではあったが、「町のお医者さん」と言われる、小児科、内科、ある程度の小外科に対応できる能力は付きづらいなぁ、と考え、麻酔科は選択肢から外した。
確か8月ころだったと思うが、所属する医療グループで後期研修の相談会が開催された。各病院から様々な診療科の後期研修プログラムが提示され、興味のある病院、興味のあるプログラムについて、担当者から話を聞く、ということで、場所はどこだったか忘れたが、グループに所属する2年次研修医が集められたことがあった。いろいろ見て回ったが、
「ここは!」
というプログラムはなかった。
今では専攻医として19番目に「家庭医療医・総合診療医」があげられ、養成プログラムも充実しており、今ならそのプログラムに参加しているであろう。しかし残念なことに、私の頃にはそのようなプログラムもなく、自分の受けたい、と思う研修プログラムは他の病院にはなかった。仮に九田記念病院に小児科プログラムがあれば考えたかもしれないが、それもなかった。
自院を考えると、師匠の力量や研修医にかける思い、師匠ご自身が繰り返し
「臓器別内科医である前に、まず一般内科医であれ。どの分野の内科もある程度対応できるようになってから、臓器別内科医になるのが良い」
とおっしゃられていたこと、九田記念病院のプログラムの良い意味での柔軟さを考えると、家族の引越しもいらず、このまま師匠の下で内科の後期研修をするのが一番いいと考えた。
相談会で一通りブースを回ったところで、自院のブースに戻り、師匠に
「来年からも先生の指導を受けたいと思います。よろしくお願いします」
と伝え、師匠も
「ありがとう。よろしくお願いします」
と答えてくださり、握手を交わした。これで私の後期研修の就職活動は終了。九田記念病院で内科後期研修を受けることになったのである。その選択は間違っていなかったと今でも感じている。そして今も、その時の選択通り「何でも内科医」として仕事を続けている。
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