第41話 金谷病院でのいろいろな思い出(へき地研修9)
金谷病院では、いろいろな患者さんとの出会いがあった。ある患者さんは、血液疾患で入院しており、併存症として糖尿病を持っておられた。甘いものが好きで、スタッフの目を盗んでは、お菓子を手に入れて食べているのがしばしばだった。血液疾患については週に1回、都会からくる血液内科医が私にレジメンを渡して、
「これで経過を見てね」
というスタイルで治療を行なっていたが、経過はよくなかった(標準治療では効果なく、セカンドライン、サードラインの治療を行なっていた)。とはいえ、患者さんはぐったりしていくこともなく(もちろん、化学療法後はしんどそうだったが)、朝回診のたびに、
「甘いもの食べちゃだめよ」
「わかってますよ」
とお決まりのやり取りをしながら時間が過ぎていった。2ヵ月間の研修期間が終わり、お別れの挨拶に行くと
「今まで、こんなにやさしい先生に会ったことはないよ。先生ありがとう。一杯勉強して、もっといい先生になってね」
と声をかけてくださった。そう言って下さってとてもうれしかったのだが、その15分ほど後に、別件でその病室の別の患者さんの処置に行くと、甘いものをほおばってうれしそうな患者さんが…。お互いに目が合い、お互いに気まず~い感じになったことを覚えている。
今振り返ると、悪性リンパ腫としては、予後のよくない患者さんなので、甘いものについて、あまりヤイヤイ言わなくてもよかったのかなぁ、と思わなくもない。ただ、僕自身も上記のやり取りのように、あまり厳しく、うるさく言わなかったので、それは良かったのかもしれない。「優しい先生」と言ってもらえたことが何よりうれしかった。
また別の患者さん。
「足が痛い」ということを主訴に、部長の外来に数回通っていた80代の男性。原因がよくわからないから入院、ということで私が担当になった。足の付け根の方が痛い、と言われたので、股関節と骨盤の単純レントゲン写真を撮ると、右の恥骨のあたりがなんとなく薄く写っていることに気づいた。先輩は、
「そう見えるだけじゃないの?」
とアドバイスを下さったが、CTをとると明らかに骨病変が存在した。原発巣か転移巣かはわからないが、悪性腫瘍による溶骨性変化だということはわかった。オピオイド(麻薬)を使ってしっかり鎮痛を図り、原因となる疾患の検索を行なった。固形癌の転移なのか、多発性骨髄腫のような血液疾患なのか、骨原発の悪性の腫瘍なのか、血液検査や尿検査、単純写真やCTなどを行なったが、はっきりしなかった。CTについては、部長と一緒に確認したが明らかな異常は指摘できず、週に2回読影に来られる放射線科医の所見も、
「有意なものは指摘できず」
とのことだった。内科的に調べた範囲では腫瘍の原発巣を同定できず、骨腫瘍として整形外科で外科的に組織を採取してもらい、治療してもらう方向で話を進めていた。
ところが、高齢の方で悪性腫瘍による免疫低下が影響したのか、経過中に肺炎を起こされた。なかなか抗生剤が効かず、全身状態はどんどん悪化していった。状態評価のために再度胸部CTを撮影した。左右ともに散在する肺炎像と思われる陰影があり、それとは別に右の肺底部、心臓と接しているところに不正な凸凹があることに気づいた。急いで前回のCTを見直すと、同部位は前回のCTでは心嚢にくっついている脂肪組織の様に見えており、ほぼスムーズで正常な陰影に見えていた。
「ああっ!ここが原発巣か!」
と診断がついたが、肺がんで遠隔転移がありStageⅣ、しかも低酸素をきたすほどの肺炎を起こしており、生命予後は極めて不良。残念なことに整形外科転院予定日に永眠された。
最初のCTはたくさんの人の目を通っているが、残念なことに誰も病変を指摘できなかった。仮に病変が同定されていても、予後はあまり変わらなかったのかもしれないが、それでも、その時点で診断をつけられなかったことは悔しかった。
いわゆる「田舎」と呼ばれる地域で血縁が重視されている土地柄、その方のお看取りの時には20人近くのご家族、ご親戚が集まっていた。その方々を前に主治医として病状説明をするのは、非常に緊張したことを覚えている。
以前、病院ごとに細かなローカルルールがあって、戸惑うことがある、と書いたことがあるが、一番初めにカルチャーショックを受けたのが、金谷病院での出来事であった。悪性腫瘍末期の患者さん。急変時には蘇生処置はしません、との同意を得ていた。点滴を続けていたが、ついに点滴する血管が無くなったらしい。
「先生、患者さんに点滴する場所がありません」
と看護師さんから報告を受けた。末梢血管からの点滴が難しくて、でも点滴が必要ならば中心静脈路を取らざるを得ない。そう考えて、CV lineを挿入したところ、病棟看護師さんからクレームの電話が入った。
「どうして、心肺蘇生をしない人にCV lineを入れたのですか!!」
と、怒りの電話だった。当初、私は何に怒られているのか全く理解ができなかった。何より、
「点滴を刺す場所がない」
と連絡してきたのはそちらではないか。
「いや、末梢点滴がとれないと言われたから、CV lineで点滴路を確保したのですよ」
と伝えたが、あまり納得している様子ではない。お互いにモヤモヤしていたが、結局、no CPRの患者さんにはCV lineを挿入しない、というのは、この金谷病院の暗黙の了解、ローカルルールであったわけである。この出来事はすごく心に残っていて、各病院にローカルルールがある、ということを初めて痛感した出来事であった。
その他にも、以前にも書いたが、心肺停止の患者さんが救急搬送されてくるときは、九田記念病院ではERスタッフだけで対応していたのだが、金谷病院では全館放送がかかって、手の空いている医療スタッフがたくさんERに駆けつける、とか、腹部疾患での入院は内科的疾患でも外科が対応してくれる、ICUの患者さんの指示は、九田記念病院では、入室時に指示を出し、変更がなければそのまま入室時の指示を継続してくれるが、金谷病院では同じ指示でも一日ずつ毎日指示簿を書かなければいけない、など細々したルールの違いがあった。
また後日、小児科研修で樫沢総合病院にお世話になった時の話であるが、ERがバタバタしていて、小児科first callでERにいた私に
「内科の救急搬送患者さんを診てください」
と依頼があった(ふつうは、内科second callに話が行くはずなのだが)。
初期評価をして、発熱と中等度の脱水があると判断。
「採血と各種検査の指示を出しました。点滴は乳酸化リンゲルを60ml/hで、ラインをkeepしてください」と指示を出した。
患者さんが検査から帰ってくると、点滴の速度は20ml/hと、指示の1/3の速度だった。
「あれっ?僕、『点滴の速度 60ml/hでキープしてください』と指示を出したと思っていたのですが、オーダー、間違えてましたか?」
「先生、何を言っているのですか?『ラインをキープ』と言ったら、速度は20ml/hに決まっているじゃないですか」
と看護師さんがおっしゃられる。もちろん「ラインをキープ」と言うことは、単純に「翼状針などではなく、留置針で点滴路を確保してください」ということだけで、そこに点滴速度の概念は入っていない。「ラインをキープ」=「20ml/hで点滴路を確保」というのは、樫沢総合病院のローカルルールであった。そんなこんなで、思わぬところで、思わぬローカルルールにぶち当たり、びっくりすることは、職場が変わるたびに起こることであった。
「ローカルルール」は、その成立経緯が何であれ、その病院の常識となっていることであり、下手にけんかをするよりも、こちらが合わせた方がうまくいく。医学的に不都合なルールであれば、ゆっくり変えていけばよい、と考えている。
話は変わって、部長とお話をしていた時、
「九田病院の先生たちは面白いねぇ」
とおっしゃられたことがあった。金谷病院はその年度は、基本的に志賀崎中央病院と九田記念病院から研修医を受け入れることになっていた。
部長の言うには、志賀崎病院の先生方は、同じ状況であれば、判をついたようにどの先生も同じことをするとのこと。そういう点で非常によくトレーニングされている、と評価されていた。
一方の九田病院の我々同期は、個人個人で全く異なるアプローチで問題解決を行なっており、よく言えばすごく個性的、悪く言えばてんでバラバラで、本当に同じ指導医から同じように教育を受けているのか信じられなくなくなるほど、とのことだった。
決して間違ったこと、いい加減なことをするわけではないが、それぞれの研修医のカラーが仕事ぶり(カルテの記載内容など)に現れているとのこと。この二つの病院の研修医、それぞれの特色が出ていてとてもおもしろい、とのことだった。自院でも「各個人の個性がそれぞれ際立っている」と評判の私たちなので、部長は本当に面白いと思っていたのだと思う。
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