第39話 緊急性の高い糖尿病(へき地研修7)

 金谷病院に赴任して1か月半近くなり、スタッフの皆さんともずいぶん打ち解け、同院での仕事にもずいぶん慣れたころ、またまたキラーパスが私に渡された。


 その日は午後のER担当→夜間当直の予定だった。夜勤帯に変わる直前の16時ころ、近医から病診連携室に連絡が入り、

 「吐血でショック状態の人を診てほしい」

 との依頼が来た。病診連携室からの情報はそれだけだったので、私は消化性潰瘍からの出血→出血性ショックだと考えた。内視鏡業務が終わり、帰り支度している非常勤の内視鏡医を何とか捕まえて、

 「先生、吐血でショックの人の搬送依頼があったので、少し帰宅を待っていただけますか」

 と押しとどめ、検査室には、

 「血液型は不明ですが、吐血、ショックの人が今から搬送されます。輸血指示も出しますので、よろしくお願いします」

 とお願いし、患者さんが来るのを待った。


 20分ほどして、患者さんが搬送されてきた。60代くらいの男性で、外観はsick、ぐったりしていて、ハーハーと大きく呼吸をされている。心音、呼吸音に異常なく、腹部触診で、上腹部に中等度の圧痛とわずかだが筋性防御があった。一緒に来られたご家族には、

 「検査の結果が出たら、またお話ししますので、少し掛けてお待ちください」

 とソファーで待ってもらい、採血オーダー、内視鏡の指示、輸血の同意書、入院時指示など検査、入院、輸血のために必要な山のような書類を一生懸命書いていた。すると検査室から電話が。

 「先生、血糖値868です」

 とのこと。一瞬何のことかわからず

 「へ?もしもし、こちら保谷ですが、電話かけ間違えてませんか?」

 「保谷先生でしょ。ERからの検体の結果で、血糖の検査が異常値だったので、急いで先生に電話したんですよ」

 とのこと。検体間違えではなく、明らかにこの人の検体の結果である。

 「一体何だ??」

 と訳が分からず、とにかく、一緒に来た奥さんにお話を聞かなければ、と、奥さんにERに入ってもらい、詳しく経過を聞かせてもらった。


 男性は糖尿病の持病があり、紹介元医院に通院中。インスリンなどを処方されているが、ご自身で適当に調整して打ったり打たなかったりしているらしい。お仕事は農業で、天気のいい日は、日中お仕事をして、夜は飲んで食べて。雨の日は仕事にならないので、近所の人たちと一緒に、朝から飲んで食べて、という生活だったそうである。数日前から、身体のしんどさとのどの渇きを自覚し、スポーツドリンクをたくさん飲んでいたとのこと。受診当日、朝から嘔吐を繰り返していたので、紹介元医院を朝一番(!)に受診。簡易血糖測定器で”HI”と表示が出たので、レギュラーインスリン10単位の入った点滴を1本、朝からゆっくりと点滴していたが、夕方になっても状態が変わらず(当たり前だ!!)、医院を閉める時間が来たので、

 「うちでは診れないので金谷病院に紹介します」

 といわれ、こちらに来ました、とのこと。吐血については繰り返し嘔吐をしているうちに、吐物に血が混じるようになった、とのことだった。

 奥様の話を聞いて、謎がすっきりと解けた。朝一番に受診しているにもかかわらず、こんな夜間帯に入ろうかという時間に、しかも「吐血でショック」なんて、本当にひどい紹介の仕方である。患者さんはおそらくDKAか高血糖高浸透圧症候群。脱水による低用量性ショックが推測される。奥さんの話ではガバガバと血を吐いたわけではないとのことだったので、吐血はおそらく反復した嘔吐によるMallory-Weiss症候群。おそらく出血性ショックではなさそう。ハーハーしているのはおそらくKussmaul呼吸で、診断はおそらくDKAと考えられた。内視鏡よりも、全身状態の安定が第一だと考え、待機してもらっていた内視鏡医の先生には平身低頭謝罪して帰宅してもらい、患者さんから血液ガスを採取、他の血液結果が出るのを待った。血液ガスはpH7.00でanion gapの上昇する代謝性のアシデミア。採血ではAmyが600台と高く、上腹部の圧痛を考えると、膵炎も併発していると思われ、腹部CTを確認。膵腫大と膵周囲の脂肪織の濃度上昇があり、急性膵炎を併発しているDKAと診断した。

 「しっかり輸液を入れ、レギュラーインスリンを持続。動脈ライン(以下A-line)を確保して、1時間ごとに血ガス、血糖、電解質を確認してインスリンを微調整」

 と治療方針を考えた。ICU管理が必要と考え病棟管理師長に連絡したところ、

 「保谷先生、今日はICU満床です」

 とのこと。

 「では、一般病棟でいいので、A-line管理のできるところで」

 とお願いしたら、

 「A-lineの管理はICUでしかできません」とのこと。


 わぉっ!A-lineなしで、DKA+急性膵炎の管理をしろ、との厳しい指令が・・・。ただ、幸運なのか不幸なのかよくわからないが、その日は私が当直医。結局一般病棟に入院してもらい、大量の輸液とレギュラーインスリンの持続注射を行ない、1時間おきに私が病棟に出向いて動脈血採血を行ない、検査を回してもらった。DKAの管理についてはグループ病院である吹岡(ふきおか)総合病院が作成したDKA-HHS(高血糖高浸透圧症候群)管理シートがあり、そのシートを使うと非常に管理が容易にできるようになっていた(1枚コピーして九田記念病院に持って帰ったのだが、あまりその便利さを理解してもらえなかった)。うまく血糖をコントロールできれば、約12時間ほどで、血糖値250前後まで血糖を戻せるので、深夜の外来患者さんの診察の合間をぬって、その患者さんの動脈血採血を繰り返し、翌朝にはアシデミア、高血糖、電解質異常の是正ができた。しかし、私は本当に一晩、一睡もできず、患者さんは患者さんで、1時間おきに、順番に右手首、左手首、右鼠径、左鼠径と場所を交代しながら痛い動脈血採血をされ、災難だったと思う。


 しかしこの紹介は、本当にひどい紹介の仕方だと思った。一応、丁寧に返信を書き、定型句である

 「このたびはご紹介いただき、ありがとうございました」

とつけたが、この半島でこの病態であれば、この病院以外に受け入れ可能な病院はほとんどないのだから、せめて正直に言ってくれたら、また朝一番に受診しているのだから、すぐに紹介してくれればと思った。そんないい加減な診療の仕方でも、クリニックはやっていけるのだ、ということにも驚いた。


 ちなみにこの患者さん、血糖値が安定した後は、超即効型+持続型インスリンの強化療法で血糖は安定。膵炎もほぼ鎮静化したが、年末が近づき、

 「正月だから帰らないかん!!」

 と強く主張、もうしばらくの入院加療が必要、と言っても聞き入れてもらえず、自己責任という形で退院、というか出て行かれた。年明けには必ずこちらに受診して、経過を見せてください、と伝えたのだが、再受診されたかどうか…(私の任期が年末までだったので)。


 なぜか、続くときは続くもので、その数日後、この日は夜の当直の日だったのだが、引継ぎでERに降りていくと、日勤ER担当の先生から、

 「保谷先生、ちょうどよかった。今検査に回っている人で、高血糖高浸透圧症候群の患者さんが来ているんだよ。入院管理よろしく」

 と、その患者さんを引き継ぐことになった。


 患者さんは糖尿病の併存症のある比較的若い男性。実家の離れに住んでいて、母屋からお母さまが食事を運んでいたとのこと。もともと清涼飲料水好きで、ご自身で購入して飲んでいたそうである。数日前から食事量が減っていたのだが、搬送当日は食事に手を付けておらず、心配になったお母さまが離れの中をのぞくと、本人がぐったりしていたので救急車を呼んだ、とのことだった。

 採血データを見ると、血糖値は1268、血液ガスはpH7.30とややアシデミアがあるが、検尿ではケトン陰性であり、どちらかと言えばDKAよりもHHSの要素が大きいと判断した。治療はDKAと基本的には変わらず、脱水の補正と、インスリン投与で血糖を徐々に下げていく、ということになる。この患者さんはラッキーなことに、ICUが空いていたので、A-lineが確保できた。なので先ほどの患者さんの様に何度も針を刺されることなく、状態の安定化が図れた。この患者さんはその後、感染をきたすことなく経過は良好で、インスリンのタイトレーションを行ない、自宅では超即効型食前3回+寝る間に持続型1回の強化療法を指導し、当院でのfollowとして退院することができた。


 DKA、高血糖高浸透圧症候群を一人で管理できたことは、内科医として一つの山を越えたような気がして、うれしかったのを覚えている。



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