第38話 日常の生活(へき地研修6)
金谷病院 内科の朝は、7時からの回診から始まる。なので、少なくとも7時には仕事をできる体制を作っておかなければいけない。そんなわけで、朝は6:30に起床。身支度をして、6:45には家を出ていた。研修期間が11月、12月だったので、朝暗いうちに病院に出勤、到着していた。
7時からの回診を行ない、8:15から医局員全員で、前日の当直帯の申し送りを確認。その後、医局で用意された軽食を食べて、外来の日は外来、往診の日は往診に、そうでない日は病棟の患者さんを再度回診して、カルテを書き、指示を出した。午前中のER当番に当たっていれば、救急搬送の依頼があればERでスタンバイし、数十分かけて搬送されてくる患者さんの診察、評価を行ない、入院の書類を書いて入院、他科への入院の適応であれば、その診療科の先生に連絡を取って、入院を上げてもらう。
病棟の担当患者さんはおよそ20~25人程度、何とか名前を言われると、顔が浮かんでくるギリギリの患者数であった(研修医の頃は、25人を超えると、名前を言われても「それ誰だっけ?」と顔が浮かばないことが起こり始めていた。今は15人くらいになると、「えっ、それ誰?」と確認し、病棟でカルテを見ると、もう1週間以上継続で診ている人で、「あれぇ?」となることが増えたような気がする)。午前中、あるいは午後にFreeの時間があれば、その時にCV挿入など、手技を行なっていた。
午後からはER・時間外当番であれば、呼ばれると外来におり診察、ほかに、病診連携室から依頼があると、外来で初期評価、検査を行ない入院を上げていた。夕方16:30頃に、夜の申し送りを行ない、夜診担当であれば夜診を行なって帰宅、そうでなければ残った仕事を終えて帰宅、という生活だったが、18時くらいに仕事を終わることは基本的になく、夜でないと来れない家族のために夜に病状説明をしたり、その日の新入院患者さんのadmission noteの作成、病態の難しい患者さんの方針を考えたりと夜になっても仕事はたくさんあった。あと、以前に書いた、当時はよくわからなかったB型肝炎の患者さんはICUに入室しており、その他、重症の方でICUに一時入ってもらう方もおられるのだが、ICUの指示は毎日、午前0時までに翌日の点滴、検査、抗生剤、食事などの指示を書くことになっていた。なので、ICUで指示を作成し終わると、ほとんど毎晩、23:30頃の帰宅であった。全くお日様に顔を合わせることの無い生活だった。
病院の斜め前に、今は大手に吸収されてしまったが、「everyone」という地域ローカルのコンビニがあり、そのコンビニは、店内でお弁当、パンを作っている、ということを売りにしていた。朝も昼も病院での食事、23:30から食事に出かけるのも大変なので、ほぼ毎日夕食はeveryoneのお世話になっていた。
一度、12月の初めころだったか、全く事前のアナウンスなく、同コンビニが店舗改装のため3日間の休業となったことがあった。特に心の準備もできていなかった初日の休業日は、深夜の店の前に数分間、ショックで呆然と固まってしまうほどであった。その日は結局病院に戻り、医局に残っていた夕食をわびしく食べ、帰宅。残りの2日はどうやって夕食を調達したのか覚えていない。
そんなわけで、深夜に自宅に帰ると、まず引越し用の段ボールで代用していた洗濯籠を見て、洗濯物がある程度貯まっていたら夕食前に洗濯機をかけはじめる。その後夕食、そして入浴。入浴が終わってしばらくしたころに洗濯が終わり、室内に置いてある物干しに洗濯物を干して(未明に眠い目をこすりながら洗濯物を干すのは、本当にわびしい思いがした)、就寝。で、翌日も6:30起床、という毎日だった。回診は土曜日も日曜日も午前7時から行われており、土曜日は基本的に通常業務、日曜日は回診が終われば、当直などのdutyがなければお休み、となっていた。
一度、日曜日にdutyがなく、自分の患者さんの回診も9時過ぎに終わったことがあった。
「よし、今日は11時まで仮眠を取って、お昼は少し遠くで外食しよう。バイクでプチツーリングでもしよう!」
とウキウキで、目覚まし時計を11:00にセットし、布団に入った。宿舎隣にある公園で、はしゃいでいる子供の声を子守歌代わりに、あっという間に眠りに落ちた。
ふと目が覚めて、時計を見ると11:35、
「あぁ、少し寝過ごしたかな?」
と思ったとたん、あることに気づいた。確か昼前に起きるつもりだったはずなのに、辺りはもう真っ暗闇だったことに。なんと11:35ではなく、23:35だったのだ。
「しまった!」
と思った瞬間に携帯が鳴った。電話に出ると、ICUの看護師さんから
「先生、明日の指示をお願いします」
とのこと。
「今からいきま~す」
と返事をして、病院に向かう足取りの重さ(ずいぶん寝たので、身体は楽になったのだが)。で、ICUの指示を出して、いつものeveryoneで夕食のお弁当を買って、それを食べて寝る、といういつもの生活に戻ったのであった。
結局、この2か月間で一人で出かけたのは、手持ちのお金が無くなったので、病院を抜けて近くの郵便局に行ったのが1回、バイクのガソリンを入れに出かけたのが1回、休みの日にマクドを買いに行ったのが1回だけだった。
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