第34話 それはキラーパスだろう!(へき地研修2)
以前にも書いたかもしれないが、各病院それぞれローカルルールがあり、病院を移るとそれまで当たり前、と思っていたことがそうではないことに気付かず、なじむまでに苦労する。金谷病院の夜の外来は診療科を分けず、全科に対応ということになっていた。なので、発熱の患者さんの後に、外科で縫合された患者さんの抜糸処置、などということが普通であった。これはERが基本的に診療科を分けずに対応するところ、と考えるとそんなに困ることはなかった。一方、夜診の担当医は2人なのだが、診察室を2個開いているわけではなく、前半の医師(17:00~18:30)と後半の医師(18:30~20:00)と別れているところがすごく不思議だなぁ、と思うところであった。担当医は交代制で、特に曜日や時間が固定されているわけではなく、それなりにバランスよく各医師が担当するように組み立てられていた。
また、同院では腹部症状のある方は、基本的には外科が入院担当することになっていた。おそらくこれも、以前の内科overflow状態を少しでも軽減するための対応だったんだろうと思っている。
ある夜の外来で、70代前半の女性が、
「なんとなくお腹が張る」
という主訴で受診された。ご本人に話を聞くと、嘔吐や下痢はないが、その日の16時ころから少し嘔気が出現、同じころからお腹が少し張った感じがするとのこと。発熱はなく、バイタルも安定。腹部の触診でも明らかな圧痛を認めなかった。既往歴を見ると、大腸の手術歴があり、「おなかの張り」と、「軽度の嘔気」から腸閉塞を考え、腹部単純写真を指示した。写真では明らかな小腸閉塞の所見はなく、下腹部~臍周囲に便塊のたまっているようなガス像のある、なんとなくはっきりしない写真であった(本当はこの写真を見て『おかしい』と思わないといけなかったのだが)。本人に重篤感は全くなかったが、
「念のために入院したい」
と希望された。先に述べたように、腹部の疾患については外科が担当することになっているので、外科の先生に連絡。
「OK、後で入院指示を書くから、腹部CTと血液検査を指示しといて」
とのこと。それらをオーダーし、次の患者さんを診察していた。しばらくして、診察と診察のあいだに外科の先生が飛び込んできて、
「保谷先生、CT確認した?大腸穿孔を起こして、腹腔内に便が漏れているよ!」
とのことだった。慌ててCTを見ると、穿孔部位はS状結腸~直腸の移行部付近、そこから腹腔内に多量の便が漏出していた。
「消化管穿孔、腹膜炎はおなかがひどく痛い」
という疾患イメージを持っていたので、ひどく驚いた。と同時に腹部単純写真のなんとなく変な感じもはっきりした。普通の便秘なら、便は腸管内にガスと一緒に存在しているので、便塊は管腔に沿って、いわばソーセージの様に存在しているはずである。なので一塊として存在するのが不自然なこと、腸管で明確に区切られているので、便の辺縁ははっきりしているはずであること(その写真の便塊は、辺縁がはっきりせず、ぼんやりしていた)。そう理論立てて写真を読まないといけなかったのに、ただ漠然と
「あぁ、この辺に便がたまっているんだなぁ」
と流してしまったことに気づいた。その後、患者さんは緊急手術となり、元気に退院されたのだが、
「なんで最初の医者はわからなかったのかなぁ」
とぼやいておられた、とのことを聞いた。恥ずかしい限りである。
上部消化管穿孔に比べて頻度が低く、この患者さんの後、はっきりと「下部消化管穿孔」と診断がついた方を診た経験はないのだが、おそらく下部消化管穿孔であろうと推測される病態で亡くなられたと思われる方は経験しており、また他のDr.の症例で、「便秘でお腹がしんどい」という主訴で来られた方に、検査をせず「便秘」との診断で下剤を処方し、翌日心肺停止となられた方(おそらくこの方も、下部消化管穿孔だったと思う)の話も聞いたことがある。これはどこで聞いたり読んだりした話なのかはっきりしないのだが、
「上部消化管穿孔は、漏れた内容物は強い酸性なので、痛みは激しいが、漏れた内容物の菌量は多くなく、適切に処置すれば、状況によっては手術なしでも管理できる。一方で下部消化管穿孔では、漏れた便は胃酸ほど化学的に腹膜を刺激するわけではないので発症直後はあまり痛くなく、むしろ多量の細菌が腹腔内に漏れ出すので、痛みを起こす細菌性腹膜炎を発症するまでタイムラグがあり、しかも腹膜は腹膜透析が行えるほどに化学物質を通過させるので、痛みはひどくないけど、敗血症で致死率が高い」
ということを聞いたことがあり、今回のことで、それは本当だと実感した。おそらくこの患者さん、九田記念病院で見ていたらそのまま帰していたかもしれないと思い、ぞっとした。キラーパスではあったが、前述のことを身をもって経験することができたのはいい勉強になった。なんとなくはっきりしない腹痛の時には、下部消化管穿孔も必ず鑑別診断に入れなければいけないなぁ、と痛感した。
また別の日、午後のER当番をしていた時のこと、金谷病院には歯科口腔外科も診療科に含まれていたので、近隣の医師会病院から
「交通事故の患者さんで、顔面の損傷で歯牙が下口唇を貫通し、また歯牙損傷もあるので、貴院の歯科口腔外科に紹介したい」
との連絡を受けた。
「交通外傷とのことですが、体幹の臓器に臓器損傷などはありませんか?バイタルは安定していますか?」
と確認したが、
「バイタルは安定しており、当院で精査しましたが、体幹臓器の臓器損傷はありません」
とのことだった。歯科口腔外科に連絡し、診察可能と返事をいただき、
「それでは来院してください」
と伝えた。金谷病院の普段の流れなのだろうが、患者さんはERから入っていただき、ER Dr.は素通りで歯科口腔外科を受診。本来なら処置が済むと帰宅、となるはずが、どういうわけか患者さんがもう一度ERに戻ってこられた。看護師さんが
「患者さん、歯科の処置中も『おなかが痛い』と言われているんです。何か顔色も良くなくて、先生、診察をお願いできますか?」
とのこと。
「へっ?!」
と思いながら患者さんを診ると、顔色は確かに良くなく、うっすらと冷や汗をかいている。
「医師会病院でどんな検査を受けました?」
と患者さんに聞くと、
「手足の写真と、胸、おなかのレントゲンを撮って、『大丈夫』と言われました」
とのことだった。
「身体や頭の、輪切りの写真(CT)は撮りましたか?」
と聞くと、
「いえ、そんなものは撮っていません」
と患者さんが言うではないか!
「何だ、全然話が違うじゃないか!」
と驚き、すぐにバイタルを確認。血圧が低く、頻拍になっており、出血性ショックが怪しい。大慌てで細胞外液でラインを確保、輸血用検査を含めた採血と胸腹部単純CTを大急ぎで施行。胸部には問題なかったが、腹部は肝の裂創と思われる所見と水よりも高吸収な腹水が貯まっており、
「え~~っ!肝損傷あるやんか!!誰や!!臓器損傷はないなんて適当なことを言うた奴は!!」
と怒りに震えながら大急ぎで外科をcall。外科で大急ぎで造影CTをとると、extravasation(血管外に造影剤が漏れている所見、活動性の出血を示唆する所見)があり、先ほどの単純CTより腹水が増えていた。この方も緊急手術となり、何とか一命をとりとめ、元気になって帰られた。歯科口腔外科受診のために来られたので、ER素通りだったが、看護師さんが異変に気づかれて、本当に助けられた。そういえば・・・、と研修医になりたての頃、ERの旧ボス、香田先生に言われたことを思い出した。
曰く、
「ええか、保谷よ。ほかの医者が大丈夫、って言うても、必ず自分の目で確認しいや。この世界、人の言うことを100%信用したらあかんで。信じられるのは自分だけやで。まぁ、ほんまは自分も信じられへんねんけどなぁ」と。
この出来事は、全く香田先生のおっしゃる通りであった。医師会病院から歯科口腔外科への紹介で、本来はERの出る幕ではないのだが、ERを通るときに、顔を見て、バイタルの確認だけでもしておけばよかったと思う症例であった。
この経験も、私を成長させてくれた貴重な経験だと思っている。
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