第33話 へき地研修に行く

 保健所での研修が終わり、次の研修は当病院グループ伝統のへき地離島研修である。グループ創立者の若いころの著作を読んだことがあるが、創立者は離島出身で、弟が医療を受けられずに亡くなったことに対する怒りをエネルギーに突き進み、苦労をして医師となった。卒業し研修を終えてからは、自分にかけた生命保険を担保にお金を借り、都会に病院を造っていったとのことであった。しかし離島出身の自分が、離島の医療を良くしようと医者になったのに、都会に病院を建てることに創立者自身は強い罪悪感を感じていたらしい。しかし、ただ離島に病院を建てるだけでは医者の確保もできず、経営的に立ち行かないことも理解していた。このジレンマをどう解決するか、創立者はかなり悩んだらしく、その解決策として、都会にある自院の医師を期限をつけて離島に派遣し、派遣した医師を交代していくことで、都会に病院を造る意義と、自分の最終の目的であるへき地離島に適切な医療を提供することの二つが両立できる、と考えたとのこと。なので、へき地離島研修は、グループの理念の根源にあるものである。


 師匠の創立者に対する印象はいいものではないようであった。確かに自分の上司がこんな人なら、振り回されてうんざりするだろうと思うが、

 「医療を受けられずに亡くなられた弟、その体制に対する怒り」

 が創立者を走らせ、その怒りを失わずにおそらく創立者は走り続けているのだろう、というブレの無さは評価させるべきものだろうと思う(悲しむべきは、創立者の子供たちにその思いが伝わっていなかった、ということだが)。


 そんなわけで、私もグループの伝統に沿って、へき地離島研修に行くことになった。産婦人科研修で離島の病院に研修に行ったときは、子供がいなかったので妻と二人で行ったのだが、今回は太郎ちゃんがいて、あまり生まれて間もない太郎ちゃんを動かしたくなかった。なので、2か月間、私が単身赴任することとした。どの研修病院がどのへき地病院に行くのかは、グループの中で決定されることになっており、私たちの年次は、南国の金谷(かなたに)病院に行くことになっていた。地方都市の特徴なのか、今は市町村合併で順位が変わっているが、県庁所在地である街は人口 60万人以上だが、県内第二の都市であるその市は人口約8万人と、群を抜いて県庁所在地が大きく、後は市政をひいていても過疎に悩む地域であった。病院のある市は、国鉄時代に鉄道も廃止されてしまい(悲しい)、車が必須という地域であったが、一応県内第二の都市であり、へき地というほどへき地ではなく、またこの金谷病院はこの半島の中で最大規模の病院であった。


 研修先の移動手段として、バイクを持っていくことにした。フェリーで南国へ移動。港からバイクを飛ばして病院に向かった。病院から、研修のスケジュールなどの説明を受け、歩いて5分ほどの宿舎へ。そこから2か月間のへき地研修が始まった。


 内科部長は若手だが、当グループでも有数のスーパードクター武村先生。見た目はちょっと怖そうだが、優しくて本当に何でもできる先生だった。金谷病院には大学からの派遣の先生が中心の循環器内科、心臓血管外科(この半島で唯一の病院)があったが、武村先生は循環器内科の力を借りずともPCIを行ない、内視鏡も上部下部、ERCP、ESTをこなし、気管支鏡もでき、透析も回し、シャント閉塞のIVRも行う、という本当のスーパードクターだった。内科は武村部長と4年次の後期研修医2人、へき地研修で来ている私と関東の志賀崎中央病院から来られている先生、それと金谷病院での初期研修を選んだ1年次の3人の先生で動いていた。数年前までは、本当に内科に医者がおらず、2名の内科医で80人の病棟患者さんを抱え、外来、訪問診療、離島への応援と気が狂うほどの仕事量だったそうで、到底私には真似できないなぁ、武村先生のようなスーパードクターでなければこなせないなぁ、と驚いた(そういえば、私が病院見学で自院にお世話になった時も、師匠と当時3年次研修医だった白井先生の二人で70人入院患者さんを見ていた、とおっしゃっていたなぁ、と思い出した)。内科病棟はいくつかのフロアに分かれており(主に2階東病棟と5階西病棟)、朝は7時に集合し、日によって回診する病棟を変えて、部長を交えた全員で朝回診をする、という形式だった。その後、医局で当直の申し送りを病院の医師全員で行ない、医局で出される軽食を食べて、それぞれの午前の業務を開始する、というスタイルだった。


 研修開始直後は、私の前に来ていた同期の佐藤先生が担当していた入院患者さんを引き継いで入院管理、その後、徐々に自分の入院患者さんが増えていく、というスタイルだった。この病院では、研修でやってきた2年次研修医は明らかに戦力として数えられ、一般外来を担当し(もちろん外来終了後、部長がカルテチェックを行ない、問題のある対応をしていれば患者さんに連絡して再来院してもらい、部長からは指導が入る、というスタイルだった)、訪問診療も行い、病棟患者さんの主治医も担当し、日中のER担当、夜間当直はER外来及び一般病棟担当で1人で全科当直、ただしICUは上級の先生がICU当直として院内におられ、自分で手に負えなければ、ICU当直の先生に助けてもらう、というスタイルだった。

 とにかく、金谷病院では身分は初期研修医とはいえ、仕事や振る舞いは一人の独立した医師としての仕事を要求され、それは非常に良い経験となった。この病院での研修は本当に私を成長させてくれたと思っている。


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