第28話 精神科の研修と、バイクでの通勤

 麻酔科研修の次は、精神科での研修だった。初期研修必修化となる以前から、九田記念病院で初期研修を受ける研修医は、隣の県にある精神科病院で研修しており、私たちも同じく、その病院で研修を受けた。九田記念病院の最寄り駅から快速に乗って、その病院の最寄り駅に着く。駅前から病院行きの患者さん、職員さん用のシャトルバスが出ているので、それに乗って出勤するのが一般的な通勤手段だった。


 しかし我が家には、その時おんぼろだが750ccのバイクがあった(大型二輪免許を取ってから7年目にしてようやく購入できた(泣))。1992年式のCB750(RC42)。このシリーズの初期型である。CBX400のカラーリングをまとってからずいぶんと人気が出たが、それまではもう一つパッとしない、でもCBの流れを受け継ぐいいバイクである。初期型の深いグリーン色が好きだったので、バイク屋さんで見つけたときはすごくうれしかった(その時点で20年以上前のバイク)。後期研修終了後の新たな勤務先から

 「危ないからバイクを下りてください」

 と言われ、仕方なく手放すまで7年間の付き合いだった。私の個人的な考え方だが、車にせよ、バイクにせよ走らせてなんぼ。機械としても適切に使う方が長持ちするので、持っている限りは走らせなければ(いや、バイクで走りたい)、と思い、精神科病院へはバイクで通勤することにした。


 精神科研修は、病院での研修と週に1回、県内の系列のクリニックで外来研修、そして研修中に2回、遠方の系列クリニックで外来研修、というスケジュールだった。

 病院では、精神科疾患についての講義を受け、病棟で数人の患者さんの副主治医となり、回診を行なう、という研修だった。クリニックでの研修は、定期通院中の方で、同意の取れている方は担当医の後ろで見学、初診の患者さんで同意の取れた方は、初診の問診をとる、という研修だった。基本的には、schizophrenia、mood disorder、dementiaの3疾患について講義を受け、患者さんを担当する、という形だった。Personality disorderの方は、専門家でも難しいことがあるので、担当することはなかった。病院では、急性増悪で非常に不安定な方が、治療で落ち着いていく様子も学ぶことができたし、陰性症状の強い長期入院の方、攻撃的なdementiaで、閉鎖病棟でなければ管理できない方などもおられた。


 症状の程度によって、外来管理、開放病棟に入院、閉鎖病棟に入院、そして精神科独特の「保護室で管理」という状態がある。保護室は自傷他害のリスクの高い患者さんに、精神保健指定医の診断の下、最小限の時間入ってもらう病室である。保護室のつくりは病院によっていろいろだが、基本的には布団、マットとトイレがある程度で、出入り口は内側からはあかないようになっている。医学生時代にポリクリで大学病院の精神科を回った時は、毎日の保護室回診があり、ほとんどの患者さんは数日で退室していた。研修させてもらった病院では、やはり重い症状の人は長期に保護室管理が必要で、ある部屋では、数年来入室し続けている患者さんがリノリウム貼りの床を全部はがしてしまい、コンクリートむき出しになっていた。医学部3年生の時に、基礎配属と言って、基礎系の教室で2ヶ月ほど勉強する期間があるのだが、その時(衛生学教室にお世話になっていた)、精神衛生を学ぶ一環で、いわゆる田舎と呼ばれる地域の巨大精神科病院に勉強に行ったのだが、その病院の保護室は別棟になっていて、入室するのにいくつもの頑丈な鉄の扉を超えていかなければならず、保護室病棟に入ると、至る所からまるで動物が叫んでいるかのような雄たけびが聞こえ、あるいは部屋の片隅で何かをぶつぶつと唱えている人がおられ、「人間とは何か?」と嫌でも考えさせられ、何とも言えない気分になったことも覚えている。


 ただし、最近読んだ本のなかで、保護室入室を経験した人の話では、布団とトイレ以外に何もないところで、外部からの刺激を遮断されることで精神的に安定した、との記載があり、本当に急性期の病状の不安定な患者さんにとっては、保護室は落ち着くところでもあるのだろう。


 研修が始まって数日後に、医局で話し合いがもたれた。というのは、新規入院の患者さんが、病識(自分が病気である、という認識)がなく、妄想に支配されていて興奮状態なのだが、武道の高段者で、どのようにして治療、投薬を行なうのが良いか、というものであった。ご本人は病識がないので、薬も受け付けず、当然力技では相手にかなわない。どうしたらいいですか?と主治医の先生がおっしゃると、ベテランの副院長先生が、

 「これはね、数で行くんですよ」

 と答えられた。決して大勢で抑え込む、という意味ではなく、大勢で周りを取り囲むだけで強い抑止力になるので、できるだけ大勢を集めてその中で薬を投与しましょう、とのことだった。結局20人くらいのスタッフ(なるだけ男性を集め、その中には私もいた)で患者さんを囲んだ。確かに先生のおっしゃる通り患者さんはおとなしくされ、主治医の先生が

 「あなたは病気で治療が必要なので、薬を注射していいですか」

と患者さんに同意を取り、治療薬の注射を行なうことができた。このようなノウハウも必要なのだと勉強になった。


 そんな感じで、病院での研修、クリニックの研修を受けた。労働時間はきっちりとしていて、定時が来たら当直の先生以外はみんな更衣室に向かう、という感じだった。もちろん、研修の中に当直研修もあり、本来の当直の先生がコールを受けたら、私も一緒に動いて当直の先生の振る舞いを見る、というものだった。


 そこの病院が特別だったのか、精神科の病院が一般的にそうなのかは不明であるが、当直室は広く、まるでホテルの一室のようにきれいだった。九田記念病院では、当直医が眠るのは、医師の休憩室のソファか、二段ベッド、あるいは当直帯には基本的に使わない診察室の診療用のベッド、当直室は最上階の6階にあり、20年以上は使われているであろうぼろベッドがある部屋であり、どこに行っても、崩れるように寝てしまう状態であった。まるで九田記念病院とは違う当直室であったことを覚えている。


 当直は2回担当したが、一度は、自傷行為をはたらいてしまった精神科救急の患者さんが来られたが、別の日の当直では、病棟の方が転倒し、頭をぶつけたので、朝まで様子を見るか、今からCTの取れる病院に行くか、どうしようか、というものだった。当直医の先生が

 「先生、どう思う?」

 と私に聞いてこられる。今なら、それなりに神経診察にも自信があるのだが、研修医2年目で、そのような患者さんが来たらすぐCT、というようなレベルの研修しかできていない自分には答えが出せなかった。確か深刻な神経症状はなかったが、大事を取って、ということで高次医療機関に搬送したように記憶している。


 本院は広い敷地なので、バイクを止めるスペースも十分あるのだが、同県内の分院は駅前にあり、駅周辺は悉く駐車禁止、バイク用の駐輪場やコインパーキングもなく、結構離れたところにバイクを止めてクリニックに通ったことを覚えている。遠方のクリニックには、一度は電車で通い(6:45頃の電車に乗らないと間に合わない)、2回目は高速道路を使い、クリニックまで90分ほどバイクを飛ばした。ちょっとしたツーリングである。勉強をしに行ってるのか、バイクを乗りに行ってるのか、どっちなんだと叱られそうである。


 病棟で担当となった患者さんは、schzophreniaの方数名、Mood disorderの方数名、dementiaの方数名で合計10人程度であった。Schizophreniaの方は、比較的陽性症状の強い人(幻覚、妄想が強い人)もいれば、病状が安定しているように見える人(指導医の先生に「この方、数年間入院されていますが、病状は安定していますね」と伝えたところ、「閉鎖病棟に何年も入院して、平然としているのがまずおかしいのです」と指摘されたことを覚えている)、陰性症状(世界没落体験、人格の崩壊など)が強い人と、バリエーションを持たせてくださった。Mood disorderの人は、急性期のうつ病の方、十年以上入院中の双極性障害の方(たまたま私が担当させてもらった時期は、落ち着いていた時期だったとのこと)を担当したことを覚えている。Dementiaで精神科に入院になる方は、自傷他害の危険がある方で、担当した方も、落ち着いている雰囲気を出しながら、不意に暴力をふるうような方だった。担当患者さんもバランスよく振り分けてくださったので、勉強になった。


 そんなこんなで、最後にハードルの高いレポートを書いて精神科の院長に提出、合格をもらい精神科の研修を終えた。麻酔科の研修は朝も早く、スケジュールも厳しかったので、なかなか気管支炎が治らなかったのだが、精神科研修は少しゆったりしていて、おかげで体力も少し取り戻し、気管支炎も無事に治癒した。


 ここまで読まれて、

 「何といい加減な奴だ!」

 と思われた方もおられるだろうが、それでも私にとっては役に立った研修なのである。


 後期研修医になると内科外来を担当するのだが、一度、訴えの良く分からない30代くらいの患者さんが受診されたことがあった。問診票を見てもよくわからない。

 「いくつかほかの病院に行ったり、心療内科も受診したりしたのですが全く診断がつかず、本当に困っているんです」

 と一緒に来ていたお母さんが言っておられた。ご本人の様子は、なんとなく違和感(プレコックス感?)があり、

 「なんとなく怖いような、不気味な感じがしますか?」

 と聞くとうなずく。多弁ではないが、ぼつぼつと話すことを聞いていると、

 「どこかから怖い声が聞こえてきて、自分に命令を出してくる。それに逆らおうとしても、逆らおうという考えが声の主に漏れてしまう」

 とのこと。

 「『心療内科でもわからない』と言われたそうだけど、これ、どう考えても陰性症状の強いschizophreniaだよなぁ」

 と考え、お母さんには

 「やはり精神的な病気の可能性が高いと思います。精神科の病院へ紹介状を書くので、受診してもらえますか」

 とお願いし、院内の病診連携室に精神科への紹介先の調整を依頼。対応できる精神科を探してもらい、紹介状を書いて転院とした。数日後に返信が返ってきて、やはり診断は“schizophrenia”だったとのこと。すぐに入院となったとのことで、

 「精神科研修も役に立ったなあ」

 と思ったのだが、一つだけ、どうしてもすっきりしないのが、

 「どうして心療内科のDr.がわからなかったのかなぁ?」

 ということである。内科の新米後期研修医が診断のアタリをつけられたのに、なんでかなぁ、と今でも不思議である。


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