第27話 麻酔科研修(大学病院編)
自院での麻酔科研修だけでは産科麻酔や小児麻酔の経験ができない、とのことで、後半1ヶ月は、滝部長の母校で、滝先生が所属している(していた?)大学附属病院の麻酔科で麻酔科研修を受けさせてもらった。私の医師人生の中で、大学病院に勤務したのはこの1ヶ月だけである。
時間の記憶が定かではないが、朝の術前カンファレンスが午前7時だったか7時15分だったかに始まるので、少なくとも6:30過ぎの電車で大学に向かわないと間に合わない。なので、自院でのER当直に当たっているときは早く抜けさせてもらい、当直でないときも早起きをして大学病院に通勤した。これは結構身体に堪えていたようだ(後述)。
大学での研修は、朝の術前カンファレンスで、自分の担当する症例について簡単にプレゼンテーション、それが終わると各自、用意された麻酔セット(自院と同じように「基本セット」と、「特殊麻酔用オプション」が用意されている)をもって、手術室に入室。麻酔器を配管につなぎ、麻酔器の点検、動作確認を行なって、基本セットの薬剤を用意、用意が終わると手術室の前室に移動、患者さんが降りてくるのを待つ、という流れであった。自院では、点滴路の確保などは病棟で行なってくれていたが、大学病院ではそれも麻酔科の仕事だったので、前室で患者さんの本人確認を腕に巻いたバーコードと患者さんに尋ねて本人を確認、予定の手術室に案内し、手術台に移動。点滴路の確保を行ない各種モニタや心電図を取り付け、執刀医が来るのを待つ。そこからの麻酔導入は自院での手順通り、という形になっていた。
大病院なので、手術室はたくさんあるが、その部屋すべてに麻酔科医を配置するのは人数的に困難で、麻酔科の上級医は、私たち研修医が担当する麻酔と、ご自身が担当する麻酔を持ち(いわゆる並列麻酔)、大学らしいと思ったところは常に麻酔科の教官レベルの先生が一人、freeとして手術室に入り、必要に応じて、各部屋のサポートに入り、緊急時にも対応できるようにしていたところである。産科麻酔は、ほとんどが帝王切開であり、全身麻酔の場合は麻酔は児の娩出までは可能な限り浅めにかけ、麻酔がかかると同時に大急ぎで切開を進め児を娩出。児の娩出後は通常の深さの麻酔をかけ、切開創の縫合をしていく、という形であった。
小児麻酔については、私自身も小学1年生の時に某大学病院耳鼻科で、全身麻酔下に扁桃摘出術を受けたことがある。自分の記憶では、手術台に寝かされ、マスクから臭い気体を無理やりかがされ、その臭い気体を嗅がされるとすぐに、目の前が壊れたブラウン管テレビの画像の様に画像が乱れ、気が付けば手術が終わって病室、という感じだった。実際の小児麻酔も、大人の全身麻酔とは異なっていた。手術室前室で本人確認を行なうと、大体ベッドでおとなしくしている子供はいなくて、ほぼみんな、ワーッと泣いていた。親と離れてワーッと泣く子供を抱っこして手術室に入室。点滴路を確保し、各種モニタをつけ、子供が泣き止むのを待ち、落ち着いたところで、吸入麻酔薬を流したマスクを顔に当てて、吸入麻酔で麻酔導入する、というのが小児の麻酔の手順であった。小児麻酔の指導医からは
「とにかく患児を泣かすな!」
というのが至上命令だった。子供が泣くと、肺の酸素化能も、心拍数や血圧も大きく変動するので危険である。なので、小児麻酔の肝は「子供を泣かせない」というのが一番であった。小児麻酔の手術に入って、麻酔をかけながら
「ああ、自分が麻酔を受けたときも、確かにこんな感じだったなぁ」
と、自分の記憶が正しかったのを再確認した。
緊急手術(あるいは処置)でも「大学でないとできないなぁ」というものにはオブザーバーとして手術室に入らせてもらい、積極的に見学させてもらった。気管支異物で、硬性気管支鏡を挿入して異物除去、というのを見学させてもらったが、普段慣れ親しんでいる軟性気管支鏡とは異なり、本当に金属の筒で、
「こんなのをどうやって気管に挿入するんだろう」
と思いながら見学させてもらったことを覚えている。
手術が終わるときには、自院と同じように徐々に麻酔の深度を浅くしていき、手術室で抜管(ここの麻酔科は吸引抜管が主流であった)し、術後の回復室で30分ほど経過観察。バイタルサインに問題なく、本人の意識、呼吸状態に問題なければ患者さんは病棟へ戻る、という流れであった。私が経験した症例ではないが、抜管後、呼吸状態が不安定なため、再度挿管し、しばらく人工呼吸器で呼吸をサポート、その後抜管し、自発呼吸が戻っていることを確認して退室、となった方もおられ、回復室での観察も大事だなぁ、と思ったことがある。
自分の担当の麻酔症例が終わる、あるいは症例があっても午後で状態が安定している場合は、上級医に報告の上、病棟に麻酔前診察に行くこととなっていた。麻酔科の教官でもあった、教え上手な井上先生から
「ほかの大病院は、麻酔科に外来を持っていて、麻酔前診察は病棟から麻酔科外来に患者さんに降りてきてもらって診察するのが普通やけど、うちは、患者さんのベッドサイドに行って麻酔前診察をすることになってんねん。手間をかけて悪いね」
と言われたのだが、郷に入れば郷に従え、ということで患者さんのベッドサイドに行って、術前診察用のフォーマットを埋めるような形で問診、診察に行くことになっていた。
さすが大学病院だけあって病院そのものが大きく、建物は18階建てだったか、もっと多かったか、フロアがたくさんあった。しかも患者さんが迷い込むことを防ぐためだと思うが、階段が全く見当たらず、フロアの移動はエレベータを使わなければならなかった(慣れているスタッフの方は階段をうまく使っていたのかもしれないが)。しかし、病院の規模に対してエレベータが少ないのか、なかなかエレベータが来ず、「やっと来た」と思っても、もうすでに満員で次のエレベータを待たざるを得ないことが多かった。階段が使えない、というのは結構厳しくて、例えば、麻酔前診察が2名で、10階の患者さんと11階の患者さんだった場合、階段が使えればすぐに移動できるのだが、エレベータを使わざるを得ないため、エレベーター待ちで10分以上無駄にすることも珍しくなかった。
病院の最上階は特別室で、セキュリティがかかっており(どのようなセキュリティだったか、もう忘れた)、容易にアクセスできないようになっていた。何度かその部屋に麻酔前診察で言ったことがあるのだが、まるでホテルのスイートルーム。窓からの展望も良く、すごく広いスペースが割り当てられており、病院とは思えない設備だった。聞いた話ではこの特別室は1泊20万円(当時)とのこと、とても自分の給料ではこんな部屋に入れないなぁ、と思ったことを記憶している。
医師の中だけなのかもしれないが、
「大学病院の看護師さんは、市中病院の看護師さんに比べて冷たい」
という話を聞くことがしばしばある。その言葉の真偽のほどは定かではないと思ってはいるのだが、初期研修後、大学病院で後期研修を受けた後輩からは
「ひどいんですよ!内科当直をしていた時、神経内科の病棟で『患者さんの呼吸が止まりそう』とコールを受けて駆け付けたんですけど、挿管の用意も何も準備していないんです。仕方がないから自分で道具を集め、患者さんのところに行ったんです。確かに呼吸が止まりそうだったので、気管内挿管をしようと物品も挿管チューブも自分で用意し、喉頭鏡で喉頭展開をして、『挿管チューブを渡してください』と言ったら、目の前に用意した挿管チューブが置いてあるのに、『私たちはできません』ていうんですよ!介助なしで挿管なんてできないじゃないですか!仕方がないのでICU当直の先生に来てもらったら、ICUの教授が当直をされてて、『それは大変だ』と言ってくださったんです。挿管の介助を教授にしていただき、私がアンビューをもんでいる間に教授がベンチレータを持ってきてくれて、結局私と教授の二人だけで何とかしたんですよ!!」
と激怒していたが、大きな組織で、看護師さんにもいろいろ制限があるのだろうと思っている(とはいえ、目の前で消えそうな命の前で医師が全力を尽くして、さらに助けを求めているときに、職種にかかわりなく優先すべきことが何かわかるはずだろう、と思うのだが)。
麻酔科診察の時の看護師さんの印象は決して悪くはなく、大学病院のルールに疎い私に、
「先生、何かお探しですか」
などと声をかけてくださったりして、いろいろ助けていただいた。前情報で怖いことを聞いていただけに、看護師さんのちょっとした気遣いが本当にありがたかったと思っている。
そんなこんなで、大学病院の麻酔科と、自院のER当直をこなす1ヶ月だったが、ある時風邪をひいてしまった。当初は鼻汁と咳嗽だったので、「ああ、風邪だなぁ」と思い、熱もなかったので経過を見ていたのだが、数日たって鼻汁が落ち着いても、咳が全然止まらない。喀痰も膿性痰に変化していき、微熱も出てきた。でも休むわけにはいかないので、仕事は続けていたが、なかなか良くならない。で、ER当直の時に、自分の喀痰を培養検査に回すことにした。培養結果はH.influenzae(BLNAR)と返ってきて、おそらく、風邪症候群→抵抗力が落ちているので細菌の2次感染による気管支炎(レントゲンを撮らなかったが、もしかしたら気管支肺炎だったかもしれない)となったのだと思う。抗菌薬のスペクトルを見ると、LVFXがsensitiveだったので、LVFXを内服しながら仕事を継続。ちょっとずつ改善したが、結局麻酔科研修中はその後もずっと膿性痰を出しながら仕事をしていた。
そんなこんなで、2か月間の麻酔科研修を受けたが、
「麻酔科って面白いなぁ」
と思った。人間にとって重要ではあるが非常にストレスでもある「痛み」を大きな問題として取り扱っているところ、術中麻酔では呼吸、循環という命の維持に直結しているものを常に扱っていること、長年世界中で使われている吸入麻酔薬がどうして効果を発揮しているのか、今もわかっていないことなど、身近に学問的興味のある問題があるところなどに強い魅力を感じた。いろいろなことを考え、「総合内科医」、「プライマリ・ケア医」として現在働いているが、初期研修を終え、自分の進路を決めるときに選択肢の一つに「麻酔科」があったのは確かである。
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