第25話 人工透析科の日々
人工透析科の常勤医師は科長の新(あらた)先生、非常勤の先生は近くの透析クリニックである大林透析クリニックの若先生が来られており、週に一度、大学病院から腎臓内科の先生が来られていた。看護師さんは8名、臨床工学技士さんが交代で担当、というチームだった。今は、透析導入はまず腹膜透析から始め、腹膜透析が困難となった時点で血液透析に移る、というのが基本的な流れとなっているようであるが、当時は最初から血液透析導入、という方が多かった。当時の人工透析科は血液透析のみで、腹膜透析は行なっていなかった(今は腹膜透析も行っているそうである)。基本的には外来の方の維持透析が午前、午後の2クール、入院中で透析が必要な方も透析室で受け入れ、ICUでのCHDFなどもサポートしていた。
最初は、新先生のお尻にひっついて、患者さんの回診や週に1回の透析外来の見学をしつつ、若先生からは、人工透析で大きな問題になるカルシウム、リンの動き、副甲状腺ホルモンの動きとその対応(といってもそのころはカルタンぐらいしか薬がなかったが)や、ドライウェイトの決め方など、人工透析にかかわる様々なことについて、折に触れ教わった。
透析の原理は当然医学部で学ぶのだが、具体的に、人工透析装置に1分間にどれぐらいの血液が流れ、どれぐらいの透析液が流れるのか、などは学ばないので、実際に現場に出てみると知らないことだらけだった。もう細かいことは忘れてしまったが、少なくとも1分間に最低でも150ml、普通は200ml程度の血液を脱血できないと有効な透析にはならない、ということは覚えている。
また、人工透析を受けている患者さんは、全身の血管の石灰化が急速に進んでいく。そのため、血管に起因する疾患(脳梗塞や心筋梗塞、大動脈解離など)のriskも跳ね上がるのである。
人工透析は、前述のように大量の血液を身体から抜き出し、身体に戻すので、心機能に大きな負荷となる。しかし、人工透析を止めると、体内の電解質異常、水分の貯留、尿毒素の貯留が進み、死に至る。なので、人工透析は原則全身状態が許す限りギリギリまで継続する。人工透析をやめるときは、透析を始めると急激に血圧が低下するなど、透析医が
「安全に透析を行なうことができない全身状態である」
と判断したときである。ただし、それは本質的には「死の宣告」でもある。また場合によっては透析中に心肺停止となってしまうこともある。後期研修医となって、透析を受けている方の内科入院患者さんとそのご家族には、透析についてはその旨、お話をするようにしていた。
人工透析科は基本的には病棟を持っていなかったが、時には入院患者さんを管理することもあった。
今では常識(と言いたいところだが、十分に浸透しているとはいいがたい)である、
「腎機能低下の患者さんのstool softener(便を柔らかくする薬)として酸化マグネシウムは使うべきではない」
ということも、人工透析科で学んだ。
他院から、食欲不振、尿毒症で人工透析の開始が必要、と紹介された患者さんが来られた。2週間ほど前から食欲不振が強く、水分しか取れない、とのことだった。新先生が、患者さんの服用されている薬を確認し、
「保谷先生、血液検査の項目にマグネシウムも入れて」
と仰られた。言われたとおり、スクリーニングの採血セットにマグネシウムを追加して採血を指示した。患者さんの身体所見では浮腫は認めない。胸部レントゲンでも肺水腫はなく、心拡大も認めなかった。血液検査の結果が返ってきたが、BUNは40台、Creは3台後半と腎機能低下はあるが、Na、K、Clの値はそれほど狂ってはおらず、Mg値は5台と明らかに高値であった。
「保谷先生、たぶんこれからよく見ると思うけど、腎臓が悪い人の便秘で酸化マグネシウムを処方する先生が多いんだよ。高Mg血症で、この患者さんのように吐き気や食欲不振を訴える人がいるから、腎臓の悪い人には酸化マグネシウムは処方しちゃだめだよ」
と指導を受けた。これは今も守っている。しかし、今でも同じように、酸化マグネシウムによる高Mg血症で食欲不振となっている方を見かけることがある。
この患者さん、食欲がなく、吐き気があるので食事がとれない状態だった。末期腎不全、あるいは透析を受けている患者さんが食事をとれないときにはどうするのか、基本的には速やかに中心静脈カテーテルを挿入し、TPNを開始する、と指導を受けた。もちろん、TPNの製剤は、腎不全患者さん用に調整されたものを使用する(九田記念病院では薬剤科が腎不全用のTPN液を調整してくれていた)。末梢点滴で長期管理をすることはしない。
もちろんこれも理由のあることで、末梢点滴ではどう頑張っても、経口摂取に匹敵するだけのエネルギーを投与することはできない。なので、末梢点滴のみでは、不足分のカロリーを自分の身体から作り出すことになる。皆さんのイメージでは、脂肪を分解してエネルギーを得る、と考えがちであるが、体内のエネルギーである血糖が不足している状態であれば、脂肪ではなく、筋肉が分解されて、アミノ酸からブドウ糖が作られる(糖新生)。脂肪から糖を作ることはできず、脂肪を燃焼させるためにはブドウ糖の有酸素代謝(クエン酸回路/クレブス回路)が回っていることが必要である(生化学の教科書には「脂肪は糖の炎の中で燃える」と書いている)。
筋肉が分解されて糖を作る、ということは、アミノ酸が代謝されてアンモニアが作られる、ということである。アンモニアは尿素、という形には変えられるが、腎不全の方では尿素をうまく捨てられず、尿毒症が悪化するのである。なので、末期腎不全の方や透析の方では、カロリー不足で筋肉が分解されるのを防ぐ必要があるため、速やかにCV lineを挿入し、十分なカロリーを投与し、糖新生を抑えなければならないのである。このようなことも、人工透析科を回ることで勉強させてもらえた。
この患者さんについては、腎不全がそこまでひどくなく、数日で高マグネシウム血症が改善されると推測し、末梢点滴で数日点滴を行ない、血清Mg値が正常化するにしたがって、食欲も改善。経口摂取も可能となり、1週間ほどで退院となった。
高齢者、腎不全患者への酸化マグネシウム投与については、私が人工透析科を回ってから10年後くらいに、厚生労働省から注意勧告が出た。しかし今でも、末期腎不全の方に酸化マグネシウムが処方されていることは珍しくない。非常に困ったことである。
人工透析が必要となる原因疾患は、かつては慢性糸球体腎炎が多かったのだが、ちょうど僕が医学生だった頃に、糖尿病性腎症が原因疾患の1位となり、その後、現在に至るまで、糖尿病性腎症が原因疾患の1位である。ただし、糖尿病性腎症が原因で透析となる患者さんは最近では徐々に減ってきており、高血圧に起因する腎硬化症が増加傾向である。そんなわけで、透析患者さんの多くが糖尿病性腎症→人工透析のコースをたどってきた方だった。糖尿病性腎症→人工透析となられた方は、慢性糸球体腎炎→人工透析となられた方よりも生命予後が悪いと言われており、実際、透析室でも長期間通院されている方はほとんど慢性糸球体腎炎、あるいはSLEなどの膠原病に伴う糸球体腎炎→人工透析となられた方であった。早逝した私の実父も糖尿病→糖尿病性腎症→人工透析となったが、透析を受けていた期間はおそらく1年はなかったと記憶している。腎臓は毛細血管の塊なので、その臓器が機能しなくなった、ということは、全身の毛細血管も同様にダメになってしまった、ということを意味している。なので、腎不全よりも、心筋梗塞や脳梗塞などの血管イベントで命を落としてしまうことが多い。
この、「糖尿病性腎症→人工透析」ということについて、いくつか思うことがあるので、少し述べたいと思う。
まず1つ目は、「糖尿病+腎障害は本当に糖尿病性腎症なのか?」ということである。健康な人が、いわゆるネフローゼ症候群や慢性糸球体腎炎を起こすのと同様に、糖尿病の人が糖尿病とは関係ない腎疾患で腎機能が悪化することも当然ありうることである。しかしながら、そこを精査しようとする非腎臓内科医は多くないように思う。糖尿病の患者さんをfollowするときには、血液検査や検尿でケトン体や微量アルブミン定量、尿タンパク定量で腎機能もfollowするようにしているのだが、私自身は、顕性のタンパク尿やCreの上昇があれば、Creが2になる前、遅くとも1.5程度になれば、腎臓内科に精査を依頼している。腎疾患の診断は私の個人的なイメージだが、クリニックレベルでできる尿検査(潜血、タンパクなどの定性検査や尿タンパク定量)で異常があれば、もう次のステップは腎生検を視野に入れないといけないので、簡単な検査の次にもう究極の検査が来てしまう、というイメージを持っている。
また、腎生検についても、腎機能がある程度以上悪くなってしまうと、腎生検は行わない(行なって病気がわかっても、もう腎臓が治らないレベルになってしまっているから)ので、なるだけ早く腎臓内科医の診察を受けてもらいたい、と考えている。糸球体疾患で治療可能な病態であるのに、糖尿病を持っていたがために「糖尿病性腎症」と診断され治療の機会を失う、ということは避けたいと思っている。
2つ目のことだが、糖尿病性腎症の方は、基本的には糖尿病のコントロールがかなり悪い状態が続いていた方なので、糖尿病性腎症→人工透析となられた方の一部は、人工透析について守らなければならないことを守らなかったり、医学的なことだけでなく、いろいろな意味でルールを守れない(守るつもりがない)方もおられるのが事実である。糖尿病性腎症で人工透析を受けられている方は、そのような方が一般外来に比べて多いように感じた。透析科での研修の後半には、私も透析回診を行なうようになっていたが、とある患者さんは
「○△さん、おはようございます。今日の体調はいかがですか?」
と声をかけると、
「うるさいんじゃ!ボケ!!いてまうぞ、こら!」
と怒声とともに聞きたくもない言葉が返ってくるのが日常だった(その人が認知症、というわけではない)。全く会話が成り立たない。その患者さんの病歴、カラフルな身体と、虚血で切断された下肢、おそらく虚血とは関係ない原因で切断された指を見ながら、少しその人の人生を考えてしまった。
「あぁ、この人はこういう生き方でこれまでの人生を過ごしていたんだなぁ」
と。そのような人たちが何人かおられ、何ともやりきれない気分になったことを覚えている。
3つ目は、僕が後期研修医になってからの話である。同期のシノちゃんが結婚し、病院を離れることになったので、何人か患者さんを引き継いだ。そのうちの一人の方の話である。
糖尿病、糖尿病性腎症と高血圧を有する患者さんで、一人暮らし、日雇いの肉体労働で生活をしている60代の男性だった。私に引き継いでから、いよいよ生活が苦しくなってきたのか
「先生、病院にくるお金がないから、毎月の受診を2ヶ月にしてほしい」
「薬代が高くてお金がないので、薬を減らしてほしい」
と言われるようになった。血液検査では腎機能の悪化が採血をするたびに進んできており、血圧のコントロールも悪いので降圧薬も増やしたかったのだが、
「生活が苦しい」
と言われると如何ともし難い。受診間隔については2ヶ月間隔を許容したが、薬については、引継ぎの時点でACEI、CCB、α-blockerが処方されており、それでも血圧が高かったのだが、やはり生活には代えられない。塩分を控えることを強く指示し、α-blockerから徐々に薬を減らしていったが、やはりその分、血圧は上昇していった。生活が本当に苦しくなったのであろうか、ついに患者さんは来院されなくなってしまった。日々の診療でその患者さんのことはすっかり忘れていたのだが、約1年後に私の外来に
「息が苦しくてつらい、もう動けない」
との主訴で来院された。
全身の浮腫と貧血が強く、胸部レントゲンでは両側胸水貯留と著明な心拡大、血液検査では高度の腎機能障害と電解質異常、正球性正色素性貧血を認めた。お話を聞くと、本当にお金が無くなり、食べて家賃を払うのに精一杯で、受診ができなかったとのことだった。明らかに緊急透析が必要、入院が必要と判断し、私が当時所属していた総合内科が主科(当然私が主治医)、人工透析科が共観という形で入院していただいた。私がブラッドアクセス(透析時に脱血、送血を行なうためのカテーテル)を内頚静脈に挿入して透析科に人工透析の開始をお願いした。また日程の調整をつけて内シャント造設術を新先生にお願い(助手として私もお手伝いをさせてもらった)、内シャントが使えるようになるまではブラッドアクセスからの透析を続け、内シャントからの透析ができるようになったらブラッドアクセスを抜去して退院、ということになった。
継続して人工透析を受けられる方は身体障碍者 1級に認定されるので、医療費がかからなくなる。もともときっちりした性格の方なのだろう。退院後は、人工透析科から自宅近くの透析クリニックに紹介となるまで、内科的管理のため毎月きっちりと私の外来に受診されるようになられた。
本来なら、当初血圧のコントロールが不良な時期に、しっかり降圧薬を使って血圧コントロールができていれば透析にならずに済んだはずの方である。医学的、医療的には透析にならずに生活していただくのが最も大切なはずにもかかわらず、そこには医療費の補助などの介入が入らず、結局腎機能が破綻し、人工透析になってから医療費がかからなくなり、きっちりと医療を受けられるようになった、というのは(如何ともし難いのは重々承知の上で)、今でも「何か間違っている」と心の中がモヤモヤとしてしまう。
まぁ、そんなこんなで1か月間の人工透析科の研修が終了した。看護師さんや臨床工学技士の方々が透析に精通しておられるので、ポンコツ研修医でも透析医の真似事ができたのも良い経験であり、何よりも、どのようにして透析患者さんや末期腎不全の治療を行なうべきなのかが実感としてわかった。透析の患者さんが来ても大丈夫、とある程度自信を持てるようになったのは本当にいい収穫だったと今でも思う。新先生から教えてもらった
「透析を受けている方は、基本的には普通に仕事をされている方だから、極端に診察を怖がらないで」
と
「透析を受けている人は、一つの臓器が全くダメになり、ほかの臓器の血管も悪くなっているのだから、棺桶に半分足を突っ込んでいる人だと思って診て」
という相反する二つの言葉、その意味が理解できるようになったのは、今でも私の診療に、大いに役立っている。
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