第24話 いよいよ2年目(システム変化その2)
外科4か月の研修もいよいよ終わりが近づき、手術室でも、指導医の前立ちのもとに、メッシュを使った鼠径ヘルニアの手術や、虫垂炎の手術などを執刀、指導してもらえるようになった。とはいえ、一生懸命に術前に術式を頭に入れていても、指導医からは、
「そこ、違うよ!」
と指導されてばかりで、まだまだ指導医の指示のままに手を動かす、という状態であった。もともと手先が不器用で、医学生時代も、解剖学実習での剖出は大変下手だった。手先が不器用であるという理由だけでなく、一人前の外科医になるには、経験と時間も必要である。周りより年を取って医師になった私には、それだけの時間がなかった。内科の診断学に特化すれば、知識とセンス(もちろん経験も必要だが)でショートカットができる。なので、ブラックジャックに憧れていたにもかかわらず、僕に「外科系に進む」という選択肢はなかった。
「外科」に進まない人間が研修医時代に「外科」を勉強することに意味はあるのか?この問いには大いに“Yes!”と答えたい。医学はドイツ語では“Artz”と書くが、おそらく英語の”art”と語源を一にしているのであろう。なので、書いた書物を読むだけでは身につかないことがたくさんあるのだと感じている。外科をローテートして、学んだことは言葉にできない。言葉にできないけど身にはついている。なので、いわゆる「適応」を体感する、もっとわかりやすく言えば、
「これは外科の先生にお願いしないといけない」
という状況を理解できる能力が(多少は)できたと思っている。
そんなこんなで、無事に1年目の研修を終えた。次は2年目の研修スケジュールだが、大学医局からの引き上げが続き、産婦人科の次は小児科が撤退となり、小児科病棟が無くなってしまった(外来診察のみとなった)。これもまた研修委員長である師匠が苦労して調整し、グループ内の他病院に研修に出かけることとなった。
私の時の2年次の研修プログラムは、内科2ヶ月(初期研修医には内科6か月の研修が課せられており、ほとんどの病院では1年次に6か月の研修を行なっているのだが、師匠の考えで1年次4か月、2年次2か月とあえて2年次にも内科研修を持ってきていた)、麻酔科2ヶ月(自院1か月+大学病院1か月)、地域医療研修1ヶ月、小児科2ヶ月、グループ伝統のへき地離島研修2ヶ月、精神科1ヶ月、後は選択が3ヶ月だったと記憶しているのだが、これらを全部足すと13ヶ月になるので、何かおかしいような気がする。しかし確かに2年次にこれだけの研修を受けたと記憶しているのだが。
3月も下旬となり、そろそろ1年次のスケジュールがすべて終わってしまうのだが、まだ2年次の研修スケジュールができていない、という状況だった(研修委員会は大変だった様子)。結局、プログラムが完成したのは4月1日で、新2年生が全員集合、そこで30分ほどで各人のプログラムを決定した。私は子供が8~9月ころに生まれる予定だったので、そのあたりに内科研修を行なえるプログラムをみんなが譲ってくれた(内科研修が一番融通が利きやすい)。
そのプログラムでは、4月に選択科目が入ることになり、最初の選択科目を人工透析科にすることに決めた。「内科医として生きていくうえで、人工透析の知識は必須だから」と考えて選択した、というだけではなく、ERに1年間当直していて、透析を受けている患者さんが搬送されてくると、どう対応していいのかわからず、ただオロオロしてしまうことが多かったので、
「人工透析科を回って、何かうまく対応できるポイントがつかめたらいいな」
という気持ちもあった。
ただ残念だったことは、連絡がスムーズに回っておらず、僕が1ヶ月お世話になることを透析科の先生も他のスタッフも知らなかったことだった。透析科に顔を出したら
「保谷先生、どうしたの?」
と科長の新先生に聞かれた。
「今日から1か月間、初期研修プログラムの一環で、お世話になりに来たのです」
と泣きそうな気持で言ったことを覚えている。
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