第23話 備えあれば(手術室長の言葉)
離島での2か月間の産科研修を終え、自宅に戻ってきた。さすがにマンションを2ヶ月空けると、水洗トイレの水は乾燥し、下水の臭いが上がっていて臭かった。風呂場、手洗い場、台所も排水管のU字部分の水が干上がり、同様に下水の臭いが上がっていた。それぞれ水を流し、荷物を片づけて、「あぁ、帰ってきたなぁ」と一息。また九田記念病院外科での修業が始まる。
今度は外科の後半戦。後半戦とはいえ、同じように手洗いをして手術室に入って、鉤引きが悪い、手が邪魔だ、と叱られながらの毎日だが、少しずつさせてもらえることも増えてきた。開腹手術の後閉腹、最後の皮膚縫合で、
「清田先生、保谷に皮膚の縫合させて、指導しておいて」
と言われるようになってきた。スタッフの先生のようには全くうまくいかないが、頑張って縫合処置を行なった。手術によっては、術後の縫合は埋没縫合をすることもあり、埋没縫合も指導してもらった。
手術は基本的に開腹手術、あるいは虫垂炎や鼠径ヘルニアなど(これも小開腹だが)だが、ちょうど内視鏡下の手術が市中の一般病院でも行われるようになってきた時期で、当院でも腹腔鏡下に胆嚢摘出術を行なうことが増えてきた。腹腔鏡下での手術の時は、研修医の仕事はカメラを正しく持つことであったが、これがなかなか難しい。この角度ではこのように見えるのが正しい像、という教科書なんてなかったので、本当によく怒られた。
「保谷!ちゃんと水平を保て!」とか、
「お前がちゃんとカメラで水平を出さないから、車酔いみたいに吐き気がしてきたわ!」
と怒られ、指導医にカメラを取り上げられ、
「ほら、これが水平が取れた状態や!」
と言ってカメラを渡され、その後、頑張ってその像を出しているつもりでも、
「ほら、またおかしくなってるやろ!」
と怒られる始末。
おそらく今の研修医の先生方は、もっとたくさん腹腔鏡下手術に入っているだろうから、苦労されているのではないか、あるいはもっと慣れていて、僕のような苦労はしていないのではとも思う。
そんなこんなで、いろいろとさせてもらえることも増えてきたが、基本的にはロボット状態、自分で判断をして手術を進めていく、などというレベルではなく、指導医の先生が、
「はい、針はここから入れて、こちらに出して」
とか、手術で切開をするときも、メスを入れる範囲を鑷子(ピンセット)で指示され、その間をメスで切開をして、などと、指導医の言うがままに動いていた、というのが適切であった。ただ、経験値が増えていくことはうれしかった。
さて、手術に限らず、医療全体として、100%の安全、というものは存在しておらず(私の同期の経験した症例だが、TVでよくCMをしている市販の風邪薬を飲んで、Stevens-Jonson症候群(致死的になりうる薬疹)を発症)、もちろん外科では、よりそのリスクが高くなる。避けることのできないリスクもあれば、備えておくことで、リカバリーできるリスクもある。
手術室長(麻酔科部長)の指導の中で、
「局所麻酔の予定手術でも、必ず麻酔器が使えるように準備、点検しておくことと、エホチール(昇圧剤)をすぐ使えるように用意しておくこと」
という指導があったのは、以前の章でも書いたことだが、実際にその指導のおかげで患者さんの命を助けられたことがあった。
鼠径ヘルニアの予定手術の70代前半、男性の患者さん、当日は硬膜外麻酔で局所麻酔下にメッシュを入れて、鼠径部の補強をする手術をする予定であった。執刀医は経験豊かな村野医長、当然硬膜外麻酔も数え切れないほど経験されている。村野医長と堀口先生は、私たちの病院が所属するグループの中でも外科医の精鋭たちが集まる“TST(Tokyo Surgical Team)”で厳しいトレーニングを受け、あらゆる外科領域の経験を積み、お二人とも年次は異なるがTSTの「チーフレジデント(研修医のリーダーとして、最高年次の人達の中で、最も優秀な人がチーフレジデントとなる。自分自身が執刀医として複数の手術に入るのと同時に、翌日の予定手術についてもスタッフの配置を決定し、術前、術後管理についても、他の研修医からの質問に答えたり、緊急の時は率先して対応に入るというとてもハードな仕事)」を経験されている。僕らの病院グループでは、TSTのチーフレジデント経験者、といえば本当に信頼できる外科医の証であった。飄々とした雰囲気の村野先生であるが、スーパードクターでもあった。
助手として名前が入っていた僕は先に手術室に入り、レントゲンをシャーカステンにかけたりと準備をすると同時に、麻酔器の点検、準備を行ない、エホチール1Aを生食でtotal 10mlとなるように希釈して用意しておいた。
患者さんが入室され、村野先生が硬膜外麻酔を行なった。手順通りに手技が行われ、硬膜外カテーテルが挿入された。テストドーズとして、本来の使用量の1/3程度の麻酔薬が注入された。適切にカテーテルが挿入されていれば、何も起こらないはずなのだが、患者さんが突然ウトウトし始め、血圧が低下し、呼吸も急にゆっくりになった。硬膜外麻酔を行なったはずが、カテーテルが硬膜を超えて留置され、脊髄麻酔の状態になっていたのである。しかも、脊髄麻酔になっていたとしても、ふつうはテストドーズでここまで深く脊髄麻酔がかかることはない(なのでテストドーズなのである)。医学的には「全脊髄麻酔(全脊麻)」という状態になった。
ただ、非常にラッキーだったのは、私が手術室長の言う通り麻酔器がすぐに使える状態にしてあり、昇圧剤のエホチールを用意していたことだった。すぐに僕が麻酔器でバッグマスク換気を開始し、用意していたエホチールは他のスタッフが適切量を側注。エホチール投与で低血圧は改善。バッグマスク換気を続けたが、テストドーズで麻酔量が少なかったため、10分ほどで患者さんの意識も戻ってきた。結局その日は手術を中止。村野医長からご家族に病状説明を行ない、ご家族に謝罪されていた。患者さんには後遺症なく、別の日に無事に手術を受けられ、退院していかれた。
私はあまり深い考えもなく、手術室長のおっしゃられた通りに用意していただけなのだが、用意ができていて、本当に良かったと思った。慣れている手技でも、思わぬ時に思わぬ事故が起こるのである。
数年前、産科の無痛分娩に伴う事故が大きなニュースとなったことがあった。無痛分娩は硬膜外麻酔で行なうので、おそらくそれらの事故は基本的には僕たちが経験したことと同様に「全脊麻」が起こったことによるものだと思う。
僕たちの場合、ラッキーだったことは、室長の言う通り、麻酔器を用意し、エホチールも用意していたこと、僕が患者さんの頭側から医長の手技を見学していたので、すぐに麻酔器のところに行き、バッグマスク換気を開始できたこと、医長、僕以外にも手術室に看護師さんや研修医がいたので、エホチールも速やかかつ適切に使えたことである。
産科医院で一人の先生が無痛分娩のための硬膜外麻酔を行なっている場合には、すでに陣痛が始まっており、分娩の管理をしながら硬膜外麻酔を挿入し麻酔の管理をする、という2つの難しい作業を行なわなければならない。今回の私たちの様に仮に妊婦さんが全脊麻となった場合、速やかにバッグバルブマスクや麻酔器で人工呼吸を行ない、昇圧剤の投与が必要となるが、バッグマスク換気をしようと妊婦さんを仰臥位にすると、大きな子宮が下大静脈を圧迫して血圧が下がる「仰臥位低血圧症候群」を起こす危険性があり、また、バッグマスク換気をすると両手がふさがるので、昇圧剤の投与を誰か別の人にお願いする必要がある。もちろんお産も進んでいくので、お産は助産師さんにみてもらわなければならない。
しかし、普通の産院の分娩室に麻酔器は置いているのだろうか?長男の分娩の時は分娩室が2室とも使っていたので、仕方なく手術室でのお産となったが、そこでも麻酔器は目に入らなかったように思う(帝王切開は脊髄麻酔で行なうことも多い)。おそらく産院でスタッフはそれほど多くなく、無痛分娩のための硬膜外麻酔を行なったところ全脊麻となってしまい、少数のスタッフでは蘇生処置が間に合わず、母体、胎児に重篤なダメージを与えることになったのだろうと推測している。新聞などで問題になった症例のうち、3症例は同一の産科医院で起きているので、そこについては「??」と思うが、その他の症例は各産院で1例づつの報告であった。おそらくその産科の先生の技術に大きな問題があったわけではないと思う。今回の村野先生もしっかりした技術をもっておられ、それまで百例を超えるような硬膜外麻酔を問題なく行なってきたはずである。熟練の人でも、医療事故は起こしうるのである。なので、その時に患者さんに危険が及ばないような体制がとれているかどうか、が一番大切なことだと思う。
この「全脊麻」の症例は改めて準備の大切さを学ばせてくれた、と思っている。あの時の手術室に走った緊張感は今でも忘れられない。また、忘れてはならないと思っている。
また、1年次も終わりに近づくと、少し画像所見も読めるようになってきた。僕のER当直時に腹痛を主訴に受診された80代後半の女性の方、単純CTでは小腸閉塞があり、絞扼を疑うようなbirds-beak sign様の変化があった。造影CTでは、腸管の一部は染まりが悪いように感じ、絞扼性イレウスの疑い、と診断したのだが、急いで放射線科に読影をお願いしたところ、腸管の染まり具合は大きく変わらず、器質性イレウスだが絞扼はしていない、との所見だった。いずれにせよ小腸閉塞があることは確かなので、外科に入院、ERでNGチューブを挿入し、腸管の減圧を図り、改善するかどうか経過観察することとなった。NGチューブが挿入されているので嘔吐はしないが、便汁様の廃液が回収され、腹痛も改善しない状態が続いた。72時間の経過観察で症状の改善を認めないため、開腹手術の適応、と診断、緊急で手術となったが、開腹すると私の読影の方が正しく、小腸の約30cmが絞扼、壊死していた。高齢者の絞扼性イレウスの予後は結構悪いことがわかっており、執刀医の村野先生も「これはちょっと厳しいかな?」という意見だったのだが、絞扼部位を切除し、血流の残っている小腸をうまくつなぐ手術を行ない、全身状態は徐々に回復し、ついには歩いて退院された。その時は大変うれしかったことを覚えている。
プロでも読影が難しいことはあるのだなぁと思ったことと、ERの旧ボス香田先生の言葉「どんなに偉い先生が所見をつけとっても、もう一度自分の目で写真を見直し、その所見がほんまに正しいかどうか、主治医の責任として読影し直ししいやぁ」という言葉も思い出した次第である。
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