第20話 中北外科部長の思い出

 中北外科部長は、腕は確か、シラフの時は陽気で教え好き、ベテランの看護師さんからは「中ちゃん」と呼ばれるほどのフレンドリーな先生だった。時に外科の手術枠が少なく、午後からの時間が空いたときなどは、部長先生を中心とする、入院患者さんのカンファレンスを行なったり、その術式を選択する理由を研修医に質問し、教育するなど、きっちり仕事をされるときはされるのだが、お酒にまつわる問題が多かったのが極めて残念であった。中北部長が朝回診にほとんどお見えにならないのも、おそらくお酒とのからみだったのではないかと勝手に推測している。


 朝一番の手術の執刀医が部長であっても、飲み過ぎで遅れてくることは珍しいことではなく、村野医長や、堀口先生が途中まで手術を進めて、大事なところに差し掛かるころに二日酔いで不機嫌な部長が入ってくる。不機嫌なままで大事な部分の手術を行なって、不機嫌に出て行かれる。そして閉腹は、また村野医長や堀口先生がする、ということは珍しくなかった。

 もちろん、大学病院でも若手が開腹し、術野の準備が整ったところで教授が登場し、重要な部分を手術、そして最後は若いものが閉腹、というのは普通のことなので、大事な部分だけ手術をする、というのが問題なのではない、と理解していただきたい。

 術前の説明の時に、

 「私が執刀医です」

 と説明しているのだから、手術開始時間に、たとえ手洗いをしていなくても、少なくとも手術室には入ってほしい、と私は思っていた。執刀医が手術開始時間に不在、というのはいかがなものかと、半人前の1年次研修医ではあったが思っていた。

 

 その中でも、一番記憶に残っているのは、膵腫瘍の患者さんの手術であった。術前検査では、良性なのか悪性なのかがどうしても同定できず、術中に良性か悪性かを判断する。悪性の場合は膵頭十二指腸切除術(以下PDと略す)を行なう、という予定であった。

 消化器外科の手術として、大手術の2大巨頭が、食道がんの手術(頚部、胸部、腹部の3か所から手術のアプローチが必要なため)と、PDである。膵臓の十二指腸側が膵頭部、脾臓側が膵尾部と呼ばれているのだが、膵頭部と十二指腸を分離して切除、ということができないので、膵頭部と十二指腸を一塊として切除、そして、残された総胆管、膵尾部の膵管と、胃、小腸をどのようにつなぐのか、ということについてはこれまた複数の術式がある。膵臓は上腹部の一番奥にある(つまり背中側にある)臓器なので、アプローチも大変、手術も大変、また、実際に開腹し、病巣を確認すると、画像ではわからなかった浸潤などが見つかることもあり、消化器外科医の実力を試される大きな手術の一つである。僕も助手で入ることになっていたので、前日には繰り返し、術式の教科書を見て勉強した(僕が持っていた研修医向けの手術手順書では、PDについては20ページ近く割かれていた)。


 予定では、執刀医が部長、助手1(前立ち、と言われることが多い)が堀口先生、助手2が清田先生、そして助手3(おまけ)として僕が手術に入ることになっていた。もちろん長時間の手術なので、開始時間は朝一番の9時開始、その日の手術予定はこの人だけとなっていた。


 手術当日、執刀時間になっても部長が来ない。これは珍しいことではないので、部長が来るまでは堀口先生と清田先生で黙々と手術を進めていた(当然私は筋鉤を引っ張り、「こっち向きに引っ張って!」などといつも通り怒られていたのだが)。手術は予定通りに進み、膵臓にたどり着いた。しかし部長はまだ来られない。堀口先生は膵腫瘍と思われる部位を触診し、シャーカステンにかけていた画像を確認し、外回りの看護師さんに、検査データを読み上げてもらい、(そしておそらく周囲のリンパ節の評価も行なって)、10分ほど考えておられただろうか、

 「触診でも腫瘤は硬くなく(一般的に悪性の腫瘍は硬いことが多い)、周囲のリンパ節も腫脹を認めません。悪性の可能性は低いと思うので、PDは中止します」

 と宣言し、そのまま閉腹の方向に進むこととなった。


 閉腹の処置も中ごろまで進んだ頃だろうか、部長が不機嫌で、手洗いしていない状態で手術室に入室し、

 「堀口 ! 今、どこまで進んでんねん!」

 と堀口先生に聞いた。堀口先生は、

 「腫瘤の触診所見などを総合して、良性腫瘍と判断し、PDを中止して今閉腹しています」

 と答えた。すると部長は烈火のごとく怒りだし、

 「堀口、お前何考えてんねん。切らなあかんやろ!清田も清田や!切除が必要やと進言せえへんかったんか!お前ら何考えてんねん!」

 と怒り心頭で術場を出て行ってしまった。


 膵臓はたんぱく質などを分解する消化酵素を作る臓器であるため、雑に扱うと膵臓が分泌した膵液で、自分自身が消化されてしまう急性膵炎を起こすことがあること、当然PD は大手術で、患者さんの負担も大きく、術後の回復にも時間がかかること、組織診断をしなければ最終的に悪性かどうかは判断できないが、組織診断を行なうためだけにPDをする、ということが適切かどうかという問題、そういったことも堀口先生は考えに考えて、結論を出されたと思う。もちろん医学に100%は存在しない。堀口先生の決断が正しかったのか、間違っていたのかは後にならないとわからないが、少なくとも、PDをしない方が患者さんのためになる、と堀口先生は医学的根拠をもって決断されたのである。それに対して、理不尽に怒り狂う(しかも二日酔いで不機嫌で)のは、いかがなものか、と研修医ながら思った。


 それなら、最初から

 「PDを行ない、術後組織の病理で良性悪性の判断をする」

 という方向性で術前に患者さんに説明すればよかったのである。


 いや、本当なら、本来の執刀医である部長が、堀口先生がされた決断をする立場であったはずである。研修医にとって、時に理不尽とも感じることがある外科ではあるが、これはさすがに理不尽だと思った。理不尽なことが起きたにもかかわらず、その後も何も語らず、堀口先生と清田先生は黙々と手術を続けられた。特に、責任を持って決断された堀口先生のお気持ちはいかほどか、と思ったことが、今でも心に残っている。

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