第19話 「手術室」という戦場

 一般の人たちがイメージするように、「外科」と言えば「手術」、「手術」と言えば「手術室」である。


 医学生のころ、臨床実習前のオリエンテーションで手術室への入室の仕方や、手術前の手洗いの仕方、滅菌ガウンの着用の仕方などを教えてもらったが、もちろん各病院で若干の違いがある。


 もちろん、九田記念病院にも(そんなに変わったしきたりは無かったのだが)、手術室入室のための段取りはあった。更衣室に入ると、用意されているブルーの術衣(スクラブという。ちなみに手術室以外用のスクラブはグリーンで、手術室内でグリーン、あるいは手術室外でブルーのスクラブを着ることは原則禁止されていた)に着替え、靴下も脱いで(靴下を履きたい人は手術室用に用意された靴下を履く)使い捨て(disposable、以下「ディスポ」と略す)の紙製の帽子、サージカルマスクをつけ、手術室専用のスリッパで手術室エリアに入ることになっていた。


 かつては手術室の清潔を維持するために靴を履き替える、という考え方であったのだが、ちょうど私が研修医の頃、砂や泥で汚染された靴でなければ、靴を履き替える必要はない、という論文がNew England Journal of Medicineに掲載され、靴の履き替えは術中感染に影響を与えない、ということが報告された。なので、スリッパに履き替える理由は、術中に自分の靴が血液で汚れると困るから、ということとなっていた(靴下を履き替えるのも同じ理由、ちなみに私は裸足にスリッパが好きだった)。


 当時の病院は昭和50年代の建物で、ope室は5部屋あり、そのうちの一つがクリーンルームであった。外科手術には「汚染度」という概念があり、「清潔手術」とされる心臓血管外科や整形外科の手術はクリーンルームで行なわれていた。外科は基本的には消化器外科(時に乳腺外科の手術をすることもあった程度)なので、汚染度でいうと準清潔~感染となるため、クリーンルームを使うことはなかった。もちろん、どの手術室も、一つの手術が終わると、手術室のお掃除スタッフがきれいに掃除をされ、掃除が住んでから次の手術、という形になっていた。


 これは真偽のほどは確かではないが、お世話になったERの香田先生が、若かりし頃、痔核の手術のため患者さんに全身麻酔をかけ、体位を取って手洗いに行こうとしたとき、最後の一つだった痔核の手術セットの乗ったテーブルに躓いてしまい、手術セットが全部床に落ちてしまったそうな。スタッフが真っ青になっていると香田先生が

 「気にすな!できるだけ清潔に器具を拾とけ。床よりも便の方が汚いやろ!」

 と言って、その機材で手術を施行、患者さんは術後感染を起こすこともなく退院された、ということがあったとかなかったとか。香田先生なら言いそうなことではある。


 手術室の責任者は麻酔科部長の滝先生で、大変厳しかった。もちろん、もう医学生ではないので厳しくて当たり前なのだが、滝先生は外科研修中は、外科医として手術室でどう振る舞うかを教えてくださった。


 いまは当然のことであるが、「清潔」と「不潔」に気を付けて体を動かすこと、ほかの人、特に清潔になっている人の動きを邪魔しないこと、前もって手術室に入り、自分で準備できることは自分で率先して準備すること(例えば、手術室のシャーカステン(レントゲンを見る機械)に手術に必要なレントゲンを用意しておくことなど)、手術によっては特殊な体位をとることがあるので、その時には、看護師さんたちと一緒に率先して働くこと。

 そして麻酔科医の視点から、局所麻酔での手術でも必ず麻酔器を点検し、常にすぐ使えるようにしておくことと、昇圧剤のエホチールを常に用意(エホチール1Aを生理食塩水で10mlに希釈したシリンジを1本用意)し、すぐ使えるようにしておくことなどを指導された(実はこのことが後にすごく役に立った)。


 外来や病棟では温和で穏やか、研修医の質問にも丁寧に答えてくれる外科の先生方も、原則、手術室では鬼となる。市中病院での研修なので、大学病院の様に外回りで留まることはほとんど、いや、全くなく、基本的にはすべての手術に、手洗いをして、ガウンをつけ、術野に入れてもらえた。もちろん、手術前日には翌日の患者さんの術式を確認し、研修医向けの手術解説書を確認、どの手順で、何をどうしていくかを頭に入れていくのだが、もちろん最初の仕事は筋鉤を指示通りの方向に引っ張ることで、

 「もうちょっとしっかり引っ張って!」とか、

 「それでは視野がとれない!」

と怒られながら、術野を見やすくするために、言われるままに筋鉤を引っ張り、時に、

 「はい、この血管の名前は?」

と質問される。たいていそのような質問は、学生レベルの解剖学の教科書では記載のないような細かい血管なので、「うっ!」と詰まってしまい、そのたびごとに、横から蹴りが飛んでくる。

 なぜ「蹴り」なのかというと、答えは簡単。手術中は「手」は「清潔」でなければならないからである。もちろん、「もっと勉強しろ」という感じの軽い蹴りではあるのだが、僕もも幾度となく先生方から蹴りを入れられた。

 ただしこれはもっともなことで、手術部位感染(SSI)のリスクの一つとして、研修医が手術に入っていることがあげられている。僕らがいることでただでさえリスクが高くなっているのに、さらに先生方の邪魔をして、手術時間が長くなってしまえばより感染のリスクが高くなる。だから、患者さんのことを思うと仕方がない。ただ、術野で

 「お前、何のために手洗いして手術に入ってんねん。もっと手を動かせよ!」

と叱られ、

 「はい!」と返事をして、少しでもできそうなことをしようとすると、

 「そんなところに手を出したら、術野が見えへんやろ!手を引っ込めろ!」

と叱られ、また

 「はいっ!」と言って手を引っ込め、また、

 「手を出せへんかったら勉強にならんやろ!」

と叱られ、というのを延々と繰り返していると、私たち研修医は必死であるが、傍で見ていたら滑稽かもなぁ、と思ってしまう。ただ、どの外科医も、この道を通ってきているのだろう。


 また、手術室で音楽が流れている、というのは本当で、局所麻酔で手術の時は患者さんのリラックスのために患者さんの好きな音楽を、全身麻酔では術者の好きな音楽を流していることが多い。また、手術中に軽口をたたいている、というのも本当である。

 ただし、これは手術に参加している術者、助手、機械出しの看護師さんがみんなその手術に精通していて、手術も順調に進んでいるときに限られる。例えば、自動車の運転でも、免許取りたての時は、運転に必死で話をする余裕もないが、慣れてくると、運転しながらおしゃべりができるようになるのと同じことである。手術の術式は、その段階ごとにするべきことが決まっていて、その決まった手順に沿って進んでいくので、みんなが術式、手順を完全に理解し、術者の想定通りに手術が進んでいるときは、軽口をたたく余裕もあるのである。

 ただ、ここに段取りのわかっていない人間(研修医)が一人術野に入ると、うまくリズムが作れず、執刀医には強いストレスとなる。じっと我慢して突然爆発する先生、最初から爆発しまくる先生といろいろなパターンがあるが、やはり、自分でメスを持ち、患者さんの身体を傷つけてまで病気を治そうとする「手術」はやはり術者にとっては緊張の時間なのだと思う。



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