第18話 ようこそ外科研修へ(理不尽の世界)

 ER研修では、僕らより後に回った同期、後輩たちが、石井先生の厳しさにどんどん抑うつになっていたのだが、僕とぶっちゃんの時は、丁度香田先生と石井先生の引継ぎ期間、石井先生も遠慮されていたので、穏やかで教育的な研修を受けることができた(四肢の小外科についても、香田先生、石井先生とも、丁寧に教えてくださった)。これは本当にラッキーなタイミングだったと、その後の同期や後輩たちを見てつくづく思った。


 ER研修の終了後は、外科研修が始まった。僕のプログラムでは、外科研修4か月の間に、産婦人科研修が入っているので、まさしく前半、後半という形に分かれる。外科のスタッフは部長の中北先生、飄々とした医長の村野先生、質実剛健な堀口先生、穏やかな清田先生、そして後期研修医として、病院見学の時にはブラック内科を回っておられた白井先生でチームが構成されていた。初期研修医は、前半は僕と新竹先生(タケ)の2人だった。


 外科チームの集合時間は一応午前7時、一応、と書いているのは、外科では採血当番を初期研修医がすることとなっており、採血当番の時はそれより早く来て、その日の朝の採血を一手に行わなければならなかった。前日の夜には、次の日の採血用のスピッツが病棟に届いており、人数を数えて

 「これなら1時間前かな?」

 「明日は多いから、朝5時から回ろう」

 と考えて出勤していた。研修医が採血する機会は、無理にでも作らないと全部看護師さんがされてしまうので、トレーニングのため、と外科で決定したルールである。ただ、朝5時から採血に回ると、寝ている患者さんを起こしてしまうので大変申し訳ないことになる。

 「○○さん、おはようございます。採血に来ました」

 「う~ん、おはようございます。先生、今何時?」

 「今、5時過ぎです」

 「先生、もっと寝かせてよ~」

 「すみません」

 と、患者さんとやり取りをしながら、採血をした。もちろん時には、

 「こんなに朝早く来られたら、迷惑じゃないか!」

と怒られることもあり、そんなときには

 「すみません、すみません」と謝りながら採血を行なっていた。


 午前7時から、部長先生を除く全員で集合し、患者さんを回診することになっていた。術後の患者さんは術創が感染を起こしていないかどうか確認、ちょうど創傷治癒の考え方が大きく変わってきたころで、傷に消毒液を塗ると、修復のために増えてきた細胞を傷つけてしまうため、傷を治すためには消毒薬を塗らない方がいい、という考え方になってきていた。なので、回診の時には一緒に引っ張っていく包交車(かつては消毒薬や包帯をたくさん積んでいた押し車)に消毒液はわずかしか載っていなくて、術後創を確認し、基本的に浸出液があり、創部が汚れていれば、十分量の生理食塩水で洗浄し、新しいガーゼを載せる。創が安定していればガーゼではなく被覆材を貼付するようにして、創を管理していた。創の確認だけでなく、熱や痛みはどうか、排便や排ガスはどうか(ほとんどが消化器外科の患者さん)なども確認していた。


 外科研修が始まった直後、すべての患者さんに、

 「今日から外科に来ました研修医の保谷と新竹です」

 と挨拶して回った。その中には、少し(かなり?)癖の強い患者さんもおられた。


 70代くらいの男性で、糖尿病の既往のある方。急性胆管炎、総胆管結石で消化器内科に入院。ERCP、ESTで総胆管結石を除去しようとしたのだが、結石が大きすぎたのか、結石除去の際に総胆管、膵臓、十二指腸の一部が損傷したため、外科に転科。Tチューブを総胆管に挿入し、しばらく保存的に経過を見てTチューブを抜き、問題があるなら膵頭十二指腸切除術をせざるを得ない、という患者さんだった。初日の回診の時、

 「あぁ、兄ちゃん。今日はおなかが張ってしんどいから、看護師さんに『浣腸お願い』って伝えといてくれへんか?」

 「はい、わかりました」

 と僕が答え、回診終了後すぐに患者さんの電子カルテに浣腸の指示を書き、病棟のリーダーNs.にも、

 「浣腸を希望されてたので浣腸をお願いします」

 とすぐに申し送って、手術室に向かった。


 その翌日、回診中、その患者さんのところに行くと、いきなり患者さんが僕に、手元にあったものを思い切り投げつけ、

 「お前!俺が『浣腸してほしい』って言うてたん、忘れとったやろ!看護師さんが来たの、夕方やったわ。そんなええ加減な奴、信用できるか!お前、ここに入ってくんな!」

 とすごい勢いで罵声を浴びせられた。全くの濡れ衣である。ただ、本人がそう思い込んでいる以上、まともに話にもならないなぁ、とは思ったが、これも含めて研修。

 「いえ、昨日回診後すぐに看護師さんに指示を出しました」

と反論したが、それが私の反論のすべてであった。白井先生が、「まぁまぁ」と患者さんをなだめ、次の部屋に回診は移動したが、悔しさと、怖さと、理不尽さでおそらく顔色が真っ青になっていたのだろう。白井先生が

 「ほーちゃん、災難やったなぁ。最初の最初、第一印象でケチがついてしまったから、ちょっとしんどいと思うけど、みんなで一緒に回診するから、がんばろな」

 と声をかけてくださった。どうしても医療は人と人、相性の合う人もいれば合わない人もいる。そう思って頑張ることにした。

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