第16話 ER研修が始まる。

 内科研修の4ヶ月が終了し、次はER研修となった。ER研修は、内科を4か月回った僕と、外科を4か月研修したぶっちゃんとで2か月を過ごすことになった。またちょうど同時期に、これまでのERの責任者が香田先生から、新たにER部長として石井先生が赴任してきた。ちょうど私のいた2ヶ月がボス同士の引継ぎ期間だったので、二人のボスに囲まれてER研修を行なった。

 ぶっちゃんはER研修の時は外科で身に付けた自分の技術を生かして、自分の足にあった粉瘤(皮膚の一部が内部に袋を作った状態となっており、皮膚の内容物が詰まった腫瘤を作り、時々感染を起こすことがある)を自分で局所麻酔をして自分で除去し、自分で縫合した。

 「さすが、外科を研修するとそこまでできるようになるのだなぁ、」

 と思ったのだが、新旧のボス二人とも、

 「おい、お前大丈夫か?」

 と半ば呆れられ、半ば心配されていた。


 ボスたちの心配は当たり、その後、創治癒が遅延して(傷の治りが悪く)、結局ボスたちにもう一度処置をやり直してもらう、ということになっていたことを思い出す。


 新しいボスの石井先生は、細身の体で、全身から抜身の日本刀のような鋭い雰囲気を放っておられた。腕が確かなのは指導していただいたり、石井先生の指示の出し方、ここ一番での判断力を見ると非常によく分かったのだが、それとは別に様々な伝説がまことしやかに流れてきた。伝統ある某大学特殊救急部に所属しておられたそうだが、そこでは後輩の研修医が椅子に座っていると、石井先生が研修医の座っている椅子を蹴飛ばして

 「お前らに座る資格があるかぁ!」

 と怒鳴りつけることが日常茶飯事であった、とか、石井先生ご自慢のオールバックのヘアスタイルを切ってしまった先輩を、翌日丸刈りにした、などと厳しいものであった。母校の特殊救急部の教授戦に出たが、腕は確かなものの、そのような過去の行状からなのか落選し、流れ流れてここに来た、などと聞いたりした。


 実際、僕らの研修が終わり、それとともに旧ボスの香田先生がERから去った後は、ローテートする研修医が悉く抑うつとなるような人であった。しかし実は根っこは優しい人で子供好き、外傷で受診された子供さんを診察するときは優しい笑顔を見せておられた。また、これはうんと後、僕が後期研修医時代の話だが、1年次の研修医が心を病んでしまい(パワハラをしたわけでは絶対にない!)、病重く如何ともできず、退職となった時に

 「あいつ、俺のところ(ER)におったら、ただ座ってるだけでも研修の単位が取れたのに……」

 と悲しそうに言われた。もちろんその後、すぐにいつもの石井先生に戻り、

 「まぁ、1年次の研修医は座ってても、働いていても、あまり変わりはないからなぁ」

 といつもの口ぶりで去っていったことを覚えている。


 お酒が好きで、たばこも好きな先生だった。僕らがERにいたときは、香田先生がおられるためか、時に二日酔い(推測だが)でしばしばお休みを取られていたが、石井先生だけになると、休まれることもなく、朝5時前にERに来て、カルテチェック、書類作成などきっちり仕事をされていた。石井先生とお酒を飲みにいった鳥端先生、岸村先生からお話を聞くと、あまりにもたくさんの量を、しかも長時間飲まれるので、ほとほと疲れた二人の先輩が、

 「先生、今度はタクシーで移動しましょう」

 と石井先生をタクシーに乗せ、すぐ運転手さんに

 「ご自宅まで!」

 と言ってタクシーを走らせてようやく解放された、とおっしゃられるほどであった。


 人によっていろいろ身にまとう雰囲気、オーラが違うが、どうすれば石井先生のような鋭いオーラを身に付けることができるのだろうか?私自身は「トトロ先生」と患者さんから言われたことがあるほど、ずんぐりむっくりで雰囲気が柔らかく、周りに聞いても、「温和」、「まじめそう」、「優しそう」と言われるタイプで、それはそれで内科医としても、人としてもありがたいことなのだが、逆に、そのような鋭い雰囲気って、何歳くらいから身にまとうのか、不思議ではある。


 さて、ER研修では基本的に居場所がERとなるため、当直の日は、朝7:30からERに入り、16:30で当直帯となる。16:30~翌7:30までER当直、で7:30に引継ぎがあり日勤を開始。7:30~16:30までERで日勤業務をする、ということで、合計33時間、同じ部屋にいることになった。これはちょっと閉塞感が強かった。


 地域によって、救急車利用者の重傷者率は大きく異なり、われらが九田記念病院のある地域が全国で最も安易に救急車を利用されている地域である、とのことで、病院にテレビ局が取材に来たほどであった。実際、九田記念病院のERでは

 「足が痛くて動けない」

 との訴えで救急搬送されてきた方が、救急車からスタスタ歩いてERに入ってきたりすることは珍しくなかった。とはいえ、当然、本当に重症の方も来られる。その時は日中であればボスたちのsuperviseの下、検査指示や酸素投与、モニタ装着などの指示、時には気管内挿管なども行なっていた。


 ERの仕事をして困ったのは、ERで行なうような小外科を詳しく解説している教科書が(少なくとも私の知る範囲では)ないことであった。


 早朝、ドアで指を挟んだとの訴えでERに来られた患者さんがおられた。指の爪がはがれて、結構出血している。検査のあいだ、軽くガーゼで保護し、レントゲンを確認。指の末節骨は大丈夫そうだった。さぁ、それからが問題だった。どう処置していいのかわからない。目に見えるところを縫合処置したが、それを見ていた石井先生から、

 「お前何やってんねん。ちゃんと勉強せえや!」

 と大いに叱られた。石井先生は、爪床を確認し、爪床の損傷を丁寧に吸収糸で縫合、その上から爪を爪母に挿入して処置終了。なるほど、こうするのか、と思い、適切な教科書をもう一度見直そうと思って探してみたのだが、痒い所に手が届く教科書がなく、今も爪周りの処置については自信がない。そういえば、農作業中に指の先を切断した、という主訴で運ばれてきた人を、旧ボスの香田先生が

 「ちょっとこの指、短くなるけどええか?」

 と患者さんに聞いてから、切断指の末節骨を除去してfish-mouth法で縫合し、ERの中ですべてを終わらせたこともあったと記憶している。


 私自身が経験した外傷の処置で、最も時間がかかったものは、ER当直中、自転車のスポーク外傷(二人乗りをしていて、踵を後輪のスポークに巻き込み、大きな挫創を作る外傷)を担当し、1時間近く縫合処置をしたことであった(1回あたり30針くらい縫ったように記憶している)。数回経験したことがあり、終わるとヘロヘロになっていた(抜糸される外科の先生も大変だと思う)。


 いまは、当直でひどい外傷を見ることはないので、そういう人が来たら、高次医療機関の救急外来を紹介して受診してもらうようにしているが、ちゃんと勉強しないと、と今も考えている。


 余談ではあるが、僕がその後、後期研修も九田記念病院で受け、後期研修医卒業間近の時に、先輩の結婚式があった。もちろんそこに石井先生も出席されていた。石井先生はずいぶんお酒を召され、いい気分になっていたのだろう。大声でこんなことをおっしゃられていた。

 「俺の技を全部伝えて、しっかり受け止められる奴は、うちの病院やったら、タマゴンと保谷ぐらいやろ。でもタマゴンはちょっとええ加減なところがあるし、保谷は完全に内科の脳みそをしているから、外科的なことではちょっと苦労するやろなぁ」と。


 あの厳しい石井先生から、そのように評価されたのは、うれしかった。


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