第10話 初めてのことだらけ

 仕事始めと同時に、ER当直も始まった。基本は3日に1回の当直なので、生活は当直→当直明け→当直前日→当直という生活の繰り返しだった。当然当直の日も朝から仕事を行ない、ルールとしては

 「初期研修医は当直明けは午後から帰って良い」

 ということになっていた(臨床研修必修化の影響で)が、現実には、通常業務をこなすと、どうしても夜になってしまい、早く帰れるわけではなかった。若い同期は、当直明けにも関わらず夜まで仕事をした後、飲みに行ったりしていたが、現役生から比べると8歳年上、30歳を過ぎた僕にとっては、そんな元気はなかった。以前にも書いたように、帰宅して食事をすると、すぐに風呂に入って、その日できなかったことを復習、復習しているうちに寝落ちしてしまっていた。

 当直明けの日は、当直からの勢いで仕事をこなすことができるのだが、本当にしんどいのは当直明けの次の日だ。溜まっていた疲れがドッと出て、重い体を引きずりながら仕事をするのだが、残念ながらその日は先に述べた通り当直前日でもある。ダメージの回復もままならないままに当直の日を迎えるのが常だった。


 オリエンテーション期間にERを回った時には、親分の香田先生から

 「お前ら、物品の置き場所はちゃんと覚えて、看護師さんの手を借りなくても必要な物品を用意できるようにしとかなあかんで」

 と指導を受けていたので、当直中も手が空いているときは何がどこにあるのか、確認していた。ER当直では“walk in”の方だけではなく、救急車の対応も必要だった。 

 入職して半年ほどは、1年次はホットラインは取らない、ということになっていたが、ホットラインの情報を上級医が伝えてくれると、おおよその病態を想定して、あらかじめ点滴や採血、各種検査の指示を出して、救急車の到着を待つこととなった。救急車の患者さんは、想定される重症度によって、1年次一人で対応することもあれば、全員総がかりで対応することもあった。


 心肺停止(CPA)の患者さんの対応も初めての経験だった(当たり前だが)。最初のころは心臓マッサージ要員として、交代しながら心臓マッサージを行なうことからCPAの患者さんの対応を覚えていく。もちろん、そのうちにAHAのBLS、ACLS講習会を受けるように指示されているのだが、講習会を受ける前から、トレーニングは始まっているのである。心臓マッサージの次は、バッグバルブマスク換気と気管内挿管のトレーニングを行なう。もちろん on the job trainingであり、現場で、上級医の先生の指導を受け、できるようになる。大学病院では末梢点滴路の確保は研修医の仕事だが、市中病院では看護師さんが確保してくれることがほとんどである。なので、

 「僕にさせてください。指導をお願いします」

 とベテランのER看護師さんにお願いし、これもon the job trainingとなる。ただ、看護師さんは忙しいので、あまり手取り足取りは教えてくれない。で、失敗が続くと

 「できないなら、私たちの仕事を邪魔しないでください。できるようになってからするようにしてください」

 と看護師さんから叱られる。そんなわけで、友人同士で腕を貸し合ったり、家族にお願いしたりして、点滴路確保の練習を行なった。


 縫合処置もERの大事な仕事の一つだった。医学生のころ、縫合処置トレーニング用の皮膚モデルを使って、何度か縫合の練習はしたことがあるのだが、やはりこれも、ERではon the job trainingだった。

 初めて縫合処置をしたのは、仕事中に上腕内側を8cmほど切ってしまった若い男性の方だった。創は長いが、深さは皮下組織の深さだった。創を洗浄し、穴あきの覆布をかぶせ、局所麻酔を行ない単結紮縫合で縫合を開始した。不慣れなせいか、手が震えていたのだろう。患者さんから、

 「先生、手がひどく震えているね。もしかして初めて?」

 と聞かれた。確かに初めてだが、答える余裕もないほど緊張していた。何とかそれなりに縫合し、

 「あとは外科の通常外来で経過を見てもらってください」

 と伝えるのが精一杯だった。顔の傷は細い糸で単結節縫合で縫合することになっていた。私はあまり起こしたことはないのだが、創面の層がきっちりあっていないと縫合不全を起こし、抜糸したときに、もう一度創が開いてしまうことがある。なので、創の層を合わせることが重要である。外科の先生ほどきれいではないが、創が開かないように気を遣って縫合処置ができるようになった。

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