第9話 腎臓が消えた?
栗原チームをローテート中のある日、医局でカルテを書いていると、新海チームの岸村先生が
「腎臓がない!腎臓がない!」
と大慌てで医局に飛び込んできた。近くでカルテを入力されていた師匠のところへやってきて、
「狩野先生、昨日入院した患者さん、腎臓が消えたんです!」
と泣きそうな声で相談に来た。
「まあ落ち着け、詳しく話を聞かせてよ」
と師匠が岸村先生に尋ねた。当然僕のところにも話が聞こえてくる。岸村先生の話では、患者さんは70代の男性で、コントロール不良の糖尿病を基礎疾患に持つ方。
前日尿路感染症の診断で入院となったそうだ。尿路系の閉塞の有無について、本日腹部エコーを予約していたが、エコーを当てた技師さんから
「右腎が見えません」
と緊急で連絡があったとのこと。何が起きているのか分からず、狩野先生に相談しようと大急ぎで来たとのことだった。
「患者さんのバイタルサインはどうだ?」
「血圧は90台で頻脈もあり、39度台の発熱が続いています。診察しても、ぐったりして元気がないです」
「じゃぁ、まず輸液を増やして、KUB(Kidney-Ureter-Bladderの略。腹部単純写真で尿路系を中心に撮影する撮影法)と腹部CTを緊急で撮影して」
と狩野先生から指示が飛んだ。岸村先生が大急ぎで指示を出し、画像の結果を待った。狩野内科のメンバー全員が医局に集まり、電子カルテの周りを囲んだ。画像を確認すると、KUBでは右腎の部分にモザイク様のガス像が診られ、腹部CTでも、右のGerota筋膜(腎臓、副腎を包んでいる筋膜)内はモザイク状のガス像で占められており、腎実質はほとんど見えなかった。
「岸村先生、気腫性腎盂腎炎だよ」
と狩野先生がおっしゃられた。
「岸村先生は、すぐに泌尿器科に連絡して、外科的治療の適応になるかどうか確認してください。もし、手術適応ではない、と言われたら、敗血症として治療を進めていきましょう。予後は厳しいと思うから、頑張って」
と指示を出され、気腫性腎盂腎炎について、簡単に私たちにレクチャーをしてくださった。気腫性腎盂腎炎は、基礎疾患としてコントロール不良な糖尿病や、何らかの免疫不全をお持ちの方で、感染した細菌がガス産生を行ない、腎実質がガスで破壊されていく疾患であること。ガスを産生しているが、起因菌は通常の尿路感染と同様に大腸菌やクレブシエラが多いこと(大腸菌やクレブシエラもガス産生能がある)、治療は可能であれば、泌尿器科的に患側の腎摘出術と周囲の組織のdebridement、そして、術後は敗血症に準じて治療を行なうこと、予後はあまりよくないことを教えてくださった。
「岸村先生、気腫性腎盂腎炎なんて、診るのは10年に1度くらいだから、その点ではラッキーだと思って、しっかり勉強してください」と師匠は岸村先生に声を掛けられた。
岸村先生はすぐに泌尿器科にコンサルトを行なったが、バイタルが不安定で術中死のリスクが高いとの理由で、侵襲的治療の適応外と判断された。そのまま岸村先生が敗血症に準じて治療を行なうこととなった。
それから10日ほど経った頃、岸村先生がまた、
「腎臓がない!腎臓がない!」と急いで医局にやってこられた。
「岸村先生、また気腫性腎盂腎炎?」
「狩野先生、写真を見てください。また気腫性腎盂腎炎です」
と岸村先生が画像を提示された。やはり気腫性腎盂腎炎だった。今回の患者さんは糖尿病はないが、骨髄異形成症候群(MDS)という血液疾患をお持ちだった。
「岸村先生、引きがすごいね~。こんなに短期間に2例も気腫性腎盂腎炎を見たことはないよ」
と師匠も驚いていた。
前回の指導の通り、もう泌尿器科にもコンサルトは済んでおり、やはり不安定なバイタルなので侵襲的治療の適応外とのこと、岸村先生が継続してみられることとなった。
その後は風の噂だが、最初の気腫性腎盂腎炎の患者さんは何とか回復、病巣側の腎臓は萎縮し瘢痕化したが、糖尿病のコントロールも改善し、自宅へ退院となられたこと。2例目の患者さんも、敗血症はコントロールでき、一時的に改善したが、その後MDSが悪化し、白血化(急性骨髄性白血病に転化、予後不良)。急速に全身状態が悪化し永眠された、とのことであった。自分の経験ではないが、レアな疾患を短期間に2症例見ることができ、勉強になった。でも主治医の岸村先生は大変だったことだろうと思う。
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