第6話 いきなり落とし穴にはまる!

 僕は、最初に狩野内科の新海チームに所属された。一番最初に師匠から「主治医を」と指示されたのは、師匠が訪問診療をしている患者さんの入院だった。寝たきりの50代の患者さんで、弟さん夫婦が主介護者となっている。弟さんの奥様のご実家でご不幸があったとのことで、どうしてもご家族でお葬式に行かなければいけない、とのことだった。ご実家が遠方なので、こちらに戻ってくるまで、1週間近くかかるらしい。なのでそれまでの間、こちらで入院管理をお願いしたい、という経緯だった。

 師匠の指示を受け、新入院の患者さんの診察に向かうが、ご本人がお話もできない状態の方で、現病歴も何も聴取できない。手足にも拘縮があったが、何とか隙間を見つけて胸部、腹部を診察。「よっこいしょ!」と側臥位にして、背部の聴診と仙骨部など、褥瘡のできやすいところの診察を行なった。何かの疾患が悪くなって入院、ではなく、一時的に自宅で看れなくなったので入院、という社会的入院なので、Admission Noteをどう書こうか、いきなり悩みながら作成した。

 もうすぐ書き終わる、というところでチームリーダーの新海先生から電話がかかってきた。

 「ほーちゃん、今、ERから患者さんの入院を取ってほしいと連絡があったから、一緒に診に行こう。ERに来てくれる?」

とのことだった。

 「はい!」

 と返事し、Admission Noteは一時保存として、すぐにERに向かった。


 ERに向かうと日中のERを担当されている香田(こうだ)先生から、声をかけられた。

 「おぉ、新人のほーちゃんが来たか。あんなぁ、患者さんやけどなぁ…」

と申し送りが始まった。

主訴は「手足に力が入らない」とのことで救急搬送、採血をすると血清K値が1.6mEq/Lだったので、低カリウム血症に伴う四肢筋力低下と診断した、とのことだった。しばらくして新海先生も降りてこられ、検査データを確認。

 「ほーちゃん、主治医になってもらうからよろしくね」

 と新海先生はおっしゃられ、二人で、処置室で点滴中の患者さんのところに向かった。

 「初めまして。内科の保谷と申します。病棟で主治医を担当します。よろしくお願いします」

と挨拶をした。患者さんは60代の男性の方、結構なやせ型の方だった。

 「あぁ、そうですか。先生、お世話になります。よろしくお願いします」

と患者さんも挨拶してくださり、病歴などを確認した。

 お話をしたところでは、現在、奥様と二人暮らしでお子様はおられず、前年まで会社で事務職をしておられたが、本年の年初で定年退職され、現在はお仕事はしておられない。既往歴は以前に十二指腸潰瘍と言われ、薬を半年ほど飲んだことがあるが、調子が良くなったのでそのまま薬も中断し、放置していた。血のつながっている方で糖尿病や高血圧などの病気、狭心症や心筋梗塞の方はおらず、突然死された方もいない。お酒もたばこも嗜まないとのことだった。

 今回のことでお話を聞くと、ご夫婦とも健康食品が好き(ご自身で「健康食品マニアなんです」と言われるほど)で、休日になると、健康食品を扱っているお店に行くのがご夫婦共通の趣味だそうだ。1ヶ月ほど前に、健康食品を扱っている店で「タンポポ茶」という、タンポポの根っこを煎じたお茶を紹介され、

 「これは身体の水毒を取ってくれるお茶です」

 と強く勧めてもらったそうである。タンポポ茶を購入し、飲み始めると、お店の人の言う通り、たくさんおしっこが出始めたが、その頃から、身体がだるくなり、口の中がねばねばして乾いた感じがするようになってきた。タンポポ茶を購入したお店に電話をしてみると

 「それは身体から水毒が抜けているときに出現する好転反応なので、そのままタンポポ茶を続けてください」

 と言われたそうである。言われたとおり、タンポポ茶を飲み続けていたが、何となく食欲がなくなってきて、少し吐き気も感じるようになったそうである。食事の量が減ったせいか、便秘気味にもなってきた。だんだん手足に力が入らなくなってきていたのを感じていたが、今日は手足に全く力が入らず、立つこともできなくなったので救急車を呼んだ、とのことだった。


 お身体を診察させてもらう。外観はなんとなくしんどそうな感じ。ずいぶんと痩せておられる印象だったが、奥さんに聞いても、

 「この人は昔からやせ型だったから…」

 と言われる。意識は清明で、きっちり評価はしていないが認知機能の低下を疑うものはなかった。結膜に貧血なく黄染なし。口腔内は乾燥した印象、扁桃腫大なく咽頭の発赤も認めなかった。頚部リンパ節の腫大は触れず、甲状腺腫も触れなかった。心雑音なく、呼吸音も清。腹部はやや陥凹?触診は軟で腹部に腫瘤を触れず。鼠径リンパ節の腫大なし。下肢に浮腫を認めなかった。筋力については、ベッドに臥床した状態で、

 「両手を上にあげてください」

 と伝えたが、両手を伸ばした状態では腕を挙げることができなかった。両肩関節の屈曲はMMT(徒手筋力テスト、正常は5点、重力に逆らって運動ができたら3点、と覚えていただくとイメージしやすいです) 右/左:2/2、

 「肘を曲げてください」

 と伝えたが、身体に沿わせて、肘を曲げることはできたが、重力に逆らって肘を曲げることはできず、やはりMMTは2/2、握力は60代前半の男性としては弱い感じがしたが、ある程度握ることはでき、MMT 3/3と評価した。脚力については

 「膝を立てながら曲げてください」

 と指示しても、両下肢とも膝を立てて曲げることができず、パタン、と膝が倒れて膝が曲がる、という状態だった。MMT 2/2と判断、足関節の底屈についても弱く、MMT 3/3程度かと評価した。心電図は目立った所見はなく、胸部レントゲンも、明らかな異常影はなさそうだった。


 新海先生ともお話しし、

 「やはりタンポポ茶が原因となった低カリウム血症で、四肢筋力低下が起きたのだろう」

 と考えた。患者さんには

 「身体のイオンのバランスが崩れていて、そのために筋肉に力が入らなくなっている状態だと思います。点滴でイオンのバランスを整えていきます」

 とお話しし、入院となった。入院指示を新海先生に入力していただき(初期研修医はその権限を持っていない)、治療方針を新海先生と相談(というか方針を新海先生に決めていただいた、という方が正しい)、急速なKの輸液は、事故の原因となりうるので、中心静脈穿刺でKの補正をしたり、末梢輸液にKClを追加で加えるのは避けよう、ということにした。内服薬でアスパラKを開始し、末梢輸液はK含有量の多い3号液を1500ml/日(60ml/h)で投与し、随時電解質の確認をしていこう、ということになった。患者さんが病棟に上がり、僕は医局のPCでこの患者さんのAdmission Noteを作成していた。たまたま師匠が後ろを通りがかり、少し僕のAdmission Noteを覗いて、

 「保谷先生、電解質、特にカリウムを見ていくときは、必ず血液ガスも評価してくださいね」

 と言われて去っていかれた。師匠がなぜそういうことを言われたのか、僕はその時はわからなかったのだが、師匠の言われたとおり、採血を行なう日には、動脈血液ガス分析も行なうこととした。


 (著者からの補足である。「血液ガス分析」という検査は、血液のpH(酸性度)、PO2(血中酸素分圧)、PCO2(血中二酸化炭素分圧)、HCO3(炭酸水素イオン濃度)を評価する検査である。病院に置いてある機器では、いい機械を使っていればさらに電解質や遊離カルシウム濃度、B.E(Base Excess:塩基過剰)も算定してくれることが多い。血液ガス分析のことを細かく書き始めると、それだけで1冊の教科書になってしまうので狩野先生の発言の意図がわかる部分だけを簡単に説明する。血液のpHは健康な人であれば、7.350~7.450の値をとる(身体の中は弱アルカリ性)

。血液を酸性に傾ける力をアシドーシス、アルカリ性に傾ける力をアルカローシスと言い、その結果酸性になった血液の状態はアシデミア、アルカリ性になった状態はアルカレミアという(アシドーシスとアシデミアという言葉の違いが判らない医師も多い)。アシデミアになると、身体の細胞は血液中の水素イオンを吸収して、その代わりにカリウムを血液中に放出し、逆にアルカレミアになると、細胞はカリウムイオンを吸収して、水素イオンを血液中に放出することでアシデミアやアルカレミアを改善しようとする(代償機転が働く)。なので、アシデミアがあれば、見かけ上カリウム値が高くなり、アルカレミアがあれば、見かけ上カリウム値は低くなる。狩野先生が保谷君に

 「電解質を見ていくときは血液ガス分析も行ないなさい」

 と指導したのは、血液のpHによって、検査データのカリウム値が影響を受けるからである。保谷先生、勉強不足ですよ!)


 治療を開始し、点滴と内服薬で、脱水とカリウムの補正を行なうと、患者さんは元気になってきた。

 「入院するまでは、手足が冷たく感じていましたが、点滴をしてもらってから、手足の先まで血液が通っているような感じがして、冷たい感じはなくなりました」

と回診の時におっしゃられるようになった。血液ガス分析ではpHは正常値で推移しており、カリウムの値も徐々に正常化してきた。それにつれて、四肢の筋力も改善してきた。入院5日目(以降、入院第〇病日と書く時もあるのでご了承を)の血液検査ではカリウムの値も正常化していた(もちろん血液ガスのpHは正常)。回診に行った時に、血液のカリウムの値も正常に戻った、とお伝えすると患者さんは

 「先生、確かに手足の力は戻って、入院した時よりは調子は良くなっているんですが、食欲はあまりなくて、吐き気も続いているんです」

とおっしゃられた。

 あれ~っ?患者さんの調子はまだ良くなっていないようだ。何か僕らが見落としていることがあるのかもしれない。回診の時にもう一度しっかりと身体診察をしたが、四肢の力は著明に改善していたが、その他は入院時と特に変わりはなかった。

 「なんでだろう。おかしいなぁ?」

 と思いながら、入院時からの血液検査を見直していると、あることに気づいた。血液ガス分析を行なうと、九田記念病院の機械は、電解質、遊離カルシウム値、B.E.も一緒に算出してくれる。血液中のカルシウムはほとんどが、アルブミンというたんぱく質と結合していて、ごく一部だけがアルブミンから遊離して存在している。この遊離カルシウムが様々な生理作用を発揮するのであるが、この時点で初めて、遊離カルシウム値が高いことに気がついた。原因はこれかなぁ?と思い、患者さんの訴えも含め新海先生に連絡した。

 「OK。状態はわかった。今日採血していたでしょ。検査室に電話して、今日の検体でカルシウム値の測定を依頼して、電子カルテで、血清カルシウムのオーダーを追加しておいて」

 とのことだった。すぐにオーダーを立て、検査室に連絡、

 「血清カルシウムのオーダーを追加したので検査をお願いします」

と伝えた。


 30分ほどで検査室から電話がかかり、

 「結果が出たので、至急確認してください」

 とのことだった。急いで電子カルテを開けると、「Ca 15.6mg/dL」という結果が出ていた。正常の血清カルシウム値は上限が10mg/dL程度なので、明らかに高カルシウム血症が存在していた。高カルシウム血症は一大事である。まず高カルシウム血症の治療と、高カルシウム血症の原因検索を行わなければならない。大雑把なとらえ方だが、血清カルシウム値が12mg/dl程度の上昇であれば、比較的軽症の高カルシウム血症であり、ホルモン異常に起因することが多い。血清カルシウム値が15mg/dlを超える場合は重症の高カルシウム血症と考え、ホルモン異常よりも、悪性腫瘍の随伴症状としての高カルシウム血症の可能性が高くなる。この方のカルシウム値を見ると、悪性腫瘍の存在が疑わしい。とにかくもう一度新海先生に報告しなければならない。

 「新海先生、保谷です。先ほどご相談した患者さん、血清カルシウムが15.6mg/dLと高カルシウム血症がありました」

 「わかった。ほーちゃん、よく見つけてくれたね。患者さんやご家族に病状説明も必要だし、高カルシウム血症の治療やこれからの検査の計画を立てないといけないね。医局で相談しようよ。今から医局に行くから待ってて」


 新海先生は「よく見つけてくれたね」と言ってくださったが、血液ガス分析の結果で遊離カルシウム値の高値を見逃していたのは僕だ。悔しい気持ちになりながら、医師国家試験の時に使っていた“Year Note”の「高カルシウム血症」のページを開いた。症状は、多尿、便秘、食欲不振、吐き気、低カリウム血症、ひどくなると意識レベルの変容、と書いてあった。


 内科診断学の教科書には、「問診で診断の大部分がわかる」と記載がある。60%~80%とその数値にはばらつきはあるものの、診断を行なう上で、病歴はとても重要なのである。この患者さんも、病歴を振り返ると正しい診断を僕たちに伝えてくれていた。多尿、便秘、食欲不振、嘔気、低カリウム血症。教科書に載っている高カルシウム血症の症状はそろっていた。ただ、「タンポポ茶」の使用開始と症状出現が一致していたので、僕たちはみんな「タンポポ茶」に騙されていたのだ。高カルシウム血症についても僕が不勉強だったのだ。最初に受けた、

 「患者さん、すごく痩せているなぁ」

 と違和感を感じたのは正しかったのだ。もともとのやせ型だけでなく、悪性腫瘍でさらに痩せていたのだ。


 新海先生、そして師匠も来てくださり、今後の方針について相談した。ご本人、ご家族への病状説明は新海先生がされるとのこと。教科書に沿って、生理食塩水の大量輸液とビスホスホネート製剤、カルシトニン製剤、ステロイド製剤を開始し、エビデンスは低いが、ループ利尿薬も併用することにした。頭部、胸部、腹部のCTを撮影、腫瘍マーカーについても確認することとした。


 高カルシウム血症の治療を開始し、1週間ほどでカルシウム値は正常近くに低下し、患者さんからも、

 「吐き気や、何とも言えないだるさも取れました」

とおっしゃられ、食事量も増えてきた。

 血液検査ではCA19-9とPTHrPが上昇していたが、画像上では腫瘍の部位がはっきりしなかった。上部、下部消化管内視鏡もしてもらったが、特に所見はなかった。再度胸部CTを撮影すると、右中葉の心臓に近い末梢側に、小さな怪しい陰影が見つかった。さらに検査を進めようとしたところで数か所に皮下腫瘤ができてきた。皮膚科に診察(「対診」と呼ばれる)を依頼し、組織を検査してもらうと、腺がんと思われる腫瘍細胞が同定された。肺の腺がん、皮膚転移と診断された。その頃にはチーム替えがあり、その患者さんの主治医ではなくなっていたので、その後の経過についてはわからない。


 ただ、この方を診察させていただき、教科書では学べないこと、思わぬ落とし穴など、本当にいろいろなことを学ばせていただいた。もうお名前は忘れてしまったが、最初の最初で、本当に教育的な症例を経験させてもらった。

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